収穫のとき
狼犬のモフモフぬいぐるみポーチ。
撮影ロケの時にもらったお土産に、結衣が予想外に大きく反応した。
「わぁ。この子、超可愛い♡ 欲しいなぁ」
えっ、超がつくほど可愛い? これが?
結衣の上目遣いでのおねだり。これが出る時は、かなり本気だ。
玉ランポーチは三頭身で、ワイルドさを強調していた等身大の着ぐるみに比べれば、小さくなった分、愛嬌があると言えなくもない。
だけど、めっちゃマッチョだよ?
大きめの頭と鋭い目つき。耳元まで大きく裂けた口からは、ピンクのベロがレロッと出ていて、ひと昔前の青春映画なら、コンビニの前でヤンキー座りしていているのがぴったりな、いかにもな悪役顔をしている。
「欲しいならあげるけど、結衣は筋肉とか好きだっけ?」
なんて聞いてみたり。
「わーい。ありがとう! えっと、筋肉が好きっていうより……逞しい男の人は、魅力的に映るかな。だって、頼もしいというか、頼り甲斐がある感じがするでしょ」
素早く抱え込み、胸元でギュッと玉ランポーチを抱きしめる結衣。鯖折りになったプチ玉ランは、「グヘェ、は、離せ!」とか「お、覚えてろよ!」が似合う感じで、とても頼り甲斐があるようには見えない。
「なるほど、頼り甲斐ね。逞しいと頼もしく映るのか。そうなんだ」
——悲報。
記憶を洗いざらいひっくり返してみても、一度も誰からも、そんな風に言われたことないや。俺だってそれなりに筋肉はついているのに。
「あっ、お兄ちゃんは、そのままで超絶カッコいいからね。悪ぶってるところがキュートな玉ランとは需要先が違うから」
できる妹の結衣が、すかさずフォローしてくれたけど、兄としての沽券にかかわるというか、頼もしさでベロ出し狼犬に負けてしまったのはなんか悔しい。最近サボりがちだった筋トレでもするか。
そそくさと部屋に引き上げて、割と熱心にスクワットやストレッチをしていたら、血行が良くなって身体がポカポカしてきた。
「ふぅ。ちょっと休憩」
ベッドにゴロンとして目を瞑る。心地よい疲労感が気持ちいい。運動後のこの気怠い感じは嫌いじゃない。
《リンクスターよ。起きなさい》
「あれ? 神様。お久しぶりです」
呼びかけに気づいて目を開けると、目の前に豪華なグラスボートに乗った巨大なひよこプリンの姿があった。相変わらず……いや、ますます美味しそうだ。
季節柄か、艶々した真っ赤な巨苺が、これでもかと飾られていて、盛り合わせのアイスクリームにも、果肉入りの苺アイスとパステルピンクのソフトクリームが増えている。
《使徒として順調に布教をしているようですね。あなたの日々の活動は、高い評価に値します。しかし油断はなりません。一年の内、最も過酷な堅忍不抜の日が近づいてきています》
堅忍不抜? 建国記念日じゃなくて?
「その日にいったい何が起きるのですか?」
押し寄せる、えも言われぬバニラの甘い香りと苺の芳香。息をしているだけで鼻腔内はもちろん毛穴の奥まで深く浸透するような、郁郁たる甘美な誘いに陶然となる。
《テオブロマカカオ——スイーツ界の荒ぶる巨人、
「もしかして、バレンタインデーですか?」
スプーン。そうだ。スプーンが欲しい。
《そうです。あの派閥の首座にいる父神、加加阿神は恐るべき知略家です。なにしろ一国の製菓業界を操り、自分の派閥のための一大イベントを作りだしたのですから》
「カカオ神の眷属となると、仲間が沢山いそうですね」
なければフォークでもいい。
《派閥を作れるくらいには。しかしここに来て、あの派閥に風穴が開こうとしています。二重スパイからの情報によれば、カースト下位の神が—— 逵?繧後k逾槭?菴ソ蠕 ——を従えて下克上を企んでいるようなのです》
「下克上なんてあるんですね。スイーツの世界も大変なんだ」
俺の食欲も、今大変なことになっている。
《スイーツの性質上、複数の派閥に属するものも少なくありません。我が派閥は寛容ですから、『プリン』という大きな概念で、自らのアイデンティティに迷うスイーツたちを柔軟に受け入れています。その甲斐があって、ここ日本では母神を上回るほどの影響力を持ち得ました》
「プリン神様の派閥の母神はどなたなのですか?」
手掴みはさすがにまずい気がする。
《ワニルラプラニフォリア。慣例では
「なんか納得です。バニラの香りはプリンに不可欠ですよね」
なんならグラスボートにダイブしても構わない。
《その通り。しかし万民に愛され過ぎたが故に、バニラを「凡庸」の意味で用いる不届きな連中もいるとか。許し難いことです。しかしそうなってしまったのも、我々の派閥が情報戦略に疎かったからだと言えるでしょう。しかし、これからは違います。スイーツの世界は日進月歩。情報を制する者が大きなアドバンテージを得るのです》
「情報戦略ですか。自分はそういうのは苦手なので、お役に立てなさそうで残念です」
何か役に立ちそうなカトラリーが転がっていないものか。
《適材適所、あなたはよくやっています。あなたの精霊が究極のプリンを完成させれば
、あなたもより大きな力を得ることができるでしょう。そのための鍵となるものがもうすぐ手に入ります。
「究極のプリン作りですね。お菓子作りをしたことはないので、身近な人の助けを借りてやってみます」
あーあ。今回も食べ損ねた。
《リンクスターよ。随分と意気消沈しているようですね。しかし、嘆く必要はありません。これまでの働きへの労いと今後の激励の意味を込めて、あなたに少しばかりの褒美をあげましょう。さあ、手に取りなさい》
そう言われて自分の手を見ると、何かを握っている。
目の前にかざしてみれば、それはどこか既視感のある、ショッキングピンク色をしたプラスチック製の小さなスプーンだった。
*
「あれ? いつの間にか寝ちゃってた?」
なんか素晴らしく幸せな夢を見ていた気がする。覚えていないのが、酷く残念なような。
身体を動かしたせいか、小腹が減ったので一階のリビングに降りて行くと、なぜか結衣が温室キャビネットの前で仁王立ちをしていた。
「あっ、お兄ちゃん。見て見て。バニラの鞘が黄色くなってる」
「マジで? へぇ。じゃあいよいよか」
バニラの開花から収穫までは、9カ月かかると言われている。実がなってからは7-8カ月。これは、鞘の成熟に長い月日が必要だからだ。
パッと見は野放図に育ち過ぎたサヤインゲンのような8本の細長い実は、最初は濃い緑色をしていた。今は全体に明るい緑色をしていて、鞘の先が黄色くなっている。
「お兄ちゃん、これ収穫しちゃってもいい?」
「でもさ、バニラの実って加工が凄く大変なんだよね? それはどうするつもり?」
以前、結衣にそう言われた時に気になって調べてみたら、バニラの値段が高いのは加工に手間暇と時間がかかるためだとあった。
熱湯に浸けたり、天日干ししたり、夜間の温度管理も大変で、発酵や熟成——いわゆるキュアリングと呼ばれる過程に数週間もかかる。
「これは特別なバニラだから、お兄ちゃんがいれば大丈夫だって、お父さんが言ってたよ」
「えっ、俺がいればってどういう意味?」
「さあ? 詳しくは聞いてないから分からないの」
《マスター、神スキル【至福のキュアリング】の出番がきたようです》
あー、あったね。そんなスキル。すっかり忘れてた。
あのスキルが出てきてから、周囲にいる人に甘くていい匂いがするって言われるようになったから、てっきりフレグランス系のスキルだと思ってた。
このスキルって、どう使えばいいの?
《神スキル【至福のキュアリング】はパッシブスキルです。降星氏の日記帳から得た情報によれば、バニラの実を収穫すれば自動的に適切な効果を表すとあります》
何が起こるかは分からないんだ?
《論より証拠。百聞は一見にしかずです。実際に収穫してみましょう》
それもそうか。でもさ、結衣の目の前でやっていいの? スキルについて説明できないのに。
《降星氏が通常とは異なる特別な植物だと説明しているので、バニラの実に何か変化が生じても、それがこのバニラの特性だと考えるはずです》
なるほどね。
善は急げということで、バニラの実を摘み取って、結衣が用意したバットの中に置いて行く。
8本全てを並べ終わった時に、それは起こった。
♪〜キュアリン・キュアリン・バーニバーニバーニ〜♪
♪〜プリリン・プリリン・ビーンビーンビーン〜♪
ハーイ!(ハァ——イ!)♪
ドーラ!(ドーラ!)♪
♪ライズライズライズライズ〜バーニーリィィン!!〜♪ ハイッ!
(ライズライズライズライズ〜バーニーリィィン!!)
気持ちが浮き立つような不思議な歌声(コーラス付き)が聴こえてきて、蝶々に似た白い羽をつけた、緑色の小さなウサギに似た生き物が現れた。
ウサギ擬きは、空中でクルクルとスピンをするようなダンスをしながら、手に持っていたピカピカ光るリボンステッキを、バニラの実の上でクルルンと渦を巻くように振り回して姿を消した。
「うわ、凄い。一瞬でキュアリングが終わっちゃった。もうこれ、香料として使えるのかな?」
あれ? 結衣は今の不思議な現象に気づいてない? 今のって俺が幻聴を聞いたり幻を見たりしたわけじゃないんだよね?
《おそらくスキル妖精と呼ばれる存在かと。そうであれば、スキル保有者にしか認知できないはずです》
スキル妖精。この世界には、そんな存在もいるんだ。
「肝心の香りはどんな感じ?」
「ちょっと嗅いでみるね。うわぁ、まだ鞘に入った状態なのに、もの凄く濃ゆくて良い香りがする」
俺も茶色く変化したバニラの実を手に取って、匂いを嗅いでみた。
「これは……なんていうか、バニラの香気には違いないけど、特有の甘さに加えて、香りにブーケというか花が開くような華やかさがあるね。心地よくて、ずっと嗅いでいたくなる」
「お兄ちゃんの体臭に似てる気がする」
「えっ! いやさすがに、自分の匂いにうっとりはしないよ」
それにしても、本当に素晴らしいフレーバーだ。
《バニラ・ウルティメイト。神的パワーにより発酵・熟成した究極の香料です。その香気は天上の花園を彷彿とさせ、スイーツの素材として使用すれば、食した者に天に昇る心地をもたらすと言われています》
究極の香料か。確かにそう言われても納得できるほど芳しい。
「お兄ちゃん! お父さんは、収穫できたら好きに使っていいって言ってたから、この特別なバニラビーンズでプリンを作ってみようよ」
「いいね。きっと、たまらなく美味しいプリンができるよ」
(備考:作品中に出てきた歌詞擬きは筆者のオリジナルです。
見れば分かるわ! 程度の微妙過ぎる出来ですが、念のため記載しておきます)
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