第3章 もうすぐ夏休み〜夏休み編
第14話 試食会
母さんが帰ってきてから数日が経った。
「平日は、一緒に夕飯を食べられるとは限らないの。その代わりに、毎日の朝食と週末の食事は、できる限り三人で共にしましょう」
そう母さんに言われた。この世界の女性は一家の大黒柱でもある。だから、やっぱり仕事が忙しそう。
それなのに、朝食は結衣が和食、母さんが洋食で、だいたい日替わりで作ってくれている。
俺もやらなくていいの?
そこのところを一応確認してみたら、男の子はしなくていいってハッキリと言われてしまった。でも、もし料理がしたいのであれば、趣味でやる分には構わないって。
申し出てはみたものの、料理に関しては、おそらく猫の手にもならないという自覚はある。だからありがたく、食べる専門を任されることにした。それは超得意だから。
そうそう。結衣はダンス部と迷った上で、結局クッキング部に入ることに決めたそうだ。
上下関係の厳しいダンス部に、最上級生である三年生から途中入部することにためらいがあったのと、先日俺が、オムライスを食べながら泣いてしまったのを見て、何か思うことがあったみたい。
あれは今思い出すとかなり恥ずかしかった。だってこんなデカい男が、スプーンを片手に子供みたいにポロポロと涙を流しちゃったわけだから。
そのクッキング部といえば……そう、カップケーキだ。
この間、雨が降った日に小早川さんと約束したよね。あれが本当に実現することになった。あの時に言っていた、クッキング部の次の活動日が、今日6月21日。
「武田くん。今日の部活のときと明日の午後に時間を取って、みんなで沢山作ることになったの。だから試食会は明日にするね。甘いのと甘くないのと両方、いろんな種類があるから、楽しみにしていてね」
もしかしたら、ちょこっと試食をもらえるのかな? くらいに思っていた話が、まるでクラスイベントみたいになっていた。
最初に話を聞いた時点では、クッキング部の部活動で作ると言っていた気がする。でも、それを知った2年A組の女子の中に、是非自分も作ってみたいという子が多かったらしくて、相談して体験入部という形で一緒に作ることになったそうだ。
そのおかげで、A組男子5人全員の分の試食も、余裕で作れると言っていた。
試食会の日を知らせに来てくれたのは、小早川さんと、もう一人、ふわふわ髪を可愛いピンでサイドに留めている
「いい匂い。甘い匂いがする」
凄く美味しそうな匂いだったから、うっかり口に出してしまった。
「えっ! 匂う? やだ。材料から移ったのかな?」
くんくんと、腕の匂いを嗅ぐ小早川さん。女の子だもんね。匂うなんて言って悪かったかも。
「余計なこと言ってごめん。でも甘くて女の子らしくて、とてもいい香りだから、そのままでいいと思うよ。俺はそういうの好きだから」
「す、好き!?」
「ユー子、ハンカチ」
なぜかパッと差し出される、ピンク色のハンカチ。
「あ、ありが……」
小早川さんが、ハンカチで鼻を押さえる。
「大丈夫? 鼻がどうかしたの?」
「武田くん、いつものことだから大丈夫。気にしないで。じゃあ、試食会には是非きてね! 待ってるから!」
小早川さんの代わりに、立花さんがそう言って、なぜか二人は教室を出ていった。
カップケーキの試食会が終わったら、しばらくは部活動の禁止期間になる。学期末のクラス分け試験の前は、そうなる決まりなんだって。
だからその前にやらなきゃってことで、1学期の打ち上げ的な意味合いも兼ねて、女子たちはかなり気合を入れて準備しているそうだ。だから、部活に勉強に、疲れているのかもしれないね。
俺も他人事ではなく、いよいよテストが近づいてきた。学校の授業は難しいけど、ギリギリついてはいける。
【天資英邁】生まれつき才知が非常に優れていること
それはたぶん、このスキルのおかげ。ただ、どうしても間に合わない科目もある。何かって? それは世界が変わって、以前と大きく内容が変わってしまったもの……そう。歴史、公民などの社会全般だ。
男女比が変わる転機となった、巨大隕石の衝突以降の全ての歴史が違う。起こった出来事も、経済活動も、法律や政治、選挙制度ひとつにしても、いろんな変遷があった。それを全部覚え直さなきゃいけないなんて、辛過ぎる。
……でもやるしかないよね。
俺が今生きていて、今後も生きていくのは、この世界なんだから。
◇ ◇ ◇
各テーブルに置かれた白い大きなお皿。その上に、色とりどりの洒落た紙ナプキンが敷かれ、いろんな種類のカップケーキが載っている。部屋の中は、美味しそうな匂いでいっぱいだ。
今日は、いよいよ試食会。
調理室の他に、試食室という小綺麗な食堂みたいな部屋があり、そこが会場になっていた。
カップケーキというから、コンビニで売ってるような蒸しパンみたいなのをイメージしてたら、全然違っていた。俺の貧相な予想をいい意味で裏切り、もっといろいろ凄かった。
*
「みなさん注目! 各自紙皿とお手拭き、必要な人はフォークを台から取って下さい」
はーい。
「ケーキは、全員がお腹いっぱい食べても大丈夫なくらいありますが、季節的に衛生面が厳しいので、お持ち帰りは厳禁です。飲み物は、あちらのサーバーからご自由にどうぞ。では、試食会を始めます」
うわぁ。どれから食べようかな。でも、先に紙皿とかを貰いに行かないといけない。
そう思っていたら。
「男子のみんなも遠慮なく食べてね。テーブルや座席は自由なので、お好きな場所でどうぞ」
小早川さんと立花さんが、俺たちの分の食器とお手拭きを持ってきてくれた。わざわざありがとう。
「ずいぶんと沢山の種類があるんだね。これを全部作ったなんて凄いよ」
「今回は参加人数が多かったから、大変だったのはオーブンの待ち時間調整くらいかな。各テーブルに、そのケーキを作ったメンバーがいるので、中の具とか味を知りたかったら是非聞いてみてね」
はーい。
「じゃあ、遠慮なくご馳走になります」
……ってことで、試食会が始まった。
まずは小腹が空いているし、甘くないのから行くか。
辺りを見回して当たりをつけ、甘くないケーキがありそうな方に行くと、既にそこには斉藤と結城がいて、女子に質問をしていた。それに聞き耳を立てる。
「甘くないのって、どんなのがあるの?」
「このテーブルにあるのは、ケーキサクレっていう塩味のケーキ生地に、肉や野菜の具がたくさん入っていて、いろんな味が楽しめるケーキなのよ」
気になる。そんなの食べたことない。
「塩味なんだこれ? 肉や野菜って何?」
「これがハム・チーズ、その隣がコンビーフ・グリンピース・人参、そしてこれが卵・キノコ・ほうれん草です」
どれも美味しそう。後でコンビーフは絶対に食べる。
「他にも甘くないのってあるの?」
「あっちの大きなテーブルに、挽肉入りパンと、プチ肉まん、ピザっぽいのもあったと思う。その隣のテーブルには、いろんなパイ類があって、その中にも甘くないのがあったはず」
挽肉入りのパン! それは絶対に食べないと。挽肉大好き! えーっと、あっちね。
「挽肉が入ったパンがあるって聞いたんだけど、どれかな?」
「ここにあるのは全部そう。カレー味とトマト味、あとコロッケの具が入ったの。全部で3種類あるけど、どれがいい?」
そりゃもちろん。
「3種類とも食べてみたい。いいかな?」
「もちろんよ。はい、どうぞ」
そう言ってトングで一個ずつ掴んで、お皿のせてくれた。サーバーでアイスティーを汲み、近くの椅子に座って早速パクつく。
旨っ。なにこれ。
こんなにちっちゃいのに、ぎっしりと具が詰まってる。トマト味が特に美味い。みちっと具が詰まっていて、酸味がある濃いトマトペーストと挽肉の相性がばっちりだ。
ちっちゃいから、すぐ食べ終わっちゃう。だってほぼ一口じゃん。
「トマト味のをもうひとつもらえる?」
「はーい。武田くん、ミートソースが好きなの?」
「うん。大好き!」
「大好き……なんだ。じゃあ、沢山あるから好きなだけ食べて。全部でもいい」
「いいの? さすがに全部は無理だけど、ありがとう」
お皿を持って、また椅子に戻る。
「どういたしまし……て。あの笑顔は卑怯だわ。やばやばハート爆撃」
もぐもぐ。うまーい。
その後、チーズ・ハム、コンビーフが入っているケーキサクレと、焼豚が入っているプチ肉まんも食べた。
いやもう、どれも美味しい。次にどれを食べていいか迷ってしまうような品揃え。さて、ここらでちょっと、甘いのもいってみるか。
甘いものテーブルはどこ?
グルッと室内を見渡すと、北条と上杉が美味しそうにチョコレートでコーティングされたカップケーキを食べているのを見つけた。聞きにいっちゃおう!
「それ、どこにあった?」
「あっちの動物さんコーナー」
動物さんコーナー?
行ってみると、確かにそこは動物さんだらけだった。そこには食べるのがもったいないくらい、可愛い動物の顔をモチーフにしたカップケーキがズラリと並んでいる。
茶色い熊、ピンクの兎と子豚、黄色いヒヨコに、水色のペンギン。すげえ。なにこれ。
「武田くん、どれにする?」
「チョコっぽいのが食べたいなら、どれかな?」
「熊がスポンジも中のクリームもチョコのダブルチョコ。ヒヨコが、外はバニラ、中のクリームがチョコだよ」
「ヒヨコをひとつお願い」
甘いカップケーキは、その他にも色とりどり沢山あった。
ベースとなる生地だけでも、スポンジ、パウンド、シフォン、ブリオッシュの他に、シュー生地っていうのまであって、まるでケーキ屋さんみたい。
さらにスポンジ生地には、プレーン・ココア・紅茶・ハニー。パウンド生地にはレモン・シナモン・ブルーベリー、バナナ。……とか、本当にいろんな味が用意されていた。
そして、それだけじゃない。
小さめのカップに入ったそれぞれのケーキには、様々な趣向を凝らしたトッピングが施されている。ぷくんと膨らんで、カップから溢れそうだ。
めっちゃ美味しそう。
惜しげなく絞られた生クリームの上に、数種類のベリーが贅沢にのっているもの。
とろっとしたカスタードや、クリーム自体に、チョコ・キャラメル・マロン・ストロベリーなどの風味がついているもの。
クリームの上には、カラーシュガーやスプレーチョコ、砂糖菓子などが可愛く飾られていたり、チョコレートソースやキャラメルソースが模様を描くようにかけられていたりする。
「これすごい凝ってるね。花がたくさんある」
パステルカラーの立体感のある花で飾られた、まるでブーケみたいに見えるケーキもあった。
「フラワーカップケーキっていうの。フロスティングクリームだから甘くて美味しいよ」
おひとつ頂きました。なんか、食べちゃうのがもったいないって思っちゃった。
ふにょんって軽い食感のシフォン生地。パフンって感じのブリオッシュ生地。この二つはとても食べやすかった。
マシュマロをソフトクリームみたいに絞り出して、上からチョコソースをかけてあるのも美味しかった。
どれもお洒落で可愛くてキラキラしている。こういったカップケーキって、ニューヨークやロンドンには有名な専門店があるくらい人気があるんだって。
こんなに手が込んでいるのに、季節的に傷みやすいものは、試食会の前に集まって今日一気に仕上げたっていうから、みんな凄く手際がいいんだね、びっくりだ。
そうしてテーブルを巡っている内に、あっという間にお開きの時刻になった。
「今日は、ご馳走さま。どれも凄く美味しかった」
お世辞でなく、めっちゃ美味しかったです。
いやあ、食った食った。結局何個食べたんだろう? 10個以上、20個未満ってとこか。一個一個は小さくても、さすがにお腹いっぱい。いや、ほんと。ご馳走さまでした。
今日は夕飯は少なめにしようっと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます