if. アラスタールート「眠り姫」
彼女をこの目にしたなら、冷静ではいられないだろうと思っていた。一度は永遠の別れの路を辿ったと思った、最愛の
更にその女性は、自分のことを忘れてしまっていて。
だが、どうだろう。彼女を前にした時、胸が高鳴ると同時に不思議な温かさが灯った。
ああ、そうだ。彼女は太陽。
俺の心を照らし、時に狂おしい程焦がし、温もりをくれるひと。
「……あなた、だあれ?」
忘れられても良い。何度だってやり直す。どれだけ時がかかろうと構わない。
「俺の名前はアラスター。アラスター・ウォレム・アーチボルト。――貴女の名前を教えてくれないか? 美しいひと」
「私は――――」
「……わたしは、サクラ」
「あの花の名前か……」
ゆりの小さな呟きが風に乗ると、アラスターの記憶の中で薄桃の花弁が一斉に舞い上がった。教会の中庭に咲いていたその花を、アラスターは彼女と共に見たことがある。
「私の名前の由来を知ってるの? この名前は、シオンが付けてくれたの」
「ああ。知っているとも。貴女のように美しく、可憐で儚い花の名だ。……良い名だ。サクラ」
そう言って跪くアラスターの形の良い唇が“サクラ”の名を紡ぐと、彼女は突然ぼん!と顔から湯気が出たように真っ赤になってアラスターの手に乗せられた自らの手を引っ込めた。
「あ、あ、あの、……ごめんなさい!!」
そう言ってそのまま、ゆりは彼の前から逃げ出した。
「……シオン!」
「どうした」
「い、今ね、外に……。――――王子様みたいな人がいたの」
突然家に逃げ込むように帰って来たゆりが発したその言葉に、エメは目を丸くした。
「何を、された」
「何も……。ただ名前を聞かれて、教えたら、褒められたの。素敵な名前だねって。シオンが付けてくれた名前が褒められて、嬉しかったの。そしたらね、にこっと笑ってくれて、そ、それで、」
「……もう、いい」
実年齢はともかく、今の“サクラ”は無垢な少女だ。まっさらで、恋すら知らない
その彼女が、頬を染めて、夢見るような眼差しで“王子様”などと。まるで急激に
コンコンコン
「わっ! ……し、シオン、どうしよう、どうしよう。さっきの人かもしれない……!」
そう言ってエメの後ろに隠れるゆり。だが背後から伺うように顔を覗かせる彼女の瞳には、明らかに期待の色が滲んでいた。
エメは苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちすると、ドアを開ける。するとそこに立っていたのは、彼も予想だにしなかった人物――狼将軍・アラスターその人だった。
「アーチボルト、卿……!」
「久しいな、『閃光』の。今は……シオン殿か」
アラスターは以前エメの素顔を見たことがあるためか、はたまた事前に情報を得ていたからか、目の前の金髪の青年に驚きはしなかった。
「アンタが、何故」
「そんなの決まっているだろう。ゆり……違うな。サクラに会うために来た」
「評議会の役職のアンタが……?」
「俺は、職を辞した」
「……!」
エメが驚きに声を失っていると、そのやりとりをやや落ち着かない様子で見守っていたゆりがそわそわと背後から声をかける。
「ねえ、シオン。その人を、おうちに入れてあげたら? シオンの、お友達なんでしょう?」
エメは再度舌打ちすると、くるりと部屋と中へ踵を返す。
「――入れ。サクラ、客に水を出してやれ」
「うん!」
ゆりが笑顔でキッチンへ駆けて行くのを見守ると、エメはどかりと正面のダイニングテーブルの椅子に座る。アラスターは外套を外すと、その向かいに腰掛けた。
「……少し雰囲気が変わったな」
「ユリは、記憶を失くした。元の世界の記憶も全部忘れて、今は子供のようなものだ」
アラスターはエメの印象を語ったつもりだったが、彼の回答に対して特に言い返したりはしなかった。
「……此処が、どこから漏れた」
「一月程前、たまたまこの町に寄港したミストラルのフレデリク王子がゆりと接触した」
「…………」
やはり、あの時の直感は間違ってはいなかったのだ。エメは三度目の舌打ちをする。二人の間に僅かに緊張が走ったところに、ゆりが盆にコップを二つ乗せてよろよろと戻ってきた。
「シオン、お水どうぞ。――お客さんも、どうぞ?」
「ああ、すまない。サクラ、俺のことはアランと呼んで」
「……アラン……。あっ」
コップを渡す手と受け取る手が重なり、ほんの僅かに指が触れた。その途端にゆりは真っ赤になって俯いてしまう。アラスターがそのあまりにも初々しい様子に目を側めていると、エメがかつん、と自らの前に置かれたコップを指で弾いた。
「サクラ。……水を、飲むか?」
「うん!」
エメが声をかけると、ゆりはパッと笑顔になって彼の席の横に回り込む。木のコップに入った水は二つしか用意されていない。アラスターが二人の会話の真意を理解できずに見守っていると――
コップの水を呷ったエメが突然、ゆりの顎を掴んで口付けた。ゆりの喉が動き、口の端から雫が滴る。そのまま口移しで水を与えられ、ゆりが嫌がるでもなく受け入れているのを見せつけられて、アラスターはその淫靡な光景に我が目を疑った。
永遠のような一瞬が過ぎ去り、二人の口が離れる。その間に銀糸が引くのをアラスターが目を離すこともできずに固まっていると、ゆりは小首を傾げきょとんとした表情で彼を見返した。何故アラスターが驚いているのか見当もつかないといった様子である。
つい先程、指の先が触れ合っただけで真っ赤になってしまった女性とは同一と思えないその行動に――そしてその行為があまりに無邪気に行われたことに、アラスターは言葉を失った。
エメはフンと鼻を鳴らすと意味ありげにアラスターを一瞥した。そしてゆりの口の端を指で拭うと、優しく囁いた。
「サクラ。この客に、花冠を作ってやったらどうだ?」
その言葉に、ゆりは暫し考える素振りを見せ……にっこりと満面の笑みで微笑んだ。
「うん! わかった。じゃあちょっと外に行ってくるね」
そのまま振り返ることもなく、ぱたぱたと外へ駆けて行ってしまう。アラスターが呆気にとられていると、エメがふんぞり返るように椅子に座り直した。
「サクラは、自分で水を飲めない。一人で湯浴みをすることもできない。湖に沈められた後遺症で、安らかに夜を過ごすこともできない」
「……!」
「サクラはオレがいなければ、生きられない」
「……それは、貴様の方だろう。ゆりを自身に依存するよう仕向け、彼女の自立を阻んでいる」
「サクラはオレのもの。オレの、女だ」
「……港町でも夫婦だと触れ回っているようだが、正確には違うな? この町の住民台帳を閲覧したが、貴様とサクラは夫婦として登録されていない」
「この国では婚姻には、教会で誓詞を交わし、証人を立てる必要がある」
「それに何より、貴様はまだゆりを抱いてはいない」
「……アンタに、何がわかる」
「わかるさ。匂いで。それに――。あれだけ
その問いに、エメはまるで痛みを堪えるようにぼそりと返した。
「……アンタは。アンタは出来るとでも言うのか? サクラを、ユリを――苦しみから救い出して、解放することが」
「わからん。だが――。俺は、ゆりを愛している。彼女がサクラであってもはそれは変わらない。彼女が選び歩む道を、俺は隣で歩みたい。彼女の苦難を、遠ざけるのではなく共に苦しみたい。彼女が真に自由意思で貴様を選ぶと言うなら、祝福もしよう。だが少なくとも今の状態は、健全でない」
「……なら、やってみせろ。ユリを、救ってみせろ」
そう吐き捨てたエメの顔には、諦めと、嫉妬と、焦りと。それに絶望と希望がない交ぜになり、複雑な影を落としていた。
そうして、アラスターにとっては二度目の、サクラにとっては初めての恋が始まった。
最初の一週間、アラスターはただ二人の家にやって来て談笑して帰ってゆくだけだった。
エメは複雑な心境だったが、“やってみせろ”と詰った手前、彼の訪問を拒否することもできなかった。始めは少し緊張していたゆりも、すぐに打ち解けてエメに対してと同じ屈託のない笑顔を見せるようになった。更にアラスターがサントアイレに住居を借りて住むようになったと聞くと、ゆりはうれしそうにはにかんだ。
そしてその後も、アラスターは一日も欠かすことなくゆりの元へ通い続けた。
八日目、彼はゆりに、もらった花冠が枯れてしまったのだと告げた。
ならばもう一度作ろうとゆりはアラスターの手を引いて草原に出た。彼を花畑へ引っ張って行ったところで、彼女は彼と手を繋いでいたことに気付いて赤面する。アラスターは優しく笑うと、ゆりに白詰草で指輪を作って差し出した。彼には妹がいて、昔はよく花遊びをしたのだと言う。二人は互いの花冠を作って贈り合い、土産にエメの分の花冠も作って帰った。
それからの二人は、草原を歩き、時折座って町を眺めては、とりとめのない話をして過ごした。
十五日目、彼はゆりへ一緒に町へ行かないかと誘った。
ゆりが戸惑いながらエメを見ると、エメは勝手にしろ、と承諾する。二人は連れ立って町へ下り、気ままに散策した。ゆりは何度もこの町を訪れたことがあるが、大抵はエメに伴われた必要最低限の滞在だったので、見るもの全てが新鮮に映った。
散策の途中でアラスターは、この辺りの名物であるルルド椰子のジュースをゆりに買い与えた。ゆりが飲み方がわからずに困惑していると、彼は店員にストローを頼む。不器用にストローを頬張り思いっきり吸い込むと思わず
そうした経験を積み重ねるうちに、彼女はいつの間にか問題なく水を飲めるようになっていた。
三十日目、前日と同じく二人で町へ下りると、アラスターはゆりを浜辺へ誘った。するとゆりはこの時初めて、彼の誘いに難色を示す。海を遠くから眺めるのは好きだが、近寄るのは恐ろしいのだと。
アラスターは無理強いせず浜辺へ続く町の石畳の階段の端にゆりを座らせると、砂浜に下り、暫くしゃがみ込んで何かを探していた。やがて、何かを拾い上げるとゆりの元へ戻って来て、その小さな掌に乗せた。それは薄桃色の小さな貝殻。
ゆりが目を輝かせながらそれを日に透かすと、内側は光を反射して虹色に輝いた。
「これは、西の海でしか獲れないこのあたりの特産の貝だな」
「アランは、何でも知っているのね!」
「……そうでもないさ。俺にもわからないことはたくさんある」
「そうなの?」
「そうだな。例えば女心は、さっぱりわからんな」
「私は、アランが好きよ! ……あっ」
満面の笑顔で答えたゆりは、すぐに口を押さえて俯いた。黒髪の隙間から覗く耳朶は真っ赤に染まっている。隣に座ったアラスターがゆりの髪を耳に掛け、俺もだ、と囁くと、ゆりは恥じらいながらも嬉しそうに微笑んだ。
その日から暫く、ゆりは浜辺で貝殻拾いに熱中した。そしていつの間にか、足下に波が打ち寄せても恐れることは無くなった。
四十日目、ゆりはアラスターの前で、毎晩魘される悪夢について告白した。
話しながら知らずのうちに震えていたゆりの身体を、アラスターは優しく抱き締めた。背を撫でて、落ち着くまでひたすら大丈夫、と伝えてやる。それはいつか、ゆりが孤独に押し潰されそうになった彼の身体を抱き、慰めたのと同じやり方だった。
「サクラ、俺の目を見なさい」
そう言われて見上げると、彼の薄金の瞳の中には二人のゆりが映っていた。
「俺の眼は満月。いつでもそこにあって、貴女の側にいる。例え分厚い雲の向こうでも、昼間遠い空にあっても。いつも俺の心は、貴女と共にある。……だからサクラ。悪夢を見たなら、俺を呼びなさい。俺は貴女の憂いを払う剣になり、貴女の盾になるから」
「夢の中で呼んだら、アランに聞こえる?」
「ああ。俺は耳が良いんだ」
「夢の中で呼んだら、私が何処にいるかわかる?」
「ああ。俺は鼻が良いんだ」
「夢の中でアランに会えるなら、夢を見るのが楽しみ!」
満面の笑みを浮かべたゆりに、アラスターの瞳の満月は細められた。
「ああ。俺もいつも……貴女を夢に見ているよ」
その日の夜も、いつものようにゆりは魘されていた。だがエメがそんな彼女の様子に気付き汗を拭ってやろうとした時――ゆりは突然、がばりと跳ね起きた。
「アラン!!」
そう叫ぶと、突然起き上がって窓辺に駆け寄り、両開きの硝子戸を押し開けた。
空を見上げると、ちょうど月にかかっていた雲が流れ、形の良い満月が
「アラン、本当に居てくれるんだ……」
そう言って窓を開け放ったままふらりと元居たベッドに戻ると、また意識を失ったように眠りに落ちた。そしてそのまま魘されることはなく、翌朝まで目覚めなかった。
彼女が悪夢に晒される日は、一夜、また一夜と次第に減って行った。
六十日目、アラスターはゆりに白い薔薇の花束を送った。
その日は聖ローザの日。古の聖女・ローザが、戦時中の恋人達の婚姻を推奨し祝福したとされる日である。
花束を受け取ったゆりは胸いっぱいに薔薇の香りを吸い込むと、その花弁のひとつを慈しむように撫でながら呟いた。“今日の薔薇は、青じゃないんだね”と。
「ゆり、覚えているのか……?」
アラスターは以前、ゆりに青い薔薇の花束を贈ったことがある。しかしそう言われて“サクラ”は、ただ困ったように微笑むだけだった。
「私、何も覚えてない。アランが好きになった私は、ここにいない。私は、私がうらやましい」
その儚い笑顔を見ていると、アラスターの中に得も言われぬ感情がこみ上げる。彼は堪えきれず、これまでの紳士らしい穏やかさをかなぐり捨てるように力強く彼女を抱き締めた。
「俺は、貴女を愛しているんだ。ずっと前から。前よりずっと――――!」
アラスターの腕の中、花束を握った小さな手は、おずおずと彼の身体に回された。
「もし貴女が本当に記憶を取り戻したいと望むなら、俺は――。……いや、何でもない……」
彼の大きな身体が益々愛しげにゆりを包むと、彼女はそれに応えるように控えめに服の裾を握り返した。
そして百日目。
アラスターと“サクラ”は、夕焼けに染まる海岸で初めて口付けを交わした。ほんの少し唇が触れ合うだけの、初々しいキス。
だがその直後、ゆりはぼろぼろと涙を零して泣き出した。私は今、とても悪いことをしている、と。
「だって私は、シオンの奥さんなの。この間お魚屋さんのおばさんに言われたの。『最近いつも一緒にいる、獣人の剣士様は誰なの』って。だから私、アランは私の好きな人よって教えたの。そしたらおばさんはすごくびっくりした顔で、『シオンさんがあなたのご主人なのかと思ってた』って。――ごめんなさい。私、知らなかったの。夫のいる人は、誰かを好きになっちゃいけないんだって。でもどうしよう。私……アランのことを、好きになっちゃったの」
言葉だけを聞けばとんでもない悪女の台詞だが、恐らくゆりの言いたいことはそうではなかった。
彼女はわからないのだ。親愛と恋情の違いが。
「サクラ……。貴女は“夫婦”が、どういうものだか知っている?」
「一緒に暮らしていることが、夫婦でしょ?」
「……ああ、そうだ。だがそれだけでは夫婦とは呼べない」
「私とシオンは、夫婦じゃないの??」
その答えは、自分ではなくエメの口から為されるべきだとアラスターは思った。
「彼に聞きなさい。きっと――真実を、教えてくれるはずだから」
――
だが、家に戻りアラスターに言われた通りを実行したゆりに、エメは激しい怒りを露にした。
「オレがアンタの夫だ。それに、何の問題がある? オレはアンタと、アーチボルトが毎日会うことを認めている。それでもアンタは、オレの、オレだけのものだ」
「シオンが好きよ」
「なら、どうして」
「シオンの好きと、アランの好きは違うの。シオンの好きは、特別なの。でもアランの“好き”は――もっと特別。たった一人なの」
「まやかしだろう!!!!」
エメは立ち上がると、それまで座っていたダイニングの椅子を力任せに蹴り付けた。
「どうせアンタは、ユリであってユリじゃない。いつ消えてしまうかわからない仮初めの存在だ。アンタが消えれば、“シオン”のことも、アーチボルトのことも忘れてしまうくせに!!」
“サクラ”は暫し驚いたような顔をして――それから哀しげに瞳を伏せた。
「……知ってるよ。私の本当の名前はサクラじゃないって。でもそしたら、この気持ちも全部嘘なの……? シオンがくれて、アランが育ててくれたこの想いも、全部いつか消えてしまうの? ――じゃあ、今シオンが見ている私は、一体誰?? アランが“愛してる”って言ってくれたのは??」
「アーチボルトが見てるのは、アンタじゃない!!」
――違うんだ、
激情に任せて、彼女の心を傷付ける言葉を発してしまったことはわかっていた。しかしエメは、己の本当の胸の内をそのまま素直に言葉に乗せられる程器用ではなかった。
ぱりぱり、ぱりん。
エメが黙って拳を握って俯いていると、突然何かがひび割れる甲高い音がした。
エメが顔を上げた次の瞬間、とてつもない爆風が巻き上がり、ダイニングテーブルごと彼を壁に叩き付けた。
「っっ!?」
突如部屋中にむせかえるような大輪の薔薇の香りが充満した。それは、かつてエメ達を惹き付けて止まなかった彼女の魔力の匂い。
魔力はうねりとなって、彼女の周囲に分厚い大気の壁を作り出した。
「サクラ――!?」
ぴしり。
何かにひびが入る音がする。すると彼女の左腕が、突然刃物で傷つけられたように裂け、血が吹き出した。
ぴしり。
次は右太腿が。勢い良く血が吹き出し、魔力の障壁がそれを巻き上げ、ゆりの周囲は赤黒い渦に飲み込まれた。
それは怒りとも哀しみともつかない、さながら血の涙のようだった。そこで漸くエメは気付いた。
先程の甲高い破砕音は、彼女の心が割れてしまった音なのだと。
ぴしり。ぴしり。
彼女の心が悲鳴を上げ、その度に別の箇所から新たに血が吹き出す。
「サクラ!! ……ユリ!!」
エメは彼女に近付こうとしたが、魔力の障壁は
エメが己の愚かさと無力さに唇を噛み、それでも彼女の元へ近付こうと僅かに体勢を低くした、その時。
「おおおおおお!!!!」
自らを鼓舞するような叫びと共に、長剣の柄で窓を割りアラスターが部屋へ飛び込んだ。アラスターは一瞬の躊躇も無く、そのまま赤黒い魔力の渦へ身を躍らせる。
魔力の風はとてつもない抵抗を生み出し、彼を拒む。なかなかその中心へ近付けない。刃となった風はぴし、ぴしと容赦なくアラスターの肌を切り裂き傷付けた。
「ゆり!! 受け入れろ!! 俺を受け入れろ!!!!」
そう叫びながら、アラスターが渦の中心へ手を伸ばす。既にその腕も頬も、傷付き血が滲んでいた。
「ゆり!!!!」
限界まで伸ばした右腕の先が、漸くゆりに触れた。するとアラスターは彼女を力任せに引っ張り出し、己の身体に抱き込んだ。他人を拒絶する魔力の刃が自らを傷付けるも厭わず、ゆりをただ力一杯抱き締める。
「ゆり。サクラ。貴女がどちらでも、どちらでなくとも、俺が愛した貴女はたった一人、貴女をおいて他にはいない……!」
その声が彼女に届いたのかはわからない。だが次第に魔力の渦は収縮して勢いを弱め、ある瞬間ぱたりと止んだ。
ぎゅっと目を瞑り衝撃に堪えていたアラスターが目を開く。すると、その腕の中にあったのは。
大量の赤黒い血溜まりと、その中で
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