if.運命の糸

 人生は一枚の衣服。運命は糸。

 運命とはあなたの纏う、たった一本の糸に過ぎないのです。


 でも、それでも。

 あなたがあの時、違う選択をしていたら。或いはほんの少しだけ勇気を持っていたなら。

 運命は引き寄せられ、あなたの人生を彩る色は変わっていたかもしれません。


 それは、ほんの小さな決断。

 しかし、それは運命。



 あなたは望みますか?運命の改変を――。






 愛馬に跨がり、評議会本部から騎士団の詰所へと向かうアラスター。その涼やかな美貌の眉間には、深い皺が刻まれていた。

 フレデリク王子からゆりの所在の報がもたらされ、彼は悩んでいた。

 記憶を失くし、小さな港町で静かに暮らしているらしいゆり。彼女の本当の幸せとは何なのか、と。



 “それを見定めることの出来る者だけが、彼女に会う資格があると思う。それが誰なのか……俺には、わからないが。貴方なら、ゆりにとって正しい采配をしてくれると信じている”



 ――彼女の幸せを見定めることの出来る者。彼女の幸せを心から願い、またそれを成す力の有る者。それは誰だ?


 ……そんなもの、俺しかいないに決まっている。この世に俺より彼女を想う者など、いようはずがない――。



 彼の中に、自然とひとつの答えがもたらされていた。まるで霧が晴れたように目の前が拓けた心地がする。ゆりを失ってからのこれまでの葛藤が嘘のように、その心は自然と前を向いていた。


「アラン、どうでしたか」

「レイン。俺は……騎士団を、辞する」


 詰所に戻ってくるなり開口一番のその言葉に、レインウェルは目を丸くした。


「……何があったんです? 順を追って説明して下さい」

「カテドキアの北で、ゆりが見つかった。どうやら記憶を失くしていているらしい。俺は彼女に会って、確かめなければならない」

「それを何故、貴方が」

「……俺は……ゆりを、愛してるんだ」


 アラスターの想いなど、レインウェルは愚か騎士団の団員全員――ひいては社交界の人間皆が知っている。だが彼が自分の想いをストレートに口にするのを聞いたのは、レインウェルですらこの時が初めてだった。

 レインウェルは銀縁の眼鏡をくいと眉間に押し付けると、目を瞑り嘆息した。


「そんなことは知っています。そして以前、貴方は彼女をさらって出奔することまで計画していた。……でも結局、それを実行には移さなかった。それを何故、今更と聞いているんです」

「……後悔しているんだ。死ぬ程」


 そう絞り出すように口にして、アラスターは耳を伏せた。


「俺はあの事件の日の日中、ゆりと北の湖を訪れていた。その時、あの場に違和感を覚えたんだ。原初派は勇者殿あいつを捕らえる結界を発動させるため、湖の周辺の地中に数百の魔力媒介となる魔道具を埋め込んでいた。その気配に、俺は気付いていた。だが俺は……それを、見逃してしまった。そしてゆりは、永遠に消えてしまったのだと思った」


 ゆりは死んだと、あの時誰もがそう思った。


「後悔した。死ぬ程後悔した。あの時、もう少し注意深くあれば、ゆりに死の恐怖を味わわせずに済んだかもしれない。いや、その前に――もしもあの時俺が彼女を拐っていれば、今頃彼女と暮らしていたのは俺だったかもしれない。『閃光』のが彼女を拐ったのだと聞いて、俺は……あいつを妬んだ」


 アラスターは拳を握り、訥々とつとつと語り続けた。


「ゆりの捜索も、ナオト殿は自ら旅立った。勇者という立場を捨てて。それに比べて俺はどうだ? この街から一歩も出ることなく、ただ安穏と騎士団の椅子に座っているだけ」


 アラスターは「女神の涙雨事件」から今日に至るまで最前線で指揮を執り続け、彼に出来る最善の方法を選択し続けた。だがその心の中に、ずっと燃える激情を隠し持っていたのだ。――それは“嫉妬”の感情。

 人の上に立つ者としてどんなに立派な紳士の仮面を被ろうとも、彼の本性は荒々しい狼そのものなのだということを、レインウェルは知っていた。


「貴方は敢えてこの街に残ったのでしょう。ギルドの情報を掌握し、大陸中に捜索の手を広げることができたのは、貴方の存在があったからだ」


 レインウェルの慰めは、紛れもない事実である。アラスターは謙遜するでもなく素直に頷いた。


「ああ、そうだ。そして彼女は見つかった。だから今こそ、俺は彼女に会わねばならない。俺は……。俺の想いのままに、生きてみたい」

「……またフラれに行くんですか?」

「さあな。俺自身の気が済むまでやるだけさ」


 レインウェルの辛辣な言葉に、目の前の男は肩を竦めてみせた。これはもう、引き留めるのは無理だろう。レインウェルはもう一度深く息を吐く。


「…………。わかりました。では今すぐ休職願を書いて下さい」

「俺は職を辞すと……」

「馬鹿ですか?」


 言葉遣いは丁寧だが、そこに含まれる棘には一切の遠慮がなかった。


「フラれた後、永遠に戻ってこないつもりですか? よしんば眠り姫を手に入れたとして、この街には帰らないつもりですか?」

「それは、わからん」

「良いですか、アラン」


 レインウェルは頭ひとつ分背の高い目の前の男を圧倒する勢いで詰め寄ると、びし、と人差し指を胸板に突き付けた。


「俺は今から、エリノアに正式に婚姻を申し込みます。こんな夢見がちな義兄の結婚を待っていたんじゃあ、エリノアが一番美しい時にウェディングドレスを着せられない。――いいですね? 三ヶ月後には挙式します。兄として妹の結婚に立ち会う気があるのなら、それまでにケリをつけて来て下さい」


 レインウェルは、アラスターが帰る場所と理由をこの地に残しておいてくれたのだ。そんな親友の気遣いに、アラスターは瞳を閉じると小さく微笑んだ。


「……ああ。覚えておくよ」

「どうだか。貴方は学生時代から、レポートの締め切りを守った試しがない」


 辛辣な物言いの中に、長年共に過ごした二人にしかわからない確かな絆があった。


「……ふ。レインウェル。我が友にして義弟よ。この街の守りは、任せた」

「団長代理にはトーヴェ副団長を推挙します。俺は人の上に立つのは得意じゃないので」

「良く言うよ。影で牛耳っているのはお前だろうが」

「影は影のままが都合が良いんです」


 そんな軽口を叩きながら。

 こうしてアラスター・ウォレム・アーチボルトは黒狼騎士団の職を辞し、旅に出た。たった一人の愛する女性に再び会うために。




 そして約一月の旅の後、ついに彼はサントアイレの町で運命の再会を果たすこととなる。



「ゆり」

「……?」



 彼女は港町を見下ろす丘の上、薄紫の花の海に囲まれて立っていた。


「……あなた、だあれ?」


 褐色の無垢な相眸が、じっとこちらを見つめている。アラスターは跪くと、彼女の手を取った。


「俺の名前はアラスター。アラスター・ウォレム・アーチボルト。貴女の名前を教えてくれないか? 美しいひと」

「私は――――」







 さあ、あなたも選ぶのです。

 あなた自身の運命を。




「私は、この人のことをもっと知りたい」


 →if.アラスタールート「眠り姫」へ



「私は、この人のことを知るのが恐い」


 →if.エメルート「新大陸」へ

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