5-27 待ち伏せ
先日起こった不審者侵入事件。それ以降、聖カトリーヌ学院の警備は当然のことながら強化され、下校時刻前のこの時間帯は門扉が堅く閉ざされていた。
監視カメラの死角をつかれて侵入されたことから、カメラの設置台数や警備会社から派遣される人員が増やされ、全てのカメラに対応する複数のモニターが警備室の壁一面を埋めていた。
「もう少しで早帰りの生徒の下校時刻だけど、様子はどう?」
ここモニター室では常時二人体制で監視をしているが、まだ事件から日が浅いため、学校側も保護者もピリピリしている。そのため警備会社側も臨時の応援メンバーを派遣し、勤務の様子をこうして度々チェックしていたのである。
「「異常なしです!」」
「座りっぱなしで二人とも疲れたでしょ。コーヒーを入れるけど飲む?」
「いただきます! いやもう、身体がバッキバキですよ」
「モニター数が増えたから、どうしても首が疲れるのよね。あとずっと注視しているせいで目も疲れる。仕事帰りにマッサージによることが多くなっちゃった」
「確かに。足元も結構冷えるし、長期休みになったら温泉にでも行ってゆっくりしたいです」
「ですよねぇ……っと。3番モニターのランプが点滅してますね。お迎えの人かな?」
1ー3番のカメラは正門とその周辺を映し出している。上流家庭の令嬢が通うこの学院では、下校時刻になると迎えの車や家人が門前で待機するのは日常的な光景だった。
しかしあの侵入事件以来、監視に支障を来さないようにと、正門から少し離れた場所で待つようにと各家庭に通達をしてあったはず。
でもセンサーが壊れたわけではなさそうだ。彼女たち三人が見つめる3番モニターには、確かに人影が映っていた。
「注意してきますか?」
その人物は、正門の少し手前まで近づくと戸惑うように一旦立ち止まった。そして学院内や周囲の様子を見回した後に、すぐ側にある街路灯に近寄っていく。
「なんか迎えの人にしては怪しい動きですね」
「顔がよく見えるようにズームして」
「はい。対象をロックオン。高解像度でズームします」
直ぐにその人物の上半身が中央の大型モニターに映しだされる。
「……ふぇっ?」
「はへっ? 嘘!」
「やだ……マジで? せ、制服姿だ。現役DKって噂は本当だったのね」
ズームになった映像を驚きをもって見ながら、三人の女性警備員は急にソワソワし始めた。
「不法侵入者ではなさそうだけど、あそこに立っていられるのは困るわ。私が直に行って、その理由を確認してくる」
「私がこの時間帯の担当ですから、私が行ってきます! いえ、行かせて下さい!」
「ズルいよ! ここは私に譲って。年末ロケの抽選が当たったって自慢してたじゃん!」
「嫌よ。だって、あのロケに出演するかどうかは確定じゃないし! あなたこそ毎日等身大抱き枕と一緒に寝てるんでしょ? これでおあいこじゃない!」
「本物が枕と比較になるわけないでしょ!」
その時、早帰りする生徒用に設定された下校時刻を知らせるチャイムが鳴り、正門脇に詰めている守衛が開門に動き出した。
「あっ、ヤバッ! 開門時刻になっちゃう!」
「うわぁ。一番美味しいところを守衛に取られたか」
取られたも何も、門の開閉と門前の対応は本来は守衛の仕事である。
彼女たちが一瞬だけとはいえ、我を忘れて職務を逸脱しそうになった理由。それは。モニター上に全く予想外の、しかし全員がよく知っているある人物が映っていたからである。
門前の待機スペースにあるレトロな街路灯に寄りかかり、どこか人待ち顔をした超甘いマスクのイケメン。そう。そこには、制服姿の武田結星の姿があった。
*
おっ! 門が開きそう。
結衣から教えてもらった下校時刻情報。それをあてにして来たわけだけど、どうやらバッチリだったみたいだ。結衣がいつの間にそんなに人脈を広げたのかは知らないが、この正確さは凄いわ。
あれ? 警備の人? なんでこっちに走って来るの? 何も悪いことはしてませんよ。
正門が開き始めてすぐに、門の隙間から警備員らしき人物が慌てたように走り出てきて、結星のところにやって来た。
「き、君! 君は誰かここの生徒と待ち合わせなのかしら?」
「えっと。待ち合わせはしていないですが、用があって知り合いを待っています」
これってもしかして職務質問的な感じ?
「申し訳ないけど、学院からの通達で、ここでの待ち合わせは今現在控えてもらっているの。できればその知り合いの生徒と、個別に連絡を取って別の場所で待ち合わせしてもらえないかしら?」
ここで待ってちゃダメなの? そんなの聞いてない! うわっ、俺なんかやっちゃった?
「それが、その人とはまだ連絡先の交換をしていなくて、連絡を取れないんです」
「知り合いなのに?」
俺って不審人物に見えてるの? まさか立っているだけで誰何されるとは思わなかった。女子校の前で男が出待ちするのはマズかったのか。
「その……手紙をもらって。今日はその返事をしに来たんです。手紙に連絡先が記載されていなかったから、名前と学校名しか分からなくて」
「念のため、その生徒の学年と名前を教えてもらえるかしら?」
どうしよう? ここには俺が勝手に押しかけて来たわけだし、彼女の名前を言ったら迷惑になるんじゃ……カトリーヌって、うちより厳しい校風だと聞いている。うーん。
手紙の主の名前を告げるかどうか逡巡する武田の視界に、正門から出て来る一人の颯爽とした女生徒の姿が映った。
「あっ、あの人!」
蔵塚スターの生徒会長さんだ!
「あの生徒さんが君の知り合いなの?」
「いえ。探しているのはあの人の友達なんです。あの人に彼女と連絡が取れないか聞いてきてもいいですか?」
「私が同行してもよければ」
幸いに出てきた人物も、どうやらこちらの視線に気づいたようで、いったい何事かといった様子で近づいて来る。
「なにかあったんですか?」
「この男性が、あなたのお友達と知り合いで連絡を取りたいと仰っているのですが、ご面識はありますか?」
「ええまあ。以前学院の行事で会ったことがありますが……君はいったい誰に会いに来たの?」
「山県麻耶さんなんだけど、会って話をしたいのに、連絡先が分からなくて困ってる」
「ふーん。麻耶に君のことを知らせてあげてもいいけど、あと少ししたら本人がここを通るよ……って、もう姿が見えてるじゃん」
正門を振り返る蔵塚スター会長の視線の先を追うと、確かにそこに待ち人の姿が見えていた。でも彼女は、なにか考え事をしながら歩いているようで、門前の状況にはまだ気づいていないようだ。
「麻耶! お客さんが来てるよ!」
蔵塚さんの掛け声に顔をあげた山県さんは、俺を見て驚いた表情をして、すぐに駆け寄って来た。
「この男性があなたを待っていたそうですが、心当たりはありますか?」
「あ、あります! 彼は私の知人です!」
まばらに正門から出てくる生徒たちは、憧れの白薔薇様と麗しの元副会長、それに警備員と共にいる若い男性に気づくと一旦立ち止まり、少し離れたところに半円を描くようにポジション取りをし始めた。まるでストリートパフォーマンスを観覧する観客のように。
〈きっと告白ですわ〉
〈白薔薇様? それとも山県様? どちらが告白をお受けになるのかしら?〉
〈また告白ですの? 愛のストリーム現象ですわね!〉
先日のドラマチックな展開に続き、またもや男性が愛の告白かと色めき立つ女生徒たち。
麻耶に会えてホッとしつつも、未だ緊張を隠せない武田と、その姿をじっと見つめる麻耶。警備員と高坂は、その二人の雰囲気に一歩二歩と後退る。
〈山県様ですわ〜!〉
時が止まったような二人の空間がそこにはあった。この瞬間にリスタートするラブストーリー。
胸の奥でずっとずっとずっと好きだった男性。その人が今、目の前にいる。偶然じゃない。自分に会いに来てくれた。麻耶の胸はそんな想いでいっぱいになっていた。
一方の武田は。
「手紙ありがとう。住所が記載されてなかったから、直接学校に来ちゃったけど、迷惑だったかな?」
「あの手紙を読んでくれたんですか?」
「うん。ちゃんと読んだよ。だから君の気持ちはよく分かった。同じ大学を受けるって本当?」
「そ、そのつもりです。ダメでしょうか?」
それは困ると釘を刺しに来たのならどうしよう? そんな気持ちで麻耶は不安になる。でもそれは一瞬だった。
「そんなことないよ。でも、俺が進学する大学名は知ってるの?」
「えっと。爽馨大……ですよね?」
「うん、合ってる。よく分かったね。一応内緒にしてたつもりだったんだけど」
「プライベートを詮索してしまってごめんなさい。同じ大学に通いたくて、学校の後輩の友達の友達の親戚の友達の妹さんの友達から聞いて」
「ははっ! まるで伝言ゲームだね」
「そ、そうですね」
間にそんなに沢山の人が入っているのに、よく情報が合っていたなと結星は妙なところに感心して、思わず笑いが溢れた。
麻耶はそんな素の笑顔になった結星に見惚れてしまったが、彼の次の言葉でまた不安になってしまう。
「でね。読んだけどあえて返事は書かなかった」
「それは……私には可能性はないってことですか?」
こんなに格好いい、王子様みたいな人とのハッピーエンドなんて、やっぱり夢物語だった。きっとすっぱりと告白を断りに来たに違いない。
麻耶の気持ちは先ほどからジェットコースターのようにアップダウンを繰り返し、今は頂点から落ちる寸前だった。
「いや、そうじゃないよ。あんな手紙をもらったら、文字だけで俺の気持ちを伝えるのは無理かなって思って。だから直接言いに来た。今ここで言うけどいい?」
「お、お願いします!」
一気に鼓動が跳ね上がり、早鐘のように打ち始める。麻耶は無意識に両手で胸を押さえていた。
「君は俺のことをずっと見ていてくれたみたいだけど、ごめんね、俺は君のことを全然知らない。だから」
だから? 期待と不安。果たして答えはどっち?
「……待ってる。爽馨大で。そこが君と俺のスタート地点になったらいいな。だから、受験頑張って! 応援してる」
「あ、ありがとう!」
「それでこれがお土産。もらいものなんだけど、合格祈願のだから丁度いいかと思って」
結星から手渡されたのは、よく見慣れたエグザのラッピングに包まれた一本のストラップだった。でも中身が違う。麻耶が今まで見たことがないデザインだ。
「ヒヨコ……と蛸?」
ヒヨコシリーズのひとつである合格祈願ストラップ。それを世間より一足早く結星は手に入れていた。
「新製品だから、まだ店頭では手に入らないらしいよ。じゃあ、俺はもう行くから。来年の春にキャンパスで会おう!」
そう言って、片手をあげて爽やかに立ち去る武田の背中を、今にも涙がこぼれ落ちそうな潤んだ瞳で見つめ続ける麻耶。
その姿が見えなくなってしばらく。ようやく再起動した麻耶は、自分の手の中にあるものを改めて見つめた。ストラップの先には合格鉢巻きをしめた赤い蛸と、その上に騎乗したラブリーなヒヨコがいて、麻耶を見返してきた。
「やだなにこれ。……すっごく可愛い。でも……ヒヨコはエグザの新キャラクターだから分かるけど、なぜこの子は蛸に乗っているのかしら?」
不思議に思って少し首を傾げると、目尻から温かい涙が溢れた。そんな麻耶に、早くもお祝いムードの見守り隊のメンバーが駆け寄るのは、もうすぐのことである。
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