温泉旅行

「着いたわよ。あら、二人とも寝ちゃってる。こうして見ると、寝姿までそっくりね」


 目的地に着いて、結子が後部シートを振り返ると、お互いに寄りかかるように熟睡する、降星と結星の姿があった。

 幸いにも、彼らの麗しい顔には、主人公補正なのかヨダレ等の汚れは見当たらない。双子のような超絶イケメンがくっつき合う寝姿。通りすがりの女性が見たら垂涎ものの、あるいは煩悩が萌えたぎるような光景であった。


「ずっと見ていたい気もするけど、起こさないわけにもいかないわね」

「とりあえず、写真を撮っておく。お兄ちゃんは、昨日遅くまで過去問を解いてたみたいで、車に乗ってすぐに寝落ちしてたよ」

「結星は朝から眠そうに見えたけど、そういうわけね。でもどうして結衣がそれを知ってるの?」

「た、たまたまだよ。あっ、そうそう、。夜中にトイレに起きた時に、気づいたの」

「まあ、そういうことにしておきましょう。でも、夜更かしは、ほどほどにね。あと、今の写真を送ってくれる?」

「はーい。でも、お父さんまで寝ちゃったのは意外。時差ボケかな?」

「それはさすがに治ってるはずよ。結星につられて寝ちゃったのかも。降星くんは、コタツ大好き人間で、温まるとすぐ寝ちゃうから」

「お兄ちゃんもそうだよ。なんか二人とも猫みたいだね」


 女性二人が前で、男性二人が後部座席に座っているのには理由がある。そのように道路交通法で定められているからである。

 この世界の男性は、公道では運転ができない。助手席に座ることすらできない。現行法に改正する際には、当然のことながら、男性の権利を著しく損なうとして、激しい議論が交わされた。

 しかし、科学的根拠に基づいた大規模調査の結果が提示されたことで、世論の流れが変わる。


 ・定点撮影による公道調査

「視線移動解析の結果、前部座席への男性の乗車は、対向車及び並走車の運転手に対して、男性への注視と視点の固定を高確率で誘発し、接触事故や衝突事故の発生が増加した」

「男性の乗車している自動車を追尾、無謀な車線変更をするなど不適切な運転が顕著に見られた」


 ・男性同乗実験

「男性の助手席への同乗は、運転手である女性に、過剰な緊張・交感神経の興奮・血圧低下・心拍数上昇・注意散漫などの身体的及び精神的な変化を高頻度に生じさせ、最悪のケースでは失神に至った」


 過失による交通事故の最多原因が、男性が関与する脇見運転や前方不注意であったことが明らかになり、交通安全及び危険防止のためにはやむを得ないとして、改正案は可決されたのである。

 権利を侵害されることになった男性に対しては、公共交通機関の無料パスや、タクシーチケットの提供、自動車走行試験場の一般開放などで補填されることになっている。


 *


「うわぁ、いい雰囲気。素敵な旅館だね」

「結子、運転お疲れ様。寝ちゃってゴメンね」

「温泉温泉。露天風呂が楽しみだな」


 試験前なのにいいのかなぁ? と思いつつ、次はいつ来日するか分からない父親との交流の機会も逃したくない。というわけで、受験グッズ持参で家族旅行に参加することになった。


 高台にある老舗の温泉旅館は、本館は歴史のある懐古的な西洋建築で、現代建築の客室棟と、岩棚に沿って作られた大浴場と露天風呂があり、更には、貴賓室と呼ばれる離れが数棟ある。


「宿泊するのは本館から独立した離れで、平屋の一軒家みたいな感じね。食事も運んでもらえるそうだから、家族水入らずでのんびりできるわよ」


 案内された離れは、数寄屋建築に現代的なエッセンスを取り入れた和洋折衷の上品な佇まい。専用露天風呂と檜の内風呂に、ジャグジーやサウナ、専用の庭までついている。浴槽は全て源泉掛け流し。泉質は硫酸塩泉で、効能は以下の通りだ。

 ・切り傷

 ・末梢循環障害、冷え性

 ・うつ状態

 ・皮膚乾燥症


 飲めば便秘なんかにも効くらしい。ハイグレードのホテルみたいなリネン類やアメニティグッズに、結衣が大はしゃぎしてる。

 離れだけでも凄い設備だけど、もちろん大浴場や露天風呂も利用できて、予約制のスパや岩盤浴なんかもあり、現代的なラグジュアリーさも兼ね備えている。


 素晴らしい。お風呂が沢山。でもこれって、勉強している暇ってあるかな? 勉強はめっちゃ大事。だって試験は2週間後だ。とは言っても、せっかく来たのだから、露天風呂には絶対に入りたい。何回も入りたい。


 離れのお風呂は先に夫妻で楽しんで貰って、俺は早速大浴場に行くつもりだ。身長が伸びたせいか、最近は家の湯船が狭く感じる。大きな湯船で手足を思いっきり伸ばしたら、気持ちいいだろうなぁ。

 この旅館、周囲を自然に囲まれてるから、鳥の囀りが聞こえる朝風呂なんかもあり。


「食事の時間までは各自自由行動で」

「お兄ちゃん、早速お風呂にする? それとも本館に探検に行く?」

「探検を兼ねて本館の大浴場に入りに行く」

「服はどうするの? このまま行っちゃう?」

「いや、着替えてくよ」


 温泉旅館といったらこれでしょ。温泉浴衣だ。チェックイン時にサイズを聞かれて、離れに案内されていた時には、もう用意されていた。


「可愛い浴衣。浴衣に、帯に、羽織。うん、全員分揃ってるよ」


 浴衣を羽織って左前に合わせ、帯紐を結ぶ。結衣はウエストの辺りに巻いて、身体の前で蝶々結び。俺は結び目は後ろに回して、腰の近くで結んだ。上から羽織を着れば完成。


「お兄ちゃん、カッコいい」

「結衣も浴衣がよく似合っていて可愛いよ」


 お互いに褒め合ってるけど、結衣が可愛いのは本当だよ。


「お出かけ前に写真撮ろうよ」


 家族写真をパシャパシャ。結衣が学校の友達や先輩に送るというので、両親抜きの写真も何枚か撮った。


「じゃあ行こうか!」

「うん!」


 遊歩道を通って本館へ。まずは館内図を確認だ。


「売店、ラウンジ、ライブラリー、温泉プール、スパ、大浴場。俺たちに関係ありそうなのはこれくらいかな?」

「じゃあ、ラウンジのケーキセットをチェックして、ライブラリーを覗いて、売店に行ってから大浴場のコースでどうでしょう?」

「まずケーキなんだ? いいよ、その順番で」


 結衣らしくて、思わず笑ってしまった。


「むむむ。ちょっとお高い」

「いわゆるホテル価格ってやつだから、こんなものだと思うよ。高級旅館だしね」

 チェックインが午後三時だったから、結衣は小腹が減ったのかな?

「食べてく?」

「ううん。今食べたら夕食が入らなそうだから、我慢する」


 夕食は豪華な温泉会席だから、それが正解。ライブラリーは図書室というよりサロンって感じで、居心地は良さそうだけど、所蔵は少なめだった。売店で温泉饅頭の試食をして、美味しかったから帰りにお土産に買って行くことに決めて、いよいよ大浴場へ。


「一時間後に待ち合わせでいい?」

「結衣がそれでよければ」

 男湯と女湯に分かれているので、暖簾の前で結衣と分かれた。

「うわっ、もしかして一人占め?」


 高級感漂うモダンな脱衣室から大浴場へ。やっぱり他に誰もいない。清掃直後のせいかな? 洗い場で身体を洗ったら、まずは内風呂に入って、身体を温めることにした。


「ふぁ。気持ちいい」


 大量のお湯に、とぷんと身体を包まれて、じわじわと熱が移って来る。筋肉がゆるゆると弛緩していくのが心地よくて、全身の力が抜けた。


「やばい、寝ちゃいそうだ」


 車の中でぐっすり寝たけど、まだちょっと寝足りないのかも。目覚ましも兼ねて、さっさと露天風呂へ行こう。大浴場の壁が一面ガラス戸になっているから、すぐそこに露天風呂が見えている。

 露天風呂は、湯船の縁に大きな岩が配置されていて、その周りには、苔やシダ植物が瑞々しく這い、緑豊かな樹木に囲まれ、気分はまさに森林浴。一方で、今現在女湯になっている方は、岩壁をくり抜いて作ったような野趣に富むデザインになっているそうで、小さな滝もあるらしい。1日に二回、チェックアウト後と深夜にある清掃時間を間に挟み、男女の入れ替えをすると聞いているから、旅行中にどちらも楽しめる。


「そろそろ出るか」


 まだちょっと早いけど、結衣を待たせたら可哀想だ。大浴場へは、夕食後にまた来ればいいしね。


「お兄ちゃん、ゴメン、待たせちゃった?」

「いや、俺も出たばっかり」


 結衣は結構気遣いさんで、こういう時は早めに行動する。だから結局、ほぼ同じ時刻に出てくることになった。

 大浴場の入口は休憩所になっていて、待ち合わせ用のソファや、マッサージチェア、期間限定と看板に書かれたフレッシュジュースの販売カウンターまである。おっ、結構お安い。うん、後で飲みにこよう。

 帰り道、これから大浴場に入るだろう女性グループに、すれ違うたびにガン見されたけど、特に騒がれることもなく、湯冷めする前に離れに到着した。

 家族で囲む温泉会席は、前菜も小鉢も色とりどり工夫が凝らされ、刺身、肉、天ぷらのどれも素材は極上、思いっきり堪能できた。

 食後しばらくはゴロンとして、離れのジャグジーで遊んだ後、もう一度大浴場に行って、今日は就寝。


 あれ? 勉強は?

 今日は午前中にやったから……よし、寝よう。

 お腹いっぱい、身体はくにゃくにゃに柔らかくなって、幸せな気分で眠りについた。


 *


 結星は気づかなかったが、彼が立ち去った後の大浴場では、男性用の暖簾の前を、臨時警戒中だった旅館従業員が塞ぎ、詰めかける女性客との間で押し問答が繰り広げられていた。


「どうにかなりませんか?」

「規則ですので、清掃時間明けをお待ち下さい」

「それじゃあ、出汁だしが流れちゃう!」

「源泉掛け流しを止めることは?」

「できません」

「清掃しなくていいので、中に入れて下さい」

「規則ですから、できません」

「では、清掃係として雇って下さい。髪の毛一本すら見逃しません。無料でいいです。なんなら料金を支払います」

「無茶を仰られては困ります」

「旅館の人だけ入れてズルい〜!」

「ちょっとだけ、ちょっと覗くだけでいいから」

「王子様の出汁が欲しいの〜!」


 老舗旅館側は、入口を死守し侵入を防ぎ切ったが、清掃明けの深夜2時半には、入場待ちの女性が列をなしたため、整理券が配られる事態になったという。ちなみに、源泉掛け流しなので、清掃時間中に湯船の湯はすっかり入れ替わり、浴室はピカピカに磨き上げられていたらしい。

 

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