5-17 カトリーヌは雨模様

 ーー少し時を遡り。季節は梅雨。


「女子校なんて聞いてない」


《マスターの攻略対象になる生徒がいないことはお伝えしたはずです。今現在最優先されるべきなのは加護エネルギーの再貯蓄になります。そして、このエリア一帯で最も乙女エネルギーが集まる場所がこの学院です》


「でも、でもでも! 男子が全然いないなんてつまらない。もうやだっ!」


 窓の外はやけに暗い。まるで津々木くららの現在の心境を表すような、どんよりとした雨模様だ。


 彼女が編入生としてやってきたのは、日本最高峰のお嬢様学校である聖カトリーヌ学院である。寮生でもある彼女は、自らの部屋で桃色の日記帳を前に、先ほどから愚痴を吐いていた。


《ここへもかなり無理をして編入をしています。エネルギー不足により、しばらくは特殊機能は使用できません》


「……いつ頃、ここを出られるの?」


《夏季休暇の間は生徒がいなくなるため、エネルギーの供給がほぼ止まります。ですから秋以降も滞在を続ける必要があり、余剰エネルギーの確保まで含めると、この学院を出られるのは早くて来年の春になります》


「ええーーーっ! そんなに?」


《そんなにです。安土桃山学院での大規模な多重作戦展開、栄華秀英学園での抵抗勢力との戦い。この二つにより、あれだけあった加護エネルギーがほぼ枯渇するほど消耗しています。これは由々しき事態です。繰り返しますが、目下の目標は速やかな加護エネルギーの補給です。そのための最適地である聖カトリーヌ学院への編入を実現するために、最後の残存エネルギーを使いました》


 くららは、乙女ゲームの世界に来ちゃった! とテンションが上がり、思いつくままに無計画に攻略を仕掛けたという自覚はあった。だがその結果がこの状況であることには、まだ納得がいっていなかった。


「……無理をさせたのは悪かった。でも、もうちょっとなんとかならない? 来年の春まで、こんな監獄みたいな場所に閉じ込められて、イケメンに会えないなんて辛過ぎる」


《なりません。この通信をもってして、私はしばらく休眠状態スリープに入らせて頂きます。再びお会いできるのは来年の三月頃の予定です。マスターにおかれましては、決してご無理をなさらず、ご自愛のほどお祈りいたしております。念のため申し上げますが、この世界はゲームではありません。現実です。そのことを踏まえて慎重に行動を選択して下さい。では、おやすみなさいーー》


「まっ、待ってよ。スリープって何? やだっ、一人にしないで!」


 時すでに遅し。津々木くららは、この世界に来て初めて一人になってしまった。


 彼女がこれまで傍若無人に振る舞ってこられたのは、自分が望んだ超常現象を確実に可能にする桃色の日記帳というスーパーアイテムがあってこそ。


 奇跡を起こす日記帳がなければ、誰も彼女が引き起こした騒ぎの後始末をしてくれない。それに、乙女が集う聖カトリーヌ学院では、男性だけを対象とする魅了スキルの使い途は全くと言っていいほどなかった。


 つまり彼女は、ちょっと見た目が可愛いだけの普通の女の子に過ぎなくなってしまったのである。


「これからどうすればいいの?」


 彼女の願いを叶え続けてくれた魔法の日記帳は、数カ月に渡る長い眠りについてしまった。くららにしてみれば、荒野にいきなりポンッと放り出された気分である。


 この状況になってみてやっと、くららは自分がこの世界について何も知らないことに気づく。乙女ゲームの世界に入り込んだと思っていたから、この世界の本当の姿について調べることすらしてこなかった。


 ステータスが表示されたり、スキルを持っていたり。さらには『王道! 安土桃山学院♡ 深窓のイケメン令息との禁断の恋の行方』なるシナリオまで用意されていたせいで、ここがゲームの中であると勘違いするのに、十分過ぎるほど材料が揃い過ぎていたのもいけなかった。


 だから。


 思う通りに物事が進まないのは、好感度が足りなかったり、イベント発生に必要なフラグを踏んでいないだけ。


 単純にそう思い込んで。


 フラグを回収しようと躍起になり、現実を乙女ゲームらしいシナリオに合わせようと、強引な手法ばかりを選んでいた。


「あーあ。ゲームじゃないなんて言われても……聞く耳を持たなかったのは私だけどさ」


 今更ながら思い起こせば、折々、日記帳には注意を喚起されていたように思う。特に逆ハーレム計画を実行に移すときには、ターゲットは絞れ、交際するなら遊びではなく真摯に、本命の相手とだけ付き合えって。


「……逆ハーなんて欲張らなきゃ上手くいったのかな? ねえ、桃ちゃ……もういないんだった。あーあ。他に行きようもないし、桃ちゃんの復活までここで大人しくしてるか」


 

 *


 そうは言ったものの。


「皆さんに、新しいお友達をご紹介します」


 対面した新しいクラスメイトたちは、どこか浮世離れした深窓のお嬢様ばかり。イケメンが大好きで庶民っぽい感覚に馴染んだくららとは、当然のことながら波長が思いっきりズレていた。


「ごきげんよう」

「ごきげんよう」

「ごきげんよう」


 会う人会う人、ごきげんようの嵐である。


「ねえ、なんで挨拶が全部『ごきげんよう』なの?」


「えっ? 日常的な挨拶としては一般的ではないかしら?」


 一般的ねぇ。


 話をよく聞くと「ごきげんよう」は、朝でも昼でも夕でも時間を問わず使える便利な言葉であるらしい。挨拶+「元気よくお過ごしですか?」のようなニュアンスがあり、返す返事も「ごきげんよう」で済む。


 でもなんか、言いづらいのよね。


「津々木さん、食堂にご案内しますね」


 親切なクラスメイト数人が、一緒にお昼を食べようと誘ってくれた。丁寧過ぎて話しづらいが、幸いにも人が良さそうな子ばかり。


「みんな親切なのね。お嬢様ばかりだから、もっとタカピーかと思っていたのに」


「タカピー? それはどういう意味ですの?」


「初めて耳にしました。どこか不思議な語感。なぜかとても気になりますわ」


 まさかそんなところに食いつかれるとは思わなかったくららは、キラキラした目をするお嬢様たちに向かって、高慢ちきで鼻持ちならない人「高飛車Peopleピープル」の略であるとは言えず、咄嗟に猫被り翻訳をして返事をする。


「……えっと。そうね、高貴な感じで近寄り難いって意味かな」


「まあ。そんな便利な略語があるなんて、全く存じませんでしたわ。やはり外部生の方は、物知りでいらっしゃるのね。でも、わたくしたちごときでは、その『タカピー』には到底相応しくないと思いますの」


「そうですわね。高貴で近寄り難いといえば、まず第一に女帝様方ですもの」


「女帝? なにそれ?」


「津々木さんは外からいらしたからご存じないのね。皇極こうぎょく様、元正げんしょう様、後桜町ごさくらまち様。高等部の三年生に在学してらっしゃるこのお三方は、格式が高く特別に高貴な存在でいらっしゃるので、敬意を込めて女帝様と呼ばれています」


「なるほど。いわゆる悪役令嬢みたいなものね」


「悪役? とんでもない! 女帝様方は、大和撫子の見本ともいうべき、お美しいだけでなく、人格的にも素晴らしい方たちです」


「カトリーヌ生の目標なの。みんな憧れているわ」


「あの滲み出る気品は、やはりお生まれの違いを感じますわ」


 女生徒たちの同調圧力にちょっとたじろいでしまうくらら。彼女にも、ここでクラスメイトの機嫌を損ねることは得策ではないことくらい分かる。


「そ、そうなんだ。ごめん、私の勘違いだったみたい」


「分かって頂ければ、よろしいですわ。では参りましょう」


 その後は無難な会話に終始し食堂に着いた。すると、物凄い人垣ができている。


「うわぁ。食堂っていつもこんなに混んでいるの?」


「いえ。これはおそらく……」


〈白薔薇様だわ〉


〈麗しい光景ですわ。皇極様と仲睦まじくていらっしゃる〉


〈白薔薇様。久しぶりにお見かけしたけど、やっぱり素敵〉


〈凛々しいお姿を拝見できて幸せ〉


「いつもは中庭でお食事をなさっている白薔薇様が、お天気が悪いので食堂にいらっしゃっているみたい」


「白薔薇様って誰?」


「それはもちろん、この学院を代表する究極のお姉様ですわ!」


 白薔薇様という乙女ゲーム的なフレーズが気になったくららは、人垣をかき分けて前に進み出てみた。


 するとそこには、蔵塚スター的なイケてる美少女と、高貴な雰囲気が漂う清楚な美少女が、仲良く三段重をつついている光景があった。


「……そうだよね、女子校だもの。いくら格好よくても女じゃね。でもなんか気になるなぁ」


 イケメンを見ると反射的に使う癖がついているアクティブスキル【対象チェッカー】。女性に対しては無効なそのスキルが、反射的にイケてる美少女に対しても使われていた。


「えっ? なんで女性相手に発動するの? 攻略対象、高坂花蓮? どういうこと? まさかまさかの隠れイケメン? でも、どう見ても女性なのに。女装の麗人ってことはないよね? 意味不明。いったいどうして?」

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