第一話 ヤラせてくれる?
幼稚園教諭・矢仲ゆりは、今、人生最大のピンチの只中にいた。
何故か鬱蒼とした森の中で目覚めたと思ったら、突如現れた謎の獣に襲われ、跳びかかられ、地面にしこたま打ち付けられたのだ。
その獣は今まさにゆりの両肩に前脚を押し付け、ふー、ふー、と顔に息がかかる程の至近距離で獲物を見下ろしている。
――ここはどこなの?! 逃げなきゃダメ、逃げないと!
必死の叫びは、声にはならなかった。
謎の獣――その姿は一見豹に似ている。が、しかし絶対的にそれとは違った。
自ら発光するかの如く艶やかな白金の体毛に、黒の斑。頭部から背にかけて赤銅色のたてがみが生えており、その瞳は宝石のような黄金色で、目の前の獲物を片時も逃がすまいとギラギラ輝きゆりを見つめている。
非力な自分にはどうすることもできない、圧倒的強者に本能が恐怖する。ゆりの肉体は緊張に震え、脳はしきりに警鐘を鳴らしている。だが、身も心も、地面に縫い付けられたかのように動かなかった。
もうダメ。食べられる。怖い。怖い。怖い。でも、きれい。
――なんで? 怖いのに、きれいで、目が離せない。
獣の黄金色の瞳が真夏の太陽のように力強く輝き、ゆりを捕らえて離さない。瞬きすらできず、呼吸さえ忘れそうになる。恐ろしいのに、美しい。
――どれ程の間だろうか。永遠かもしれない一瞬からゆりの意識を引き戻したのは、押し付けられた獣の重みに耐えかね悲鳴を上げた両肩の痛みだった。痺れた上半身が酸素を求め、ゆりの喉がひゅ、と小さく息を飲んだ、次の瞬間。
獣が突如、ゆりの服を胸元から喰い千切った。
「きゃあっ!!」
仕事用のうさぎのアップリケ付きピンクのエプロンは無惨に引き千切られ、咥えた口からポイと捨てられた。エプロンの下に着ていたTシャツも胸元が裂けてしまい、その隙間からゆりの白い肌が露になる。そこに、獣の温かく湿った息がかかった。
あ、死ぬんだ。
ついに喰われるのだと覚悟を決め、ゆりはぎゅっと目を瞑った。しかし、いつまで経ってもその
ゆりが、ん……?と薄目を開けると、その胸元からは。
「はぁぁ~~~なにコレ、これヒトの匂いなの?! なんで?! 超美味そうなんだけど!?」
場違いに軽い台詞が辺りに響く。
ギョッとしてゆりが目を見開くと、目の前にいた筈の獣は消え、見知らぬ男がゆりの腰をかき抱き、胸元に顔を埋めていた。
「ぎゃーーーーーーっ!!?」
この日一番の大声で叫ぶと、先程までの硬直が嘘のように、ゆりはバタバタと暴れてその男の拘束から逃れようとした。
「なに?! なに?! ヘンタイ! やだ! 離してっ!!」
「はぁ~~~たまんない……ヤバイ。何も考えられなくなってきた」
男はゆりの首筋に顔を押し付け、無我夢中でスンスンフガフガと子供のように戯れている。その赤銅色の頭には猫のような獣の耳が生え、長い尻尾がこれでもかとぴょんぴょん揺れて存在を主張している。
「ね、猫?! ぎゃあーーーっ!? やだ!! 助けて!! 誰かぁっ!」
男の肩を押し、頭を持ち上げ、足で蹴り上げようと必死にもがくものの、びくともしない。男は脇目も振らずにゆりの胸、首筋、脇まで鼻を突っ込んで匂いを嗅ぎまくっている。
「なんでこんなエロい匂いすんの?? はぁぁあ……これマジでヤバイって」
「し、知らない! 助けて!! 離して!!」
突如、ぴたり、と男の動きが止んだ。猫耳男はゆっくり顔を持ち上げ、ゆりを見上げた。
「――――!」
目と目があったその瞬間、ゆりは一瞬、息ができなかった。
明るい赤銅色の髪は、あの豹のような獣のたてがみと同じ色。頭に生えた獣の耳が意志持つ者のようにぶるっ!と震える。そして、ゆりを射ぬく黄金の瞳が、宝石のように爛々と輝いている。とんでもない美形だった。
なんて、美しい。
謎の感動と共に、ゆりは先程の恐ろしくも美しい獣がこの男と同一なのだと、本能で理解する。それまで感じていた恐怖が霧散するほど、男の顔は、その瞳は、美しかった。
ゆりが無言で息を呑むと、猫耳男は耳をへにゃ、と垂らし、悪戯っぽく目を細めてニヤリと笑った。
「……ねえ、こんなイイ匂いさせてるなんて、もしかして……誘ってる?」
「!?」
「キミ、なんでこんなとこにいるの? あ、ねえ、ちょっと――――ヤラせてくれる?」
「はあっ!?!?!?」
目の前の美形の笑顔から発せられたとは思えない下衆すぎる言葉に、ゆりは素っ頓狂な声をあげた。
「やら、やらせません!! 離してヘンタイ!!!!」
「そんなに暴れられると匂いが振り撒かれまくってホント理性振り切れそうなんだけど」
「いや! 離せっ!! 離れて!!!!」
「うんゴメン無理、諦めて?」
いやだいやだいやだいやだ! 犯される殺される!! 美形だろうがなんだろうが、無理なものは無理!!
目の前の男の言う通りに素直に貞操を諦めることなどできるはずもなく、ゆりが暴れもがいていると……。誰かいるのか!? と、やや遠くからこちらを伺う男の声が聞こえた。
「助けて! 助けて下さい!」
ゆりの切羽詰まった懇願に応えるべくか、慌てた様子でがさがさ、がちゃん、と草葉をかき分け金属音と共に現れた救世主は。
熊。
――ではなく、熊のように巨大な体躯に、背丈程もある大斧を担いだスキンヘッドの大男だった。
「おいナオトてめぇ何やって……って、嬢ちゃん?!」
ゆりは再び、失神した。
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