バレンタインデー前夜

 2月14日のバレンタインデーはもう明日だ。


 去年の今頃は学校が騒然としていて、当日にはクラスメイトや見知らぬ子からの告白を次々と受けていた。


 日頃のフレンドリーな会話とは全く異なるテンションで打ち明けられる、熱烈で真摯な想い。複数名の女子から、真っ向勝負で「好き」だと言われて、どう返事をしたものかと戸惑った。それも、今となっては懐かしい思い出の1ページだ。


 互いの鼓動が聞こえるような張り詰めた空間。共有した初々しくも甘やかな時間。


 たぶんだけど、大人になってしまったら、あんな風に真っ直ぐに気持ちをぶつけ合うことはできないんじゃないかな? 好きな相手とはいえ、自分の心の柔らかい部分を曝け出すのは、とても勇気がいることだから。


 バレンタインデーとホワイトデー。二つセットになった告白イベントがきっかけで、自分には可愛い恋人が三人もできた。それ故に、今年はどうすべきか。ちょっと頭を悩ませている。


「お兄ちゃん、明日は学校に行くの?」

「どうしようかと考え中。なんで?」

「クラスの子たちが凄く気にしてたから」


 高三は現在自由登校になっている。ほとんどの女子生徒がまだ大学受験の真っ最中で、既に進学先が決まった男子生徒も、登校日以外は行っても行かなくてもいいことになっている。


 去年を思い返せば、学校に行けば大変なことになりそうだ。


「気軽に貰えるものなら、受け取るのも楽なんだけどね」


 渡されるチョコは、大抵は本気が詰まった重量級のものばかり。


「本気チョコだと困っちゃう?」


「そう……かな。現在の恋人たちが将来のために真剣に受験しているのに、下級生からの告白を受けるなんて、正直言って気が咎める」


「女性側は理解しているから、気にしないでいいのに」


 そうは言うけどさ。俺的には不義理な感じが否めない。


 それに、理由は分からないが、何か引っかかる。あまりチョコを貰って浮かれたり騒いだりしてはいけないような。妙なブレーキが自分にかかっている。


「そういえば、お兄ちゃん、ニュース見た?」

「ニュースってなんの?」


 今の時期は、どのチャンネルもバレンタインデーの特番ばかりだ。お勧めの高級チョコレートや男性が喜ぶプレゼント特集が目白押しで、本気さを表すためか、軒並み単価が高くてびっくりした。


 でもそれ以外に大きなニュースってあったっけ?


「えっとね。バレンタインデーに女性が男性にチョコを渡して告白することに反対するデモが起きてるんだって」

「そうなの? 反対する理由は?」


 告白チョコの風習は世界的なものではない。日本の製菓メーカーが、冬場の消費を増やそうと積極的に広告を打ち出して作られた商業的なイベントが始まりだと聞いている。そういうのに反発してるのかな?


「理由はいくつかあったけど、一番は、男性が青田刈りされちゃうからだって」

「青田刈りって?」

「男性が社会に出る前に婚姻枠が埋まっちゃっうこと」

「12枠もあるのに?」


 社会に出る前に、つまり学生時代にってことだよね? いくらなんでも12枠全部は埋まらないのでは。


「エルダーパートナーとのお見合い婚を除けば、学生時代が一番カップリング率が高いんだよ」

「それは分かる気がする」

「うちの学校は、あれでも男子の数が多いから告白も分散するけど、高校によっては学年に一人も男子がいないとか、一人しかいないとか普通にあるらしいよ」

「男女比1:8なのに少な過ぎない?」


 栄華秀英が特殊なのは知ってるけど、聖カトリーヌみたいな女子校もあるし、そこまで学校に男子が少ない理由が分からない。


「男子生徒は一部の高校に偏りがちだし、もっと年少だと、在籍はしていても学校に来ないから」


 気になったので、年少の男子生徒が学校に行かない理由を聞いてみた。


 そもそも男性は、小学生までは家庭で養育されていて、中学から通学を始めるのが一般的なのだそうだ。なぜかといえば、まだ精神的に未熟な女子小学生に珍獣みたいな扱いを受け、友達もできずに、ストレスで人間嫌いになってしまうことが少なくないから。


 中学になって通学を始めると、今度は色恋が絡んでくる。が、中学生の恋愛は発展途上だ。女子生徒同士で牽制し合ってギスギスしたり、将来の約束を取り付けようと、強引に脅迫じみた手法で男子生徒に迫るケースもあるのだとか。


「中学生が脅迫!?」

「中学生だからだよ。怖いもの知らずで、個人を尊重する概念が育っていないから、自分の望み最優先でなんでもアリになっちゃう」


 中学生になって初めて集団生活を始める男子なんて、生まれたてのハムスターみたいなものなんだって。強者である女子たちの掌の上で、荒波に浮かぶ木の葉のように弄ばれる。


 押しに弱い男子は流されて、婚姻可能な年齢になった途端に、次々と婚姻枠を埋められてしまうなんてこともあるらしい。


「えっ、それって、保護者は何も言わないの?」

「当然介入するでしょうね。でも実際には、元気に学校に通っているように見えたのに、蓋を開けたら既にいろんな言質を取られていて、裁判で争うのも大変だから、婚姻しても通わせなければいいかって考えになるんだって」


 本来ならハーレム上等な気質の男性であっても、まだ幼い内に物量に押し潰されてしまうと、女性からの告白に過剰に警戒をするようになったり、婚姻に躊躇うようになったりする人も出てくる。


 そんな状況だから、男子生徒の多くは中学は不登校で乗り切り、高校進学にあたって再デビューする。


「世間が思っていたより殺伐としてた」

「高校生になれば女性側がやり過ぎはダメだって学習しているから、そこまで酷くはならないんだけどね。既に手遅れみたいな?」


 男子生徒の家庭からすれば、進学する高校は選び放題だ。だから、優遇措置などの制度が整っていて、優秀で節度ある振る舞いができる女子生徒が通う高校に男子生徒も集まる。


 そう、栄華秀英みたいな。


 でもそれ以外の高校では、気づいた時には周りに同じ年頃の男性がいないなんて事態になりがちで、思春期の一番恋に花咲く時期に出会いがほぼない。期待を持って大学に進学しても、男性の婚姻枠が既にかなり埋まっているか、高校時代に自分の価値を十分に自覚した男性たちの超売り手市場だ。女性にとっては、厳しい婚活市場が待ち受けている。


「そこで怒りの矛先が向かったのが、日本式バレンタインデーなの。男性保護法を気にしないで、女性から意中の男性へ、例え一方通行的であっても愛の告白が可能でしょ? みんな意気込みが凄いし、実際にあれで大体決まっちゃうから」


 よほど性格が破綻しているとかでなければ、チョコレートが欲しいのにもらえない男性なんてまずいない。

 恋愛イベントだからロマンチックな雰囲気は十分で、自分が受身な姿勢でも女性が積極的に来てくれる。当然、みんな熱烈だ。

 中学時代とは違って、女性たちは獣性を潜め、皆一様に親切で優しくて、女性らしい甘い匂いを振り撒き、柔らかい身体をさりげなく、あるいはあからさまに押し付けてくる。

 ずっと引きこもりでリアルな恋愛体験に乏しく、過保護下にあって奥手かつ思春期を迎えたばかりの男子には、これがかなりの威力を発揮する。


 そんな状況が高校と大学の7年間も続いたら。うん、カップリング率が高いわけだ。


「ところで、結衣は何を作ってるの?」

「えへっ、内緒!」


 さっき結衣が買ってきたものをさりげなくチェックしたら、夕飯の材料以外に、クーベルチュールや生クリームが入っていた。これってチョコレート菓子の材料だよね?


 気になる。誰にあげるのかな? 結衣もちっちゃくて忘れがちだけど、お年頃だから。


「ところでお兄ちゃんに質問です。チョコプリンはプリン、それともチョコ? どっちだと思う?」

「なんか唐突だけど、そうだな、食感とか形からすれば、やっぱりプリンじゃないかな? 俺的にはチョコって固いイメージなんだよね」


 生チョコなんていうのもあるけど、あれはまた別の食べ物だから。


 チョコマフィンはマフィンだし、チョコクッキーはクッキーだ。チョコを材料にしているだけで、チョコではない。だったら、チョコプリンはプリンでしょ。


「だよね! 結衣もそう思う。世界に広がれプリンの輪! ♪〜プリリンプリリン、ビーンビーンビーン〜♪ しっかりバニラの香りもつけちゃおうっと」


 なんかよく分からないけど、うん、明日はどうするか決めた。






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