朗らかな第一声に反して、ロボットは男の言葉に一切の応答をしなかった。


 けれど、それは男も承知の上だ。この手の機械はもともと高度な反応ができるようにはつくられていない。彼らの機能はただふたつだけなのだ。


 ひとつは受付。店舗への来客に適切な応対をこなし、手順に従って店内の席へと案内する。飲食店にはなくてはならない役割である。


 もうひとつは――これもまた飲食店には不可欠な――『判定』であった。


 ぎゅいん、という駆動音とともに、機械の双眸が男を捉えた。ライトグリーンの走査光が男の全身にグリッド模様を描き、服装と容貌を簡易的にスキャンする。


「市民判定プロトコル、完了……」


 その冷淡な宣言とともに、ロボットの両腕が揃って男へと向けられた。乳白色の外装は次々に内部から分割され、黒く艶めいた銃口が露出する。男は嘆息した。


「あなたは貧困若年層、あるいは失業者と認定されました。あなたの推定資産、生産的価値は当店のお客様としての基準を満たしておりません」


 入店基準ライフランクを満たさぬ客に対する、入店拒否おかえりくださいのしるしだ。


「……それ、何度も聞いたよ」


 吐き捨てながら、男は慎重な動きで腰へと手を伸ばす。ベルトループに通し隠した、強化皮膜LANケーブル。鉛の分銅を仕込んだ片端をつまみ、静かにするすると引き抜いていく。


「ほかのお客様の迷惑となりますので、すみやかにご退出ください」


 機械の双眸が赤い警戒色を帯びた。店内天井から次々とガンカメラが出現し、一斉に男を威嚇する。

 ひとつ、ふたつ、みっつ……向けられた銃口は、少なくとも数えるのが面倒になる数だ。男はそれら目の前の戯画的な怒りを睨み付け、静かに吼えた。


「知るか。お客様はみんな神様だ!」


 同時に手首のスナップを目一杯に利かせ、ケーブルの先端を鎖分銅めいて投げつける。

 鉛の重量を携える先端が人型機械の首にぐるぐると絡みつくや、男は力任せにケーブルを引っ張り、機械を床へと引き倒した。


 途端、異状を察知したガンカメラが銃弾を斉射する。男は慌てて人型機械を持ち上げ引きずり、機体を盾に待合スペースの物陰へと転がり込んだ。足跡にやや遅れて、容赦ない弾痕が穿たれてゆく。


「あっぶねえ!」


 男はつかの間の安堵に息を吐いたが、胸をなで下ろす時間はない。

 事実、店内ではすでに斉射が止み、入れ替わりに蜂の羽音を思わせるプロペラ音が響きはじめている。警備ドローンが放出されたのだ。

 ドローンがここにたどり着くまでの猶予は僅か。それを過ぎれば、この身は過たず銃弾に貫かれる。


 腹は減ったが、命は惜しい。いっそ逃げるか? 男の脳内で赤信号と青信号がともに明滅し、思考が逡巡に塗りつぶされた矢先――


 ――――ぐううう。


 腹が、鳴った。

 そして、云った。


 ――――寿司が、食いたい。


 瞬間、思考が晴れ渡る。


 そうだ。俺は腹が減っているんだ。寿司を食うんだ。俺は寿司を食うためにここに来た。

 啓示のように現れた食欲は、たちまち男の脳内から躊躇の二文字を吹き飛ばした。


 勢い任せで受付ロボットの背面カバーを剥ぎ取り、露出した端子にケーブルを挿入。もう片端を懐のサイコロ電脳へと繋げ、スイッチを押し込む。

 半自動化されたハッキングが開始され、ロボットは死にかけの鶏めいて両腕をばたつかせ始めた。電脳から流し込まれる異物的思考に抗っているのだ。


 よし、と男は自動小銃を構える。電脳のハッキングプロトコルは程なくしてロボットの制御を奪い、それを踏み台に店内基幹システムへ侵入するだろう。


 それが叶えば、あとは食い放題だ。


 思わず湧いた唾を飲み込むや否や、蜂の羽音がより一層大きく響き、床面と平行に飛行するドローンが男の視界へと飛び込んできた。

 漆黒の機体は四枚のプロペラを絶えず羽ばたかせ、顔認識判定カメラと19ミリの銃口をゆっくりと男へ向けていく。


 緊張、そして空腹に揺れる視界のなか、男は躊躇なく銃爪ひきがねを引いた。弾丸はドローンの基幹部をかすめてプロペラを撃ち抜き、最初の襲撃者はふらふらと回転しながら床へ落下、停止する。


 男はちらとサイコロ電脳へ目をやった。徹底的に簡略化されたディスプレイには五つのドットが表示され、ハッキングの最終段階を示している。

 あと少しか。男が額の汗を拭ったそのとき、蜂の羽音がまた強く響き、耳元の空気を切り裂いた。


「……ッ!」


 反射的に飛び退きながら、黒いそれへと照準器を向ける。だが今や男を睨むドローンは一メートル以下の至近にあった。

 過たず銃爪を引き、撃墜する。しかし間を置かず、またも新たなドローンが出現する。その一機を堕とせば今度は二機、片方を撃ち落とし、もう片方を銃床で叩き落とせば三機。


 きりがない。

 男は銃爪を引きっぱなしにしての掃射で応じるが、それは悪手だった。ろくに狙いもつけずに放った銃弾が仕留めたのは一機のドローンだけで、残りの二機は何事もなかったかのように男へ狙いを定めている。


 心臓がひときわ強く鼓動した。数秒先の未来が脳裏に去来し、遅れて男は歯噛みする。


 ――ミスった!

 慌てて身を翻すけれど、それでも脳裏に焼き付いた最悪の未来は消えてくれない。それを証明するかのように、足下でガタリと不吉な音がする。

 見ればそこではロボットがもぞもぞと動き出し、不気味な顔と銃口とを揃ってこちらへと向けているところだった。

 ロボットは今再びそのカメラで男の顔を、風体をとらえ、幾つかのビープ音を重ね、そして――


「ごゆっくりお過ごしください!」


 遂にサイコロ電脳が六つのドットを表示して、店内のあらゆる警備システムが沈静化した。

 男を取り囲み殺戮の体制に入っていたドローンたちは老犬を思わせる従順さで

 次々と格納ポッドに帰還し、そこには撃墜されたドローンと倒れたロボット、腹をすかした男だけが残された。


「……わかればいいんだよ、わかれば」


 ひとりごちると同時に照明がダウンし、一瞬の間を置いて再起動する。コンベアが軋む音を立てながら回転しはじめ、カウンターに据え付けられた注文端末が次々に起動する。

 長らく休眠状態だった店舗が客の訪問を感知し、飲食店としての機能を取り戻したのだ。


 そして、また腹が鳴る。男はもう待ちきれないとばかりに手近なカウンターの丸椅子に陣取って、傍らに自動小銃を立てかけた。

 カウンター毎に設置されたタブレット型端末はすでに注文を受け付ける状態にある。どうやらまだバッテリーが機能しているらしい。

 自前の端末を使う手間が省けたな、とほくそ笑みながら、男は注文画面を眺める。握り、巻物、まぐろ、ひかりもの……いかなる品目も注文可能だ。


 ――やはり、この店舗はまだ


 よし、まずは玉子でも――と、指を踊らせた途端、男の背後でばたばたと忙しない足音が響き、


「すごい!寿司だ!寿司屋だよ!」


「回ってる!本物の寿司だ!」


 汚い格好の小さな人間が……もとい、三人の子供が店内になだれ込んできた。男の脳裏をキャンプで飼われる泥まみれの子豚の姿がよぎった。あれは何日前のことだったか。

 寿司屋というものを目にするのがはじめてなのか、それとも男と同じように空腹だったのか、あるいは両方か。なんにしても子供達は目を輝かせて店内のあちらこちらに手を触れ、目を巡らせ、そして男に目を留めた。


「よっ」


 手を挙げ、朗らかに声をかけた――つもりだった。少なくとも男としては。けれど子供たちは三人とも身をこわばらせ、恐怖の表情でその場に固まった。


 まずい。これはいけない。いや、他人に怖がられたところで男には別に何の不自由もないのだが、それでもまずい。これではせっかくの寿司の味が台無しだ。


 やむなく、男は傍らの自動小銃を軽く蹴倒した。害意がないことの明確な意思表示である。

 ところが子供たちは小銃が床に倒れるその音に驚き、なおさらに身を竦ませた。まるで逆効果だ。


(子供が相手だと、どうにも勝手を間違えてばかりだよな……)


 どうしたものかと嘆息していると、子供たちの背後、自動ドアがまた駆動する。それをくぐって現れた新たな人影に、男は瞠目した。


「……すまない。ご一緒させてもらってもよろしいだろうか?」


 男や子供たちとさほど変わらない薄汚れたコートと、穴だらけの袖から垣間見える強化プラスチック義手の左腕。それだけならば珍しくもない風体だ。

 こちらに突きつけられている銃もまた、驚愕には値しない。このご時世、初対面の銃口は挨拶みたいなものだ。軍のキャンプ跡でも漁ってきたのか、男のそれよりも品質がまともなのは羨ましい。


 だが、それよりも何よりも、男を動揺させたのは。


「――ママ!」


 ……女、だったことだ。それも子供たちの呼び名には不釣り合いなほどに若い。二十歳を過ぎているかすら怪しく、おそらくまだ男の半分も生きてはいまい。

 しかし向けられる銃口はぴったりと男の胸部を狙い澄ましている。鋭い殺気は若者に特有のもので、何をし出かすかわからない怖さがあった。


 男はゆっくりと両手を挙げ、今一度の緊張に息を吐きながら、この謎の相手に向けるべき言葉を探った。

 何を言ったものか。どう答えるべきか。というか何を言ったところで撃たれる可能性もある。言葉こそ丁寧だが、彼女にとってはそちらの方が間違いなく手っ取り早い。


 なら――いちかばちかで銃を拾い上げ、殺られる前に、なすべきをなすか。


 生存本能が一瞬後の未来を脳裏に描く。男は敵を撃ち殺し、子供たちは泣く。間違いなく飯はまずくなる。

 さて、どうするか――男が脳内で最悪の選択に手をかけたその時、


 ――わあ、と。子供たちが、毒気のない感嘆の声を上げた。


 右から左へと流れていくその視線の先には、皿に載った二貫の寿司が流れていた。ネタは玉子だ。男が先ほど注文したものだが、子供たちの襲来によってすっかり忘れていたらしい。


 前に向き直ってみれば、ママと呼ばれた少女もまた寿司に目を奪われていた。無理もない。自動ドアの外は荒野と銀色の杉林ばかりが広がり、食事はともかく料理など簡単にありつけるものではない。

 そう思うと折角選んだはずの最悪が何やら急にバカバカしくなり、男は今さらに当たり前のことを悟った。


 ――そうだ。みんな、腹が減っているんだよな。


「……まあ、その、構わないさ。よく云うだろ。食事はひとりより、みんなで取った方が楽しいって」


 驚くほど自然に口から出たその言葉は、正直な気持ちが半分、命乞いが半分の情けない台詞だった。

 けれど少女には伝わったのか、向けられた銃口がわずかに揺れて、澄んだ瞳が男をじっと見る。


「そうだよな?」


 重ねた問いからややあって、少女はようやく銃を下ろした。

 男は長く息を吐いた。空腹のままで死ぬなんて、何があっても御免こうむる。

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