第四十八話 今日をなくしては
王族からの誘いを、おいそれと断ることもできない。ゆりはフレデリクの手を取った。
アラスターが複雑な表情で数歩離れると、待ってましたとばかりに女性陣が殺到する。仕方なく踵を返して会場の隅に歩き出すと、こんもりとした人の塊がそれに続いた。
束の間の小休止が終わり、先程の調子とは違う明るく愉しげな音楽が始まれば、そこはもうフレデリクとゆりの世界だった。
アラスターの護るように繊細なリードとは違う、大胆かつ力強いフレデリク。その所作は男らしいが王族の品格を確かに持ち、眩いばかりの笑顔は人を惹き付ける魅力に溢れていた。
上質なシルクの銀のコート。ネクタイとジレは瞳と同じ紺青色で、偶然にもゆりのロイヤルブルーと合わせたかのようにお互いを引き立てた。
「きみとこうして踊れるなんて、本当に夢みたいだ」
そう言って本当に嬉しそうに笑う。
生まれつきの王者として振る舞う自信に満ちた言動とは裏腹の、フレデリクの少年らしい一面はゆりをどこかくすぐったい気持ちにさせた。
「俺が王族だと黙っていたこと、怒っている?」
“イエスともノーとも言ってはいけない”
ゆりはアラスターのその言葉を頭の片隅に置きつつ、小さく首を振った。
「驚きましたけど……同時に納得もしました」
ゆりが少々強引だ、と感じたフレデリクの言動は、それが王族ゆえのものだと知ればむしろ実直で好ましかった。彼は裏表のない性格なのだろう。
ゆりがくすりと笑みを漏らすと、フレデリクは一瞬驚き、次に顔を赤らめた。
「やっぱり天使には……笑顔が一番似合う」
そう言われて、腰に回した手に力が入る。
もっと色んなことを根掘り歯掘り聞かれると思っていたゆりは、屈託のない笑顔で黙ってこちらを見つめるフレデリクの様子に戸惑いを隠せなかった。
やがて、華やかなフィナーレと共に二曲目は終わりを迎える。
ゆりが息を吐き、礼を取ってフレデリクの前を辞そうとする。
だが、フレデリクはゆりの腰に回した手も、右手首を握った腕も離そうとはしなかった。
「あの、フレッドさん……?」
「言ったはずだ。俺は今日、貴女を天に帰しはしないと」
――まずい。困った。
ゆりは慌てて身を捩ろうとするが、周りの目もありあまり強引にはできない。
フレデリクは至極真面目な顔でゆりを見て、態度を変えることは無さそうだった。
このままでは三曲目が始まってしまう。
夜会において同じ男女が二曲以上ダンスを共にしないのは――はしたないとか、周りが見えていないとか、恐らくはそんな意味だった。
例外的に婚約者や夫婦同士はそれが許されているが、独身の男女が二曲以上を踊るというのはつまり、特別な関係であることに他ならなかった。
アラスターは自分やゆりの立場を弁えて次に譲った。
だが、フレデリクはそれをしなかった。
「フレデリク殿下、お手をお離し下さい」
「それはできない。今日をなくしては、きみと近付くことは叶わない」
ゆりとフレデリクの様子を怪訝に思ったのか、小さなざわめきが周囲に広がる。
そして、それをかき消すように壮大なファンファーレの三曲目が始まった。
「すまない。きみをもう、手放したくないんだ」
フレデリクがそう言って、ステップを踏みながらゆりの頬に自分の頬を触れさせた。日に焼けた銀髪が鼻をくすぐる。
ゆりは諦めてこの一曲は大人しくフレデリクの腕に収まることにした。
これまでの言動から、何故かこの王子は自分との間に運命めいたものを感じているらしいということは、いくら鈍いゆりでも気付かざるを得なかった。
この曲が終わったら、なんと言われても抜け出そう。元より、私には落ちるような評判なんてないけれど……。
ただ、王子との関係を誤解されてしまうのは困る。
ゆりは荒々しい夜の海に漕ぎ出した小舟のように、ただフレデリクの作り出す音楽の波に翻弄され、揺られていた。
そして三曲目の終わり。
「フレデリク殿下、私……」
弦の響きが華麗なフィナーレを迎えるや否や、ゆりは慌ててフレデリクから離れ、この場を辞すことを切り出そうとした。だがフレデリクは落ち着いた様子でゆりの唇に自分の指を押し当てると、そっとその言葉を奪い取った。
そうやって彼女を一瞬この場に留めることに成功したフレデリクは、ゆりの白い右手を恭しく掲げると、その場に片膝をつき跪いた。
「殿下、何を……!」
会場が
流石のゆりも、この後フレデリクが何をしようとしているのか察した。
それは恐らく、愛の告白。
駄目だ、言わせてはいけない――。
しかし、フレデリクから発せられたその言葉は、ゆりの想像を上回るものだった。
「ゆり。天から落ちてきた俺の天使。
俺の妻になって。――そして、一緒にミストラルに来て欲しい」
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