第六十二話 オレを祝福してくれる?

「……また、討伐?」


 ゆりは自分の言葉に明らかに不満の色が含まれているのを感じ取り、慌てて口を噤んだ。


 ナオトが不死者アンデッドとの戦いから帰着してから、一ヶ月以上が経過していた。

 ここ最近、ナオトは数日に一度魔物の討伐に駆り出されている。ゆりがこの神殿にやってきてから、これまでにない頻度だった。


「ん。ま、こればっかりは勇者サマの仕事だししょうがないよね」


 あっけらかんとしたナオトの言葉に、しかしゆりは納得がいかず、疑問の言葉を口にした。


「最近、随分多いね……? しかもナオト、まだ呪いが治ってないし、本調子じゃないのに」



 ナオトの右肩で沈黙する不死の王アンデッドキングの接吻は、未だその解呪方法が発見される兆しがない。

 対象者の生命を脅かすという呪いの力そのものはゆりによって抑えられてはいるものの、ナオトの神獣人としての力は明らかに落ちていて、体力や怪我の治りなどの基礎身体能力が低下していた。

 更に、ナオトは決してゆりの前で口には出さないが、毎晩魘されているような節がある。日中欠伸を噛み殺し、うつらうつらとしているところをゆりは何度も目撃していた。



「魔物がやたら増える周期ってのがあるんだよね。今がソレなんじゃね?」

「教会には、ナオトの他に戦える人っていないの?」

「まあ……僧兵とか、あとエメみたいな奴とか、いなくはないけど」

「ドーミオさんとか……ギルドに協力してもらうわけにはいかないの?」

「ギルドの大元が評議会だってのは知ってる? プライドだけはお山のように高い教会がそんなことするはずねーし」


 それはゆりも最近知ったことだった。

 初めてナオトに会った時、教会からエメが、ギルドからはドーミオが同行していたのだが、それはどうやらとても珍しいことだったらしい。年に一回程、勇者の働きぶりを視察……もとい、監視する目的で評議会から討伐に同行者が付けられることがあるのだそうだ。エメは更にその同行者の監視、という役目だったそうなのだが。


「ナオト……本当に、大丈夫? 痛かったり、辛かったりしない?」


 ゆりの言葉に、ナオトは少し驚いたような顔をして……そして次に、優しく微笑んだ。


「オレにそんなこと聞くの、ゆりだけだよ」

「どうして? 当たり前でしょ?」


 眉をしかめるゆりの眉間をつつくと、ナオトはゆりの腰を引き寄せ抱き締めた。


「オレはさ、強いから。最強で、無敵だから」

「そんな……」



 確かにナオトは強いのだ。一介の冒険者が束になっても敵わない程に。

 でも実際には無敵ではないし不死身でもない。ナオトは神に限りなく近い存在だが、神そのものではなかった。そしてその中身はごく普通の……いや、普通よりも余程純粋で繊細な青年だということをゆりは知っている。

 ナオトの神獣人、或いは勇者としての力に頼りきり、何の疑問も持たずに全てを押し付ける教会の姿勢に、最近のゆりは不信感しか抱けなかった。



「勇者って……。もっと、祝福されるべき存在じゃないの……?」



『勇者』という響きは本来、人々に希望を与えるもののはず。こんな、便利屋みたいな都合の良い存在であっていいはずがないとゆりは思った。


 ナオトの抱擁は、想いを伝えてくれる前と変わらず少し強引で、でも優しい。これまでそれを自然に受け入れていたはずのゆりは、今となってはそれができなくなってしまっていた。ナオトの服の端を掴むと、抱き締め返す代わりに自分の額をぐりぐりとその胸元に押し付けるのが彼女の精一杯だった。


 そんなゆりの様子に目を細めながら、ナオトは自分に言い聞かせるように小さく呟いた。


「オレが勇者でなくなったら、何も残らないよ」

「……! そんなこと、」


 そんなことない、とゆりがナオトの言葉を否定しようとすると、ナオトは首を振り、ゆりの左手を取った。


「それに、ゆりが……。ゆりがいてくれるなら、オレはそれだけでなんでもできる」


 その手の平にはまだ包帯が巻かれている。ナオトは愛おしげにその手に頬擦りすると、まだ痛々しい噛み跡が残るその腕に口付けた。

 ゆりがくすぐったさと羞恥で身悶えると、煌めく黄金色の瞳と目が合った。



「ね、ゆり。オレを祝福してくれる? 行く前に……いいでしょ」



 それはキスの催促。駄目と言えるわけがなかった。

 肯定の代わりに目を瞑ると、ナオトの手がゆりの輪郭にかかる髪を耳にかけ、その頬に触れた。


「ゆり、好き……。好きだよ」

「わ……、わたしも……」


 勇気を振り絞り、小さな小さな声でゆりが応える。ナオトの耳がぶるりと震え、啄むようなキスを降らせた。

 初めは優しく確かめるようなキスが、やがて性急な吐息になり。待てないとばかりに顎を掴んでゆりの口を抉じ開けると、するりと侵入した舌がゆりの舌を絡め取る。


「ふ、ぅ……ん」

「全然足りないよ……。もっと、祝福して」


 口の内側を舐り、呼吸を奪い、卑猥な音を立てて唾液を吸うナオトの蹂躙は執拗に続けられた。



 このキスは義務だった。呪印を止め、ナオトの命を繋ぐための。

 それをこの一月で何度も繰り返し、ゆりは既にこれが恋人同士がするものなのか、そうでないのかがわからなくなっていた。

 ナオトはいつも、ストレートな愛の言葉でゆりを甘やかす。そして極上のキスをくれるのだ。するとゆりはもう、ナオトのこと以外考えられなくなってしまう。頭に沸いた疑問は流されるまま隅に追いやられ、甘い痺れに身も心も委ねてしまう。

 それはとても幸福で、同時にとても恐ろしかった。



 ――このキスがなくても、彼は私を好きと言ってくれる?

 私が彼のことを好きだと思うのは、欲望に溺れているからではないと言い切れる?

 彼から与えられるこの感覚が失われた時――一体自分はどうなってしまうのだろう?



 愛を知れば、強くなれると思っていた。

 だが、実際はその逆で。それを知れば。そして知りたいと思うほどにゆりは自分が頼りなく不確かな存在になってゆくような気がした。





「ねー、ゆり」

「……ぅん……?」


 漸くゆりの口を自由にしたナオトの問いかけに、酸素の足りていないゆりはぼうっとしたまま答えた。


「これ、取らないの?」


 そう言ってナオトが触れたのは、ゆりの鈍色の首輪――『魔力殺し』だった。


「他人の前では、特にナオトの前では絶対に取るなってテオくんが」

「あいつ……」


 ナオトは兎族の少年が意地悪そうに目を吊り上げて微笑む姿を想像して舌打ちした。


「私はこれを着けてると体調もいいし、なんていうか……落ち着くよ。ナオトは何か困る? 分けられる魔力が減っちゃってるとか?」

「いや……そうじゃないけど……なんつうか」



 ――物足りない。



 それがナオトの感想だった。

 身を焦がすようなゆりの匂いが、神獣人のナオトからしてもほんの少ししか嗅ぎ取れなくなっている。


「匂いがしないとさぁ……。ゆりが何処にいるかわかんないし」


 ナオトはそう言って耳と尾をしょんぼりさせると、ハァーと溜め息をついた。


「一人でいる時にこう……。よね」

「えっ」


 まあいっか、どうせそのうち……、とボソボソ呟くナオトを見て、よくわからないけど絶対に外さないようにしようとゆりは思った。

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