飛躍するショコラ


 結星が『金丹狗玉きんにくたまランド』で景気良く豆をバラ巻いている頃。人生の予定を大いに狂わせている一人の若者がいた。


「花蓮様。お飲み物は何がよろしいですか?」

「えっと、コーヒーで」

「エクスプレス、アロンジェ、ノワゼットやクレーム、あるいはカフェグラッセもご用意できますが、いかがなさいます?」

「アイス、えっとカフェグラッセでお願いします——じゃなくて、あの、あのさ、斉子。えっと。なぜ、私たちは飛行機に乗っているの?」


 高坂花蓮は、それはもう非常に非常に切実に困惑していた。


 一時は外部も視野に入れた大学受験。最終的には担任教師の強い勧めが決め手となって、年内には内部進学先である聖カトリーヌ学院大学への推薦合格が決まっていた。


 入学手続きも済み、入学前準備講座と称する提出課題を日々実直にこなしながら、斉子とクリスマスを過ごしたり、初詣に行ったりと、穏やかに楽しく過ごしていた。


 ところが、2月に入って直ぐに高校の理事長室に呼び出され、意味の分からない激励を受けると、あれよあれよという間に、ほぼ身体ひとつでプライベートジェットなるものに乗せられて、今は遥か上空一万メートルにいる。疑問に思うのも当然である。


「それはもちろん、花蓮様が栄誉ある聖カトリーヌ学院大学の特別支援留学生に選ばれたからですわ」

「特別支援留学生? それって、津々木さんが利用した制度?」

「大学と高校では若干システムが異なりますけれど、基本的には同じ制度内での支援になりますかしら」


 高校の代表として津々木くららが選ばれたものの大学バージョンが自分に適用されたのだとしたら。彼女は、遠いブラジルにあるアパレシーダ聖母都市に旅立ったのだ。


「つまり、この飛行機は南米行きってこと?」

「いいえ、違いますわ。私たちは、フランス南西部にあるボルドー・メリニャック空港に向かっています。最終的な目的地は、アキテーヌ地域圏にあるコンフィズリー学園都市です」

「そこに交換留学先の大学があるの?」

「はい。しかし、まずは語学学校に入学して、大学入学準備のためのインテンシブコースに通います。フランスの文化や風習を学び、フランス語の公式資格ディプロムを取得するためです」


 そう聞いて、花蓮は少しだけホッとした。いきなり他言語圏に放り込まれて、言葉が通じないでは、いったい何を学べというのか。その懸念が解消されたからだ。


「よかった。まずはそこからだよね。フランス語は聖カトリーヌで基礎を学んだだけだから、大学の授業を受けるなんて無理だもの」

「入学予定の大学附属の語学学校ですから、受講レベルに達するまで安心して通えます。また、私の親戚の家にホームステイしますので、生活面でも万全のフォローをさせて頂きます」

「斉子の親戚がフランスにいるの?」

「はい。私の祖母がフランス人なので」


 これには花蓮も驚いた。

 確かに斉子は日本人離れした容姿をしている。栗色の髪にヘーゼルの瞳。手足はスラリと長く細いのに、女性らしいボディラインをしっかり備えた魅力的な体型。

 だけど、皇極家である。日本有数の歴史ある名家と聞いていたので、国際結婚をしているとは思わなかったのだ。


「斉子ってクォーターだったんだ」

「厳密に言うと少し違いますわ。皇極家は古来から自由恋愛を尊重する家風ですから、クォーターどころか、もっと沢山の外国の血が混ざってますのよ」

「へぇ、それは意外……でもないか。言われてみれば納得かも」


 非常に家格が高い家の出身な割に、斉子の考え方は保守的ではなく、庶民的な花蓮とも垣根なく接してくれた。おそらくそれは、国際結婚により様々な文化を受け入れてきたことによるのだろうと花蓮は思い至ったのである。


「私の正式な名前は、斉子・ド・ラフェ・ドラジェ・グラサージュ・皇極と申します。グラサージュが祖母の生家の家名で、ラフェ・ドラジェはその正式な分家を意味します」

「正式な分家……まあ、斉子だものね」


 やけに長い名前は、もしかして元貴族なのかな? と思わないでもなかったが、皇極家自体が日本の特権階級で貴族みたいなものだから、あえて聞かなくてもいいかと花蓮は思った。


「でもなんで留学することになったんだろう?」


 おかしいのである。何もかもが急過ぎた。こうなった原因が分からなければ、モヤモヤが払拭できないと感じるほどに。


『花蓮様は留学にご興味がおありになるの?』

『ううん。海外の寄宿舎生活なんて自分には無理だよ』


 以前、斉子にそう聞かれた時は、こう否定していた自分だ。だから、留学制度の利用申請なんて出していない。


「特別支援留学生なのですから、推薦入試の面接で意志を確認されていると思います」

「面接? ……でも留学なんて、えっ、あの質問?」


 花蓮は大学への推薦にあたって、特別待遇推薦、いわゆる特待生制度の対象者になっていた。これは、生徒会長を務め、カトリーヌの白薔薇であったからこその優遇措置で、学費無料、教材費無料、学生寮無料、生活支援費給付と至れり尽くせりな支援を受けられる。


 カトリーヌの白薔薇。つまり、制度の利用条件を満たしている者が学年に一人しかいないため、面接も他の生徒とは別の日に一人で受けに行った。学長を始めとする5対1の圧迫面接で、非常に緊張したのを覚えている。


『あなたは、学生に大層な人気だそうだけど、高校からの入学者です。たったの三年間で、聖カトリーヌの教えを、どこまで理解されていますか?』

『生徒会長選挙も自ら立候補を望んだわけではなく他薦だと聞いています。周りに流され易い性格だと指摘されたことはありませんか?』

『あなたは非常に魅力的な容姿をしています。人にも好かれ、成績も大変優秀です。保守的な当大学ではなく、選択肢が多い外部に進学された方が能力を十全に発揮できるのではないですか?』


 厳しい質問が続く中、予め提出していた志願書の内容確認に入り、流れの一環として留学希望についても触れてはいた。


『志願書の留学希望の欄に[無し]と書かれています。これは海外には行きたくないという意味ですか?』


 面接の場でそう聞かれて、まさか本音を曝け出せるはずがない。留学を考える余裕なんて精神的にも金銭面にも持ち合わせていなかった。日本以外の国がどうなっているのか気にならないと言えば嘘になるが、目先のことで精一杯だからぶっちゃけどうでもいいなんて。


『いえ。今はまだ希求する対象がありませんが、自分が強く興味を持ち、それが日本国内では学べないことであれば、留学も視野に入ってくると思います』

『なるほど、分かりました』


 婉曲にだが、あまり留学には積極的ではないと伝えたつもりだった。四年間の大学生活は十分に保証されている。学生生活の間に、今抱えている迷いを整理払拭して、この世界での自分らしい生き方を模索したい。そう考えていたからだ。なのに、蓋を開けてみたらこの有様で、花蓮は頭を抱えたくなった。


「特別支援留学生に選ばれている以上、入学前準備講座も留学を前提としたものだったはずです。お気づきになられませんでしたか?」

「全く気づかなかった。言われてみれば、やけにフランス語の課題が多いなとは思ったんだ」


 大学へ進学したら、第二外国語でフランス語を取るつもりでいたから、予習あるいは復習になっていいなくらいの感覚で解いていた。分量が多いのも、特別待遇推薦という枠だから、その分、ノルマが多いのだろうと思った程度だ。


「ご安心なさって。コンフィズリー学園都市は、個人の尊重と自由な気風を謳っています。不束ながら、私も同伴させて頂きますから、きっと楽しい学生生活になりますわ」

「海外生活なんて不安でしかないよ。こうなった以上は自分なりに頑張るつもりだけど、もし一人だったら泣いていたかも。斉子がいてくれてよかった。何かあれば頼ってしまうと思うけど、甘えてもいいかな?」

「もちろんですわ。それはお互い様ですもの。二人で仲良く助け合っていきましょうね」


 花蓮は予想外の出来事に、すっかり失念していた。特別支援留学生になるには、有力者からの推薦が必要であることを。

 そして、酷く動転していたせいで、この時点では全く気づいていなかった。パスポートの申請やビザの発給手続き、現地の大学や語学学校への申し込みなど、留学に際して必要な手続き諸々に自分が一切関わっていないのに、全てが終わっていることに。


 もちろん、用意周到に指図したのは斉子だ。一時は、もし花蓮が外部受験を希望するのであれば、どこまでもついていくつもりであったが、ある理由から、斉子にとっての目指す未来が変わってしまった。


 花蓮にはあえて告げなかったが、コンフィズリー学園都市は、アパレシーダ聖母都市とは真逆の方向性で「女性の女性による女性のための女性だけが住む都市」である。

 個人の尊重と自由な気風を謳っているのは事実だが、それよりも、自由恋愛主義と性革命の象徴的な都市として名を馳せていたのである。


 そして、その地を支配する一族がグラサージュ家であった。



《マスター、とても良いお話ですね》


 日記帳からの能天気な呼びかけに、花蓮は無性に苛つきを覚えた。


(何がだよ。言葉が通じない場所に拉致されるように連れていかれるっていうのに)


《だってフランスですよ。チョコレートがショコラと呼ばれる国です。いわば聖地です。現地の神々への挨拶は必要ですが、日本にいるよりエネルギーが集まるのではないでしょうか?》


(マジで? もしかしたら男に戻れるのか?)


《それはなんとも言えません。何しろフランスでは、我々は新参者ルーキーになりますから》


(えっ、ショコラ神なのに? 本拠地のフランスで新参者扱いされるのは何故?》


《それはまあ、私たちの神様がショコラ神 made in Japan なので》


(なんでそこ英語? じゃなくて、俺に加護をくれた神様って日本製だったの?)


《はい。日本人の抱くショコラという概念から生まれた神様です。ご存じなかったのですか?》


(ご存知ないも何も、お前がちゃんと説明しないからだろっ、このポンコツが!)


《楽しみですね、フランス》


 こうして、高坂花蓮は日本を離れ、新天地へと旅立った。相変わらず使えない日記帳を伴って。彼女が皇極斉子の掌中に取り込まれるか否かは、神のみぞ知る……のかもしれない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る