第二話 もしかして、召し人?

 何かあたたかなものが頭を撫でる気配に、ゆりの意識はぼんやりと浮上した。



 ああ、昔はこんな風に、毎日お祖母ちゃんが髪を梳いてくれてたっけ。


 ゆりが小学生の頃、毎朝大好きな祖母がゆりの髪を梳り、結んでくれていた。段々身体が弱るとそれも覚束なくなり、中学生の時に亡くなってしまったけれど。


 お祖母ちゃん、会いたいな――

 いつか死んだら、天国で会えるかな。……あれ、でももう私、死んだんじゃなかったっけ?

 そうそう。そうだよ。おっきな猫にガブっと噛まれて――?




「!?」


 ガバッと起き上がった拍子に、ゆりの額に載せられていた温かいものがずり落ちた。

 膝に落ちた濡れ布巾らしきものを見つめていると、隣から伸びた白い手が、それをつまんで拾い上げる。


「……目、覚めた?」

「え? あ、は、はい」

「そ。」


 急に話しかけられて挙動不審になってしまうゆりに対し、無表情で淡々と話すその声は、低めのアルトだった。



 ――男性? いや、女性?



 ゆりは、目の前の白尽くめの人物の全容が掴めず混乱した。その人物が真っ白なフード付きローブを目深に被っている上に、男性とも女性ともつかない中性的な妖しさを放っていたからだ。

 フードから微かに覗く紫の瞳には、金の髪が房掛かっている。肌は青白いほど白く、その細長い指は優美で女性的だったが、纏われた冷然たる雰囲気は男性を思わせた。


「あの、助けて下さってありがとうございます……?」


「ドーミオが、馬鹿猫アイツからアンタを引き剥がした。ジブンは、アンタの髪や、身体を拭いた。アンタ、なんか……不思議なニオイが、するから。アイツが発情してたの、多分その、汗の匂い」

「え?! に、匂いますか!? すみません……!」


 アイツとは、先程ゆりに抱きついていた赤髪の猫男のことなのだろう。初対面の不思議な人物に、淡々とした口調で体臭を指摘され、ゆりは恥ずかしさと混乱で泣きそうになる。


「嫌な、匂いじゃない。甘くて、美味しそう……。アイツは、でトクベツ鼻が利く、から、刺激、強かったんじゃ、ないの」


 そう言って白尽くめの人物が口の端を持ち上げ唇を舐めると、先が二股に割れた紫色の舌がちろりと覗いた。

 それを見てしまったゆりはサーッと青ざめる。



 この人も、人間じゃない……? それに、シンジュージン??



 ゆりは目の前の人物が何者で、何のことを言っているのかさっぱりわからなかった。

 相変わらず状況は全く飲み込めないが、せっかく言葉の通じる人物に出会えたのだし、何か情報を聞き出さねばなるまい。

 覚悟を決めたゆりは、背筋をぴんと伸ばすと、白尽くめの人物に向き直り、正座をした。


「あの、改めまして、助けて下さってありがとうございます。私、矢仲ゆり……と、言います。差し支えなければ、お名前を教えていただけませんか……?」


「ヤナカ・ユリ……? ジブンは、蜥蜴族のエメ」


 相手のことを知りたければ、まずは自分から。

 そう決めて突然居住まいを正したゆりに驚いたのだろうか。白尽くめは少しだけ目を見開いてゆりを見ていたが、すぐに元の無表情に戻ると淡々とした調子で名を名乗り返した。


「トカゲゾクのエメさん、あの、ここは一体何処ですか? 私、どうやってここに来たのか自分でも全然わからなくて……。いつの間にか、気付いたらここにいたんです」

「ブリアーの、モルリッツの、西の森」

「へ……? えっと、何? お国の名前……?」

「だから、ブリアー自由諸国連合。


 ……ヤナカ。アンタ、もしかして、ーー召し人?」






「はあ~~~。ホント、イイ匂いだったなぁ~」


 宵の口。

 猫獣人ナオトは、野営用の荷の入った革袋を抱きしめながらうっとりと呟いた。キラキラと輝く赤銅色の髪に、黄金色の瞳。口元はだらしなく緩んでいるが、それすらスパイスとなって世のご婦人方の頬を染めさせる、極上の美男子だ。その耳は興奮にぴょこぴょこ跳ね、尻尾はパタパタとご機嫌に振られている。


「バカ野郎! だからって、いきなり襲いかかるやつがあるかよ」


 呆れた調子で応えた野太い声の主は、身長二メートルはあろうかという大男だった。

 スキンヘッドに刈り上げた頭に汗を滲ませながら、神妙な顔で夕食用の鍋をかき混ぜている。


「ドーミオは何も感じなかったの?」

「俺は人間だからな。まあ、なんか甘ったるい匂いがするような気はしたな」

「熊のくせに」

「熊じゃねえ!」


 正確には大男ドーミオの曾祖父は熊獣人なので、八分の一は正解だった。


「はぁ~。まじヤバかった。もう少しでオレの×××が×××××して××××しちゃうとこだったし」

「どんだけ下衆なんだよ!!」


 目の前の美男子が吐いたとは思えない下品すぎる言葉の数々に、ドーミオは頭を抱えた。


「おい、ナオト。それにしたってよ……お前、大丈夫なのか?」

「は? 何が?」

「昼間の魔物との戦いの後、急に獣化しちまっただろ。しかも走っていなくなっちまうしよ……」


 それで慌てて追いかけたら、見知らぬ女を襲っていたわけで。

 ドーミオの言葉を気にかける風もなく、猫獣人ナオトは能天気な声で笑った。


「あー、うん。ちょっと血を浴びて興奮したんじゃね? でもあの子の匂い嗅いだらさー、カラダはめっちゃ興奮するんだけど、キモチは不思議と落ち着いたんだよね~」


 やっぱオンナノコってサイコーだよね! というナオトのいい加減なまとめに、ドーミオはほんの少しでもこの男を心配したことを後悔した。

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