2-22 その頃の彼女たち

 

 とある家のリビング。


 等身大の姿見に向かい、真摯な表情で自己紹介をする一人の少女の姿があった。


「小早川夕子と申します。特技は料理とお菓子作りで、中高とクッキング部に所属し、昨年は部長も務めました。これからも研さ、研鑽を怠らず、料理の腕を磨き、結星さんに美味しい食事を提供したいと思っています」


「噛んでんじゃん」


「うるさい。こっちは真剣なのよ。茶化さないで」


「ごめーん。だけど、もう何回目? いや、何十回か。同じセリフを繰り返し聞かされる身にもなってよ」


「そんなこと言わずに、ちゃんとチェックして! お姉ちゃんが幸せになるために協力してくれるって言ったじゃない」


「そりゃあ、数年後の我が身だからそう言ったけど、自己紹介から全然進まないのってどうよ。いい加減、次に行ったら?」


「だって、最初が肝心っていうでしょ。私には恭子キョーコのような巨乳もない。志津シズのような頭脳もない。とにかく、料理上手をアピールするしかないの」


「巨乳はともかく頭脳って。お姉ちゃんだって栄華秀英の常勝A組じゃない。私からすれば十分に凄いよ」


「……睡眠時間を削ってガリ勉してね。努力する根性では負けないかもしれない。でも、志津は私とは基本的な頭のデキが違う。彼女は首席入学、学年首席をずっと維持している余裕のA組なの。あの雷霆らいてい女子の特待を蹴ってウチに来てるんだから」


「えー、凄い。雷霆女子って、超難関医学部進学特化校の? そこの特待を蹴るなんてどうして?」


「女子校が嫌だからに決まってるじゃない」


「やっぱりそれしかないか。そして学年一のイケメンを見事にゲット。確かにめっちゃ強敵だわ」


「でしょ? もう一人の恭子だって凄いんだから」


「巨乳が? 見ないと分からない。写真ある?」


「あるわよ。ほらこれ」


「……うわっ! マジですか。巨乳っていうか爆乳じゃん。なのにウエストがめっちゃくびれてる。あり得ない。なにこの体型。こんなエロ水着を着こなすなんて。これで天然? 生乳なの? 人造じゃないの?」


「天然。触らせてもらったことあるから間違いない。そこが恭子の恐ろしいところ」


「……お姉ちゃん、益々見直したよ。すっごく頑張ったんだね。学年一、いえ全国一といってもいい秀才と、こんな天然エロボディと同時に選ばれるなんて」


「やっと分かってくれた? 武田くんはとっても優しい人だから、こんな私でもいいって言ってくれた。だけど、ご印籠いんろう様までそうとは限らない。っていうか絶対に他の二人と比較される」


「ご印籠様かぁ。優しい男性の母親だからって、同じように優しいってわけでもないって言うしね」


「そう。さらに武田家には小印籠様までいるのよ」


「……それは、ご愁傷様だわ。分かった。とことん付き合うよ。練習しよ。お姉ちゃんの魅力が少しでもアップするように」


「ありがとう。親身になってくれる妹をもって姉は嬉しい。じゃあ、最初からいくわよ!」



 ◇



 小早川こばやかわ 夕子ゆうこ有馬ありま 恭子きょうこ高橋たかはし 志津しず


 結星ゆうせいが企画スキー旅行に出かけている間に、結星の母に呼び出しを受けた三人は、武田家へ足を運ぶことになった。


 通い婚の時代。


 姑と同居するわけではない。かといって、姑という縛りから完全に自由になれたわけではなかった。


 姑の機嫌を損ねた場合、姑の否定的な言葉に従い、男性が婚姻相手の女性の元に来なくなってしまう。その可能性があるからだ。


 そして、意中の男性との交際が決まり、特にその男性が未成年だった場合には、必ず通らなければならない通過点がある。


 俗にいう「印籠いんろう関門」と呼ばれる慣例である。


 これは、男性を挟んで相対する姑と嫁が、初めて面通しをする儀礼的なイベントを指している。そして姑から嫁候補に、やりたい放題の圧迫面接が課されることが有名であった。


 ちなみに、印籠の名称の由来は姑の英訳に由来する。


 motherマザー-inイン-lawロー


 法律上の母親、義理の母の直訳がこれ。


 このイン・ローの部分が、音の響きと、某ご老公の権威と同じくらいの威力があるという意味で、姑による関門が「印籠関門」と呼ばれるようになっていた。



 *



「皆さん、初めまして。私が結星の母親の武田結子ゆうこです。こちらが、結星の妹の結衣ゆい。皆さんのことは結星から報告を受けています。でも、この集まりのことは、結星は全く知りません」


 結星の留守中に、交際を決めた三人が自宅を訪れることを、結星は知らされていなかった。

 もし知ったら、彼の性格上、必ず同席したいと言い出すことが予想されたからだ。それではこの通過儀礼の意味がない。


 この集まりの目的は「婚約を前提とした交際」が本格的に始まる前に、女同士で忌憚きたんなく、腹を割って話し合うために開かれるもの。


 ……は建て前で、圧迫面接により嫁候補がボロを出すことを期待するものだったから。



「早速、皆さんに順番に自己紹介をお願いしてもいいかしら。お名前とセールスポイントがあればそれも。じゃあ、こちらのあなたから」


「ひゃ、ひゃい。こ、小早川夕子です。趣味……と実益を兼ねて料理が得意です」


 いきなり当てられ、事前の練習が全て吹っ飛びテンパってしまった夕子。


「そう。結星は食いしん坊だから、それは素敵な特技ね。でも、美味しい料理なんて作れて当たり前でしょ? 他にあなたには何か魅力があるのかしら?」


「え、えっと。誠実さとか……」


「結婚しようとする相手に誠実に向き合うのも当たり前のことよね。じゃあ、隣の方」


「有馬恭子です。私は他の女性とも仲良く過ごす自信があります」


 どうやら恭子は行き当たりバッタリのようだ。


「それだけ? 嫁同士で喧嘩してもらっては困るわ。だからそれも当たり前。ずいぶんと立派なものバストをお持ちだけど、それはアピールポイントではないのかしら?」


「た、体型の維持には日頃気をつけています。いつでも魅力的な女性でいられるように、これからも頑張ります」


「若いわねぇ。あと二十年もしたら、そんなのタルンタルンよ。肩凝りの原因になるだけ。まあいいわ。次の方」


「高橋志津と申します。私は将来医師になって、心身ともに結星さんを支えていきたいと考えています」


 三番目だったせいか、比較的落ち着いている様子の志津が、丁寧かつシンプルに返答した。


「医師? 医師になるための勉学は非常に大変だと聞いているわ。学生時代から、実習で早朝に出かけたり、夜遅くに帰って来たりするんでしょ? 社会に出たら、それこそ夜勤や休日当番、残業と多忙を極めるのよね?」


「はい。その実態は否定できません。でも、勤務形態を選んだり、時間をやり繰りして……」


「結婚しない職業筆頭の医師になる。でも家庭は優先したい。随分と矛盾している気がするけど、そういうこと? 欲張りなんじゃないの? 本当に仕事と家庭との両立なんてできるのかしら?」


「そ、それは、他の女性とも相談して、結星さんの負担にはならないように努力します」


「努力……口で言うのは簡単よ。でも実践するとなったら話は別だわ。他の方もそう。漠然としたぬるい幻想はもう捨てるべき。この国の経済は女性の力で動いているの。あらゆる産業もそう。福祉や医療もね。女性は社会の歯車になりながら、お金を稼ぎ、家庭を作り、子供を育てる」


 結子の口調が、そう言ったところで若干緩む。そして、糾弾するものから次第に諭すようなものに変わっていく。


「……そうしながら、気まぐれな蝶のような男性を、自分の元へ引き止めるために尽力しなくてはならない。それは想像以上に大変なことなの。でも、その覚悟をね、皆さんには今から持っていて欲しいの。挫けたり途中で投げ出したりしないように。だって、あなたたちは、結星が選んだ子たちですもの」


 結子は三人の決意を促すように、ひとりひとりと目を合わせていく。


「わ、私は、料理くらいしか取り柄がないけど、武田くんのことが好きで、大好きで、できること全部、武田くんのために、彼が幸せになれるように、我武者羅に頑張ります。だって、それが私の幸せだから」


「そう。応援してるわ」


「私も、積極的に女性たちを取り持って、日頃から愚痴を聞いたり、相談をしたくなるような人になれるように努力します。そして、トラブルが起こる前にその原因を取り除いて、武田くんが好きな子がみんなで、できるだけ幸せになれるようにしたいです」


「その目標に向けて頑張って」


「私は……医師になるという決意は変わりません。おそらく、周りに迷惑をかけてしまうこともあると思います。でも、もう独り善がりはやめます。こうして共に歩む女性たちの力を借りて、そしてそのことに常に感謝することを忘れずにいたいと思います。二人とも、厚かましいお願いだけど、こんな私に協力してくれる?」


「当たり前じゃない」


「もちろん、私たちはライバルだけど、その前に友達でしょ?」


「あ、ありがとう」


 ここにきて感無量の三人。今にも泣き出してしまいそうだ。


「それだけ皆さんの仲が良ければ、苦労はするでしょうけど、挫折はしないで済みそうね」


「うんうん。仲良しなのはいいことだね。じゃ、そういうことで、第二部に行ってもいい?」


 それまで黙って話を聞いていた結衣が、そこでいきなり話を変えた。


「結衣。もうちょっと空気を読みましょうよ。皆さん、今とってもいい雰囲気になってるのに」


「えへへ。ごめん、ごめん。でもさ、お母さんももう限界でしょ? 意地悪な振りするの」


「そうね。『必見! 印籠マニュアル』を読んで頑張ってみたけど、圧迫面接なんて全くしょうに合わないわ。あまり上手くできてない気もするし……もう終わりにしよっか」


「うん。じゃあ、司会を私にバトンタッチね」


 母娘の会話にキョトンとする三人。


「終わり? もう面接は終わりってことですか?」


 こんなアッサリと印籠関門が終わるわけがない。そんなの聞いたことがない。三人の顔はそういった戸惑いに満ちていた。


「そう。でも第二部が始まるよ。お姉さんたちには、これからお兄ちゃんの好きな料理を覚えてもらいます。お兄ちゃんは、知っているかもしれないけど、とっても食いしん坊です。そのお兄ちゃんが、お母さんの手料理は涙を流しながら食べます。この意味、分かりますか?」


 母親の料理を食べて結星が泣いてしまったのは、この世界に来たばかりの頃、それも過去に一回だけの話だ。それを己の知らぬところで暴露されてしまう。ちょっと可哀想かもしれない。


「お、教えて下さい。是非その究極の料理を!」


 料理と聞いて、夕子が両手を握りこぶしにしながら、食いついた。


「ブッブー。究極の料理は間違い。お兄ちゃんが好きなものはお子様ランチに載ってるようなシンプルな料理ばっかりなの。でも、ちょっとコツと工夫が必要。そんな感じです」


「そう。特別な材料を使うわけじゃないし、料理が得意な夕子さんなら、きっと直ぐにできちゃうわ。その内、あの子に作ってあげてね」


「はい! そっくり再現できるように頑張ります! ご伝授のほど、よろしくお願いします!」


「夕子さん、気合い入り過ぎ! 第三部は結衣とプリン作りだから、それまでに燃え尽きちゃダメだからね!」


 結星の未来の嫁三人と、その姑と小姑は、和気あいあいと料理を作り始めた。今後、結星が食いっぱぐれることはなさそうである。

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