24000の瞳

「……なんちゅう落ちの夢。いや待て。落ちない。落ちない。落ちるは縁起でもないから今のなしで」


 寝ぼけた頭で独り言を溢しながら目を開けた。


「途中で寝ちゃったのか」


 夢から覚めた俺は、運転席ではなくてリビングに出したコタツに座っていた。目の前には「全国大学入学セントラル試験」——略してセントラル試験の過去問集が開かれている。


 というのも、俺が進学する爽馨そうけい大学では、学校推薦による入学者にも、セントラル試験の受験と結果の提出が義務付けられているからだ。さすがに全科目ではないけれどね。


 点数が低くても、合格を取り消されることはない。


 合格が早く決まって気が緩まないようにするため。入学後のクラス分けの参考にするため。あるいは、推薦枠の見直しの参考にするため。恐らくそんな理由で。


 実力通りの素の学力を出した方がいいのかもと思う一方で、後輩に迷惑をかけちゃいけないとも思ったし、何より、答案用紙の前で真っ白く燃え尽きるのは、あまりにも悲し過ぎる。

 だから、過去問くらいは解いておこうと、昨年からちょこちょこ始めていた訳だが。


「……まさか寝落ちするとは。コタツの魔力すげぇ。いやだから、落ちるはなしで」

「あれ? お兄ちゃん、起きた? コタツで寝ると風邪引くよって、今声かけようと思ってたんだ」


 どうやら、うたた寝よりは長い時間寝てしまったらしい。


「あれ、結衣だけ? お母さんたちは?」


 家の中がやけに静かで、両親の姿が見えない。


「出かけた。夫婦で初詣デートだって」

「なるほど。久々の逢瀬だからね」


 父さんが夏休みぶりに帰ってきて、母さんのテンションは爆上げだ。お年玉袋を開けて思わずウホッと声が出るくらい大判振る舞いだったのも、きっとそのおかげだろう。


「お母さんも、お父さんも、すっごくはしゃいでたよ。だからのんびりしてきてねって、言っておいた。夕飯までには帰って来るそうだけど」


 うんうん。家庭内円満は素晴らしい。仲良きことは美しき哉…… これって。武者小路実篤だっけ?


 なんて頷いていたら、何故だか結衣がコートを着始めた。


「結衣も、これからお出かけなんだ?」


 この寒いのにどこに行くんだろう? 服もコートも普段着ているもので、特別お洒落しているようには見えない。


「うん。ちょっとこれから、エグザ……に行ってくる」

「エグザに? なにしに?」


 元旦にコンビニに行く。トイレットペーパーが切れそう? あるいは、年賀状が足りなくなった?


「……お兄ちゃんには内緒」


 結衣さん、そんな恥ずかしそうな顔をされると、かえって気になるのですが。


「ダメ。内緒ったら内緒なの!」


 俺の視線を受けて、結衣がたじろぎながら繰り返した。

 やっぱりトイレ事情? あまりしつこく聞くと嫌われちゃうかもしれない。


「そっか。じゃあ、気をつけてね」

「うん。行ってきまーす」


 高校生になって、ちびっ子結衣も、ちょっと大人びてきたと思う今日この頃。


「みんな出かけちゃったし、過去問を解くか。しかし、コタツはダメだ。部屋に撤収するとしよう」


 *


「早苗ちゃん、陽花ちゃん、お待たせ! それと、明けましておめでとう!」

「結衣、明けましておめでとう!」

「あけおめーっ! 今年もよろしくね!」


 世々木公園駅改札前で待ち合わせた結衣、早苗、陽花の高一女子三人。彼女たちが目指すのは、大手コンビニチェーン、エグザ主催のニューイヤーイベントだ。


 三人の周りにも、同じイベントに参加するであろう、やけにギラギラした目つきの女性たちがいて、更に列車が到着する度に、続々と改札から吐き出されてきている。


「予想通り、凄い人だね。ちゃんとイベントチケット、持ってきた?」

「もちろん、ここまで来て入れなかったら泣く」

「ばっちりチケットホルダーに入れて、首から下げてるよ」

「じゃあ、行こうか!」


 目指すは国立競技場世々木体育館。既に駅から続く川のような人の流れができていて、その流れに逆らわずについていくだけで、無事に現地に到着できた。


 アリーナ4000席、スタンド8000席。参加者合計12000人の大イベントである。


「ねえ、見て。例のヒヨコの着ぐるみがいる」


 入場待ちの列に並んでいると、入場ゲートの向こう側に、黄色い着ぐるみの姿が何体も見えた。


「数が増えてる。全部で何体いるのかな?」

「えっ、あの中ってまさか……」

「今日はあの中にお兄ちゃんはいません」

「だよね。先輩があんなにいたら大変。それに、受験生だもんね」

「うん。家で過去問解いてるはず」

「写真撮りたいけど、ゲート内じゃダメなんだよね。あっ、手を振ってる。近くて見ると大きい。それに、やっぱり動きが可愛い」


 順調に列が動いて、結衣たちが入場ゲートに潜る番になった。


「チケットに入場スタンプを押された方に、ノベルティ福袋と抽選クジをお渡ししています」


 手渡しで受け取った大きめの抽選クジは、ピンクのハートに矢が刺さっているイラストが目を引いた。


「必中クジだって。必ず何かもらえるってことかな?」

「たぶんそうじゃない? 何が当たるか楽しみだね!」

「えっと、スタンド席E。あった。入口はあっちみたいよ」

「見やすい席だといいな」


 *


「レディース&ガールズ! みなさん、明けましておめでとうございます! いやぁ、正月早々にムラムラ……じゃなくて、みなさんからほとばしる熱いパトスで熱気ムンムン。寒さなんて吹き飛んでしまいました!」


 予定していた開始時刻になって、リズミカルな音楽をBGMに、イベントがスタートした。


「実は私も楽しみ過ぎて、今朝めっちゃ早く目が覚めました。早く観たいですよね。でもその前に、編集スタッフ一同からのコメントをご覧下さい。こちらです、どうぞ!」


『煮えたぎる煩悩とパッションを毛穴の奥まで、サッパリすっきり洗い流すことを目標に、魂を込めて編集作業を行いました』


 パッと画面が切り替わり、正面の巨大スクリーンに映し出されたコメントに、会場を埋め尽くす女性たちからドッと歓声が上がる。


「だそうです。実際に、非公開の極秘試写会は解脱する者が続出だったとの噂が。エグザの素肌スベスベボディソープ顔負けの洗浄力が期待できるかも! はい、そしてもうひとつ、大事なお知らせがあります」


 スクリーンの映像がまた切り替わり、来場者が手に入れたばかりのノベルティグッズと抽選クジが映し出される。


「入場時に、こちらのイベント記念グッズと共に、ハートに矢の図柄の必中クジをお配りしました。クジをこのように開くと、中に番号が書いてあります」


 ザワザワし始める会場のそこかしこで、クジを取り出して開封する姿が見られた。


「フィルム上映後に、各番号に対応する景品の発表と交換ブースへのご案内があります。ハズレなし。必ず何か貰えるので、なくさないようにして気をつけて下さいね!」


 続いて、スクリーンに上映会のタイトルが映し出されると、いよいよかと場内の騒めきが一段と大きくなる。


「はい、お待たせ致しました。これより、フィルムの上映が始まります。冒頭に視聴に際しての注意事項の説明がありますので、ご確認の上、皆さまのご協力をお願い致します」


 照明が徐々に暗くなり、会場内の騒めきも次第に静かになっていく。


「エグザ・ニューイヤーイベント。メイキング・フィルム『水も滴る王子様』上映会へご参加の皆さまに……」


 CMのメイキング映像の上映が始まった。


 最初に巨大スクリーンの中に映し出されたのは、製作スタッフからCMの段取りの説明を受ける結星の横顔だった。CMでは見れなかった素の結星の姿に、会場の誰もが釘付けになる。


 次々と巨大スクリーンいっぱいに映し出される結星の真剣な顔に、数えきれないほどのため息が漏れ、慣れないメイクに戸惑う様子に、萌えまくる淑女&少女たち。


「今のもう一回、リピートリピート! うおっ、マジきたリピート! お背中最高!」

「こんな何回も脱ぎ脱ぎしてたんだ。あっ、うまく脱げなくて、シャツが引っかかってる。頑張れ!」

「これって正面から見たら、ち『ピー!』が丸見えじゃあ」

「やばっ、肩甲骨様、僧帽筋様が尊過ぎ!」

「いえいえ、そこはやっぱり広背筋でしょ」


 リテイクで何度も繰り返される、背中モロ見せ脱衣シーンに高い悲鳴が上がり、興奮の渦が嵐のように湧き起こる。


「あぁ……か、肝心なところが見えそうで見えない」

「うわぁ、惜しい! もうちょい下ぁぁぁっ!」

「そこは想像力で補うのですよ!」

「見える! いえ、心眼で見るのよ。泡の向こうの桃源郷を!」

「泡が邪魔なの〜消えろ〜弾けろ〜溶けてしまえ〜」


 これでもかと尺を取った入浴シーンでは、まずバスローブ姿の結星にどよめきが起こり、ローブを脱ぎさる瞬間は異様な静寂に包まれ、泡風呂に入って寛ぐ光景に、惜しい、尊いの大合唱が巻き起こった。


「眼福だった。この一年のエネルギーもらったわ」

「煮えたぎる煩悩が無事昇華しました。しかし、新たな煩悩が……」

「カッコよかった。カッコ良過ぎて、息するの忘れたわ」

「悲しい。終わっちゃったのが悲し過ぎる。アウアウ」

「見始めたら、あっという間だったね。忘れないように記憶に焼き付けておかなきゃ」


 会場が明るくなり、口々に感想を言い合う参加者たち。しかし、まだ立ち上がるものはいない。


「皆さん! 上映会はいかがでしたか? 堪能して頂けましたら、スタッフ一同、これ以上嬉しいことはありません。上映前にお知らせした通り、これから必中クジの景品の発表を行います。発表前に各景品をご覧下さい」


 スクリーンに、次々と景品グッズが映し出され、ざっくり紹介されていく。


「最も総数が多いのは、各図柄個数限定の缶バッジ3点セットです。ハイ、チラッと映りますよ。……見えました? 星柄・ひよこ柄・王子様。どのセットもこの組み合わせになっています。王子様バッジにも何種類かありまして、どれも素敵な表情ばかり。全部集めたくなっちゃいますよね。ハイ、次。オリジナルタンブラーです。こう、クルッと回すと、なんと泡まみれの尊いお姿が。これ欲しい! ハイ、次。大物ですよ。なんと等身大抱き枕、それも、CMに登場した『スポーツウェアバージョン』! 薄着です! 等身大、つまり180センチもあるので、好きなだけ欲望のままに抱きつけます。他にも、卓上カレンダー、コースター、スケジュール帳など、素敵な景品を沢山ご用意致しました。どれが当たっても嬉しいこと間違いなしです!」


 番号の発表と共に巻き起こる、悲喜交々な怒号と悲鳴。それは、場外の交換ブースに誘導され、イベント終了のアナウンスが流れるまで続いた。


「本日は、コンビニエンスストアチェーン『エグザ』主催、お客様大感謝祭、ハッピーニューイヤーイベントにご参加頂きまして、誠にありがとうございます。お帰りの際は、大変な混雑が予想されますので、係員の……」


 *


「ただいま〜」

「お帰り。遅かったね。コンビニに行ったんじゃなかったの?」


 結衣が出かけてから4時間は経ってる。どこに行ってたのかな?


「友達に会ってたの。はいこれ、お土産。一緒に食べようね」

「おっ、なにこれ? 『ひよこ満月』?」

「エグザの新製品だって。カスタード入りのふんわりまんまるカステラ。お兄ちゃん、こういうの好きでしょ」

「うん。好きだけど、新製品? これをわざわざ買いに?」

「えっと、福袋に入ってたの。エグザの新年限定福袋に」

「福袋? そういえば、夏ごろに福袋に入れる商品のデザインを選んだような」


 福袋に入れるアイテムの候補が幾つもあって、好みを聞かれたんだよね。全部採用されるわけじゃないと言ってたけど、結局どんなのになったんだろう。


「福袋にはなにが入ってた?」

「えっとね。お兄ちゃんのアクリルチャーム、星のシュシュ、ひよこミニタオル、星柄ミニポーチ、ひよこエコバッグの5点セット。あとお菓子やコスメ製品かな。シュシュはこれだよ」


 そう言って差し出された結衣の手首に、星のチャームがついた可愛らしいシュシュがあった。


「おーっ! 実物は結構可愛いね」

「このシュシュ、星のモチーフだから普段使いできるねって、みんな言ってた」

「それはよかった。ところで結衣、その大きな包みはなにかな?」


 背後に隠しているようで全く隠しきれていない、ひと抱えもある大きな包み。なんだろう? クッションとか?


「あっ、これ? えっとね。新しい枕……かな?」

「それも買ったの?」

「えっと、クジで当たったの」

「へえ、どんな枕? 見てもいい?」


 クジの景品に枕なんて変わってる。ちょっと気になるね。


「えっ、ダメ。こ、これ、圧縮してあるし、封を開けたら大きくなっちゃうから、ダメなの!」

「大きくなったらダメなの?」

「友達が欲しいって言ってたから、もしかしてあげることになるかもしれないし……まだ分からないけど」

「そっか。それなら開けない方がいいね。じゃあ、一緒にお土産を食べよっか」

「うん! 私がお茶を淹れるね。紅茶と緑茶、どっちがいい?」


 俺が淹れてもいいけど、結衣に淹れてもらった方が確実に美味しいから、ここはお願いしちゃおう。


「迷うけど、紅茶にする」

「了解! 先に部屋に荷物を置いてくるね」

「急がなくていいよ。その間に、お湯を沸かしておくから」


『ひよこ満月』か。ちょうど、甘いものが食べたかったんだよね。楽しみだなぁ。


 —————————————————————————————————

 ※余談:ニューイヤーイベントについては、結星はちゃんと説明を受けています。しかし、受験勉強諸々で忙しくて、すっかり忘れている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る