第三話 抱きまくらでいいから
白いローブに身を包んだ
ここは、ブリアー自由諸国連合。中心都市モルリッツから旅慣れた冒険者の足で数日という距離にある森の中である。
ここにはヒトに近い肉体に獣の特性を併せ持つ獣人という種――エメもそうらしい――がおり、人間と共存共栄しながら魔族や魔物の脅威を退け暮らしている、らしい。
――そんな地名、学校の授業でもニュースでも聞いたことない。獣人って、狼男みたいに満月の夜に動物に変身する人のこと?
それともエジプト神話の神様みたいに人間の身体に動物の頭がくっついてる人のことかな??
魔物とか魔族って、聖書に出てくる
次から次へと沸きだす疑問は言葉にはならず。
黙りこむゆりの様子にとりあえず一通り質問は済んだだろうと見なしたのか、エメは静かに立ち上がると懐からゆりに着替えを差し出した。
ここに来たときにゆりが身につけていたエプロンとTシャツはナオト――エメが言うには万年発情期の馬鹿猫――にボロボロに破かれてしまい、最早服としての用を成していなかった。それにゆりの汗の染み込んだ服の発する香りは、またナオトを変な気持ちにさせるかもしれないから、と言われた。
何の装飾もない簡素な貫頭衣に袖を通すゆりの頭は未だ混乱の真っ只中で、ただ言われたままをこなすことしかできなかった。そして着替えが済めば、エメはひんやりと白い手でゆりの手を引き、少し離れた場所で野営の準備をしていた仲間の下に彼女を連れていった。
――紹介された人物は二人。
ナオト。赤銅色の髪に、猫科の耳と尻尾を持つ猫獣人。やはり最初にゆりを襲った獣は彼だったらしい。何故か今は手近な木の幹にぐるぐる巻きに縛り付けられている。
ドーミオ。ゆりを恐怖で失神させた、スキンヘッドに強面の大男。熊のような巨大な体躯だが、獣人ではなく人間らしい。
エメが二人にゆりのことを「召し人のヤナカ」と紹介したので、その時だけは、「矢仲は名字でゆりが名前です」と、小さく説明した。
強面のドーミオが「おう」と相づちを打つと、ゆりの身体が一瞬緊張で固まる。それを知ってか知らずか、ドーミオは武骨な手で火に掛かっていた鍋からスープらしきものを器によそうと、そっと差し出してくれた。
「ねーねーゆり! ゆりは本当に召し人なの? どこから来たの? 歳はいくつ?」
召し人。若しくは、訪問者とか、落とし人とも。
この世界では、どこか遠くの、こことは別の何処かに住んでいたはずの人間が突然降って来たように現れることが稀にあるそうだ。
つまりゆりは召し人で、ここには日本なんて国はどこを探しても存在しない。獣人が闊歩し魔物が跋扈する異世界が、今のゆりに与えられた現実だった。
「ゆり! オレはナオト。勇者サマって呼んでね! 世界最強、無敵の男だよ。あと、あっちの方もスゴイって評判だよ? あ、ねえ、匂い嗅いでいい? ふあ~~~」
「ナオト、勝手に拘束解いてんじゃねえ。つか触るな」
帰る方法は、ない。少なくとも彼らが知る伝説や過去の歴史の中に、召し人が元いた世界に戻ったというものはないそうだ。
「んはぁ~~! めっちゃイイ……スンスンスン」
「おいナオトやりすぎだぞ!」
もう、帰れないんだ……。
ぽとり。
あまりに信じ難い現実に絶望したゆりの瞳から、涙が流れ落ちる。
「おら! 泣かしてんじゃねーか! 離れろ!」
「あぐっ……。うぐっ、ひっく。ドーミオさん、ちが、違いますっ。わたし、もう、帰れない! どこにも行く場所がなくて! それでっ うっ、うぐ……」
「嬢ちゃん……」
一度涙が溢れだすと、もう自分でも止められない。
ゆりがぼろぼろと涙をこぼしスープの椀を持ったまま嗚咽を漏らすと、いつの間にかぐるぐる巻きの拘束から抜け出してベタベタとゆりにまとわりついていたナオトをドーミオが乱暴に引き剥がし、ポイと捨てた。そしてそのゴツゴツとした大きな手が躊躇いがちに、ゆりの頭を撫でた。
このドーミオという男、絶対に堅気には見えない筋骨隆々の見た目とは裏腹に、意外と面倒見のいい性格らしい。
「エメ、教会の古文書にも帰る方法は載ってねえのか?」
「さあ……。ジブンは専門外、だから。神殿に戻ったら、聞いてみてもいい、けど。でも、あんまり期待しない方がいい、と思う」
「そうか……」
気まずい沈黙の中、ゆりが涙を堪えようとしてしゃくりあげる声だけが響く。
そんなゆりの前にいつの間にか復活したナオトが再び現れると、座り込むゆりの横にぴったりと寄り添うようにしゃがみこみ、その泣き顔を覗きこんだ。
「ゆり~、泣かないで。オレのとこにいればいいから!」
「ナオト、さん……」
「ナオトでいいって! ね? オレのところにいれば、勇者で最強だからいつでも守ってあげられるし、テクもサイコーだよ? 天国見せてあげるから!」
「ナオトおまえな……!」
オレのとこにいればいいから。
混乱し、絶望したゆりの心の中に、不思議とすとん、とその言葉は響いた。
そう言ってもらえたことに余程安心したのか、泣き腫らした顔を小さく綻ばせたゆりには、後半の言葉は耳に入ってなかった。
「ううっ、ぐすっ。ありがとうございます。でも私、この世界のこと、何も知らないし、役に立ちません……」
「そんなことないって! たまにオレの性欲処r「ナオトてめえ歯ァ食いしばれ!!!」」
ドーミオの重い拳をひらりとかわすと、ナオトはゆりの頬を伝う涙を一筋、ぺろりと舐め取った。
「じゃあ、抱きまくらでいいからさ。……ゆりは涙も甘くて美味しいね」
ナオトは黄金色の瞳を意地悪く細めると、とびきり美しく、楽しそうに微笑んだ。
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