5-18 織田弟の純情

「ねえ、いち勘十郎かんじゅうろうの様子はどうだった? あなた会いに行ったんでしょう?」


 津々木くららの逆ハー計画に巻き込まれ、現在織田家の別荘で療養中ーーという名目で軟禁されている織田勘十郎。


 彼は傍若無人な兄の三郎とは異なり、誰もが認める優等生であり、深窓の令息にありがちな初心うぶなハートを持つ少年だった。それ故に、くららの魅了スキルに長期間翻弄され続けた影響は大きく、かなりの心的ダメージを負っていた。


 性格の異なる弟たちの様子を伺う姉二人、犬華いぬか市華いちか。将来の織田家を担う美しい姉妹は、彼らの所業と処遇に頭を悩ませていた。


「犬姉様。一時よりはマシですが、あまり芳しくないといったところですね」


「あの子は、一見できるように見えて実はヘタレだから、当分はダメかもしれないわね。三郎も相変わらず幼稚で、セッティングしたお見合いに対して反抗的。本当にうちの男たちときたら、肝心なときに使えないんだから」


「お母様が甘やかし過ぎだからです。あの二人には、お家のために働くという自覚がなさ過ぎます」


 世間では甘い男性への評価も、家同士の結び付きに男性の婚姻が大きなウエイトを占める上流の家系では、その扱いが若干異なっていた。


正親町おおぎまち家の栄子さかえこ様がいくら寛容だといっても、三郎のあの態度ではいずれ嫌われてしまうわ」


「カトリーヌの高等部でも、三郎の評判はよくないと聞いています。よりによって、あの皇極家の娘に手を出したせいで」


「そうなのよね。だから元正家や後桜町家にも敬遠されて、エルダーパートナーしか選べない状況になっているのに、全く自覚がないんだから」


「北条や今川の男子は、家格の釣り合うエルダーパートナーと粛々と婚姻を結び、夫婦仲も良好だと聞いています。三郎は栄子様の何が不満なのかしら?」


「さあ? 私から見ても、朗らかで素敵な方だと思うわ。きっといつもの我儘でしょ。……そういえば、妙な話を聞いたのよ。勘十郎をたぶらかした女が、今はカトリーヌにいるって。本当だとすれば、腹立たしいことだけど」


「それは初耳です。あんなことをしでかしておいて、カトリーヌへ? 今度は何をするつもりかしら? 油断がならないわ」


「あなたも知らないのなら、まだそれほど広まっていない話なのかもね。裏が取れ次第、できるだけ遠くへ追いやってしまいましょう。この噂がお母様や勘十郎の耳に入る前に」


「あのお女は、調べても結局バックに誰がついているのか不明なままでしたから、それが無難そうですね」


 いくら調査しても、その背景コネが不明な得体のしれない怪しい女。織田姉妹には、津々木くららはそう映っていた。


 ◇


来人らいと……いや、くらら。君に会いたい。君は今、いったいどこにいるんだい?」


 織田勘十郎は、雨に打たれるピンク色の紫陽花を前に、切なげにそう呟いていた。


 最初は変な奴だな、という印象しかなかった。廊下で出会い頭にぶつかったあのとき、黒縁の無骨な眼鏡が外れた。あれは運命だったと思う。


 だって、露わになった君の瞳を見たその瞬間、僕の心は打ち震え、無性に君に囚われたのだから。


 日頃は生意気で、ぞんざいな口をきくのに、時折見せるいたいけな子猫のような姿。僕がいなければ、弱って儚くなってしまいそうな可憐さ。僕には分かる。あれが本当の君なんだ。


 ……守ってあげたい。生まれて初めて自覚した、男としての本能からくる熱い想い。


 最初は少年だと思っていたから、その特別な感情は、想いの強過ぎる友情なんだと思い込もうとしていた。


 でもあのとき。


 そう、今日みたいな雨の日に、うっかり覗き見たあのとき。君は全ての偽装を外して、本来の少女の姿を晒していた。それを垣間見たことで、僕は自分の想いを確信した。


 これは恋だと。


 女なんて、強引でふてぶてしく、男である自分を振り回すだけの厚かましい存在でしかなかった。だけど、君は今まで周りにいた煩わしい女たちとはまるで違う。


 この世に舞い降りた天女のように清楚で、驚くほどに素直で、いとけない。


 少年ではなく、少女だと分かったからには、この恋に障害はない……そう思ったのに。


「うっ……」


 急に目眩がして傘を落とし、立っていられずにその場にしゃがみこむ。


「勘十郎様!」


 僕の様子を見張っていたメイドが、慌てて駆け寄って来た。


 愛情に飢えていたくらら。僕の心だけじゃ足りない、幸せになれないというから、嫌々、他の男たちの関心を引こうとする君に手を貸した。


 でも、くららが一番欲しかったものが、実兄の三郎からの求愛だったなんて。なぜ、僕じゃダメだったの? くらら、それを教えて欲しい。


 ……愛しているという言葉が足りなかった?


 もしそうなら、次こそ大声で叫ぼう。誰が見ていたって構わない。いや、世界中の人に聞いてほしい。僕がくららを愛していると。



 くららの逆ハー計画が進むにつれて、嫉妬という黒い感情で塗り潰されていった勘十郎の初恋。踏みにじられ散らされた純情。


 情緒不安定、食欲不振、吐気、不眠、目眩。


 そういった身体症状が、箱入りに育てられた勘十郎を今もなお苛んでいた。


 津々木つづきくららの所有スキル。魅了系パッシブスキル【私のとりこ】や

 アクティブスキル【いたいけな子猫ちゃん】は、生身の人間が長期間暴露されるには、あまりにも強力過ぎた。


 その想いが、心の奥底深くに根を張るほどに。


「奥様、申し訳ございません。勘十郎様がまた体調を崩されました。医師は手配済みですが、お食事はいらないと仰られて」


「そう。今度はいったい何がきっかけだったの?」


 末っ子の現状に最も心を痛めていたのは、現在の織田家の当主である彼の母親である。一進一退を繰り返す息子の状態に、彼女は憂いと苛立ちを隠せないでいた。


「おそらくですが、ピンク色の紫陽花をご覧になられたことが引き金だと思われます」


「……忌々しい。やはりピンク色に過剰に反応するのね」


「あの系統の色は屋敷内から全て撤去したつもりでしたが、まさか紫陽花があんな色になっているなんて。目が行き届かず誠に申し訳ございませんでした」


「いえいいのよ。あなたはよくやってくれているわ。実際に、看護師資格のあるあなたが来てから、あの子の状態はだいぶ良くなったもの。でもおかしいわね。去年までは紫陽花はどれも鮮やかな青色だったはず。庭の土壌は変えていないのに、なぜ色が変わったのかしら?」


「庭師も不思議がっていました。先日手入れをした時は、青かったのにと」


 彼女たちは預かり知らぬことであった。攻略対象として完落ちしていた勘十郎が、未だなおゲーム的な呪い【桃色の呪縛】に囚われていることを。


 その影響で、攻略者である津々木くららと引き離されると、激しい愛の渇望感に襲われ、重い恋煩いのような症状を引き起こしていることも。


 不可思議な紫陽花の変色すらも、攻略対象者が遠く離れてもヒロインを忘れないようにするために働く呪いの一貫であった。


「可哀想な勘十郎。勘十郎をもて遊んだ女を許す気にはなれないけど、身体を患うほど好きなら、添い遂げさせてあげてもいいのかもしれない。このまま回復の兆しが見えないなら、それも視野に入れましょう。あの女の居場所を探してちょうだい」


 勘十郎を溺愛している母親が、方針転換を考え始めたのは、まさにこの時であった。

 

 

 


 


 


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