第13話 何で泣いてるの?
学校から帰ってきて門をくぐると、家の中から美味しそうな匂いが漂ってきた。
あれ?
結衣は、今日は部活見学で帰りが遅くなるって言ってたよな? 疑問に思いながら玄関ドアを開けると、玄関の
えーっと、これは……! あっそうか。もしかして、海外出張中だっていう母親が帰ってきたのか!
だよな。
いくら何でも、ずっと親が姿を現さないって変だし。俺も結衣も、まだ未成年な訳だから。
うわっ! 初対面だ。どうしよう。
向こうは、俺のことを「武田 結星」だって思ってるはず。だよね? 実際に、その辺りの認識はどうなっているんだろう?
結衣は、この俺が武田結星であることに全く違和感を抱いていないみたいだった。
でも母親は?
会っていきなり「あなた誰?」とか言われたらどうしよう。そんなの居たたまれないっていうか、ポキッって心が折れちゃいそう。この家にいられなくなるのも困る。
……といっても、会わないわけにもいかない。まずはちょっと、様子を覗いてみるとするか。
そーっと、リビングと、その向こう側にあるキッチンの方に近づく。
そしてリビングの入口から、こっそり中を伺うと、
「あら? 誰か帰って来たの?」
よく通る、はきはきした女性の声がした。
「やだ。結星じゃない。なにコソコソしてるのよ。こっちに入って来なさいよ」
コソコソって言われちゃった。モロにしてたけど。
名指しで呼ばれちゃったし、出て行っても大丈夫そう。第一印象を悪くしないように、上手く挨拶をしたいけど。
この場合は……なんて言うのが自然かな? そうだな、ここはやっぱり。
「ただいま、母さん」
「おかえりなさい」
そうして対面した母親だという女性は、えくぼの似合う、若々しいーーそう、母親としてはかなり若く見える大人の女性だった。
これが母親? すっごい美人じゃん。あっでも、
「着替えてらっしゃいよ。今日は久しぶりに家族団らんだから、いろいろ作ってるのよ。楽しみにしていてね」
そう笑う母親は、明るくて優しそう。明朗な喋り方の中にも、柔らかい
「わかった。着替えてくる」
部屋着に着替えて、ベッドにゴロンと横になる。
可愛い妹に、美人で優しい母親か。
この新しい生活は、凄く恵まれているのかも。まだこのイケメンが自分だっていう気は全然しないけど。……誰がこのセッティングをしてくれたのか分からないけど、ありがとう。
俺の心の声に応えるようにーーでもなぜか俺の顔の真横で、黄色い光がピカッと光った。
えっ!? なんでここにあるわけ?
寝転がる前は、ベッドの上には布団と枕以外に何もなかったはず。
この日記帳、もしかして神出鬼没なの?
慌てて身体を起こして、黄色い日記帳を手に取った。
今日の日付がある!
◆6月17日◆
〈可愛い妹に美人で優しい母親ができた。俺って凄く恵まれてる気がする。誰だか分からないけどありがとう。〉
いやいや、ちょっと待て。
確かに思ったよ。でもなんで、まるで俺が書いた風に記述が増えてるわけ? 文面も微妙に編集されているし。
……この日記帳が存在する意味って、いったいなんだろう?
それに、どう考えても勝手に現れたり消えたりしてるよね、これ。
学校に持って行ってもいないのに、《声》も聞こえた。
超自然的な存在には違いないんだろうけど、あまりに非常識過ぎて、どう扱っていいのか分からない。
そして書いてある内容は、絶対に他人に見られたくない類のもの。
今まで、この家には結衣しかいなかった。そして結衣は、この部屋の中には入ってこない。いつも、部屋の入口から声をかけてくるだけだ。だから、そこら辺に放っておいたわけだけど。
やっぱり、ちゃんと保管した方がいいのかな?
でもどこへ? 目の前から消えてる時は、どこに行ってるんだろう。そこに俺の意思でしまえたりするのかな?
《収納しますか?》
できそう。うん、ならしまっておいて。
そう思った途端、フッとかき消えるように、日記帳が目の前から姿を消した。いったいどこに収納したのか全然わからない。これって、自由に取り出すこともできるの?
《取り出しますか?》
いやいい。そのまま収納しておいて。とりあえず、どこかに出し入れできることは分かったから。
忙しさに流されていたけど、母親が帰ってきたことだし、ちょっと今までのことを整理してみるか。目をつぶって、この世界で起きた出来事を順に振り返ってみる。
・朝起きたら、武田 結星だった。
・結衣という妹がいた。
・新しい学校に転入した。
・電気街と美容院に行った。
・母親という女性が家に帰ってきた。←イマココ
この世界は、以前過ごした世界と非常によく似ているが、いろんなところで違っている。男性が少なく、男性は女性に大事にされている。生活は国に保障されていて一生困らない。
そして今日、俺たちの母親という人と会った。妹と同様、俺を家族として温かく迎え入れてくれそうだ。
なぜこの世界に来れたのか分からない。願いを叶えてくれる日記帳。与えられた幸せな生活。その代償って何? 俺は、この世界で何をすればいいの? それとも、何もしなくてもいい?
あれこれ思い出し、考えを巡らせている内に、俺はいつの間にかウトウトして、そのまま眠っていたようだった。
「お兄ちゃん、起きて。夕御飯にしようって、お母さんが言ってるよ」
結衣の声で目が覚めた。
「夕御飯?」
「そう。お兄ちゃん、お母さんとさっき会ってるでしょ。今日はお母さんが作った御飯だよ。降りてきてね」
そうだった。家族団らんって言ってた。
グー。
そう意識した途端に、お腹が鳴った。俺の腹時計はかなり素直で、とても規則的に腹が減る。
んーっと。身体を伸ばして伸びをする。
じゃあ、御飯食べに行こうっと。母親の手作り料理だって。今日のメニューは何かな?
*
おー凄い。
ハンバーグ、オムライス、鶏の唐揚げ、海老グラタンにコーンスープ。俺の好きなものばっかりだ。なんで知ってるの?
唐揚げは、ちゃんと骨が付いていた。それを見て、思わず頬が緩む。チューリップの形にした鶏の唐揚げ。やっぱりこれだよな。
「お兄ちゃん、凄く嬉しそう。家で揚げ物なんて久しぶりだものね」
そう。結衣の御飯も美味しいけど、ほぼ和食か、カレーとかシチューみたいな煮込み系が多くて、揚げ物やオーブン料理はなかった。そりゃあ火傷とかしたら、危ないもんね。
「やっと3人揃ったわね。長いこと留守にしてごめんなさい。もう当分、長期出張はないはずだから、安心してね」
「お母さん、いつもお仕事お疲れ様。お兄ちゃんも私も、新しい学校にはちゃんと行ってるよ。ね、お兄ちゃん」
「うん。お帰り、母さん。学校はみんな親切で楽しいし、今のところ順調」
「そう。それはよかったわ。じゃあ、冷めない内に食べましょうか?」
「「頂きます」」
何からにしようかな? やっぱり唐揚げかな。
お皿に山と積まれた唐揚げを1本手に取る。揚げてからまだあまり時間が経っていないのか、熱気が残っている。がぶりと齧り付くと、肉汁と緩んだ脂の旨みが、ジュワッと口の中に溢れた。
美味い。唐揚げ最高。下味バッチリで、ニンニクと生姜がガッツリ効いていて味濃いめ。まさに俺好み。
「どう? 美味しい?」
母さんが、俺の方を見ながらちょっと首を傾げた。
「うん。凄く美味いよ。ジュワッときた」
「結星は、子供のときから唐揚げが好きよね」
母さんが嬉しそうに笑う。そうなの? 結星くん、俺と味の好みが一緒じゃん。まあ大抵の若い男は、唐揚げが好きだけどな。
「お兄ちゃん、このハンバーグも美味しいよ。お母さんの御飯は、やっぱりひと手間かかっていて違うね」
そうだった。ハンバーグも食べなきゃ。確かにこれ、見た目からしてすっごく美味そう。テカっと表面に脂が滲んでいる。でも全体にふっくらしていて、箸を入れたらいかにもジュワッと来そうな感じ。肉汁肉汁、肉汁に期待。
「私が留守にしていた間、結衣が御飯を作ってくれていたんでしょう? ありがとう、結衣」
「作ったのは簡単なものばっかりだよ。お兄ちゃんは、わりと何でも食べてくれるからよかったけど、もっとレパートリーを増やさなきゃって思った。やっぱり男性って、揚げ物とかも好きだよね」
「でもまだ1人で揚げ物はしちゃダメよ。やるなら私と一緒にね」
「うん。私、料理が上手になりたいんだ。いいパートナーを捕まえるには、胃袋を掴むのが大事だっていうし」
ハンバーグうめえ。何これ。肉汁ヤバ。予想通りドバッと出た。
この味はきっと合挽き肉。豚肉と牛肉のダブル攻撃+大量の玉ねぎのみじん切り。容赦ないアミノ酸爆撃に、味蕾がめっちゃ喜んでる。
あっ。脇についてる人参、甘くバターで煮たやつだ。これも好きなんだよね。
「ふふ。結衣は新しい学校で気になる人でもいたの?」
「まだ女子クラスだから分かんない。でも、格好いい人は見かけた。だから、絶対に混合クラスに行きたい」
次は海老グラタン。見てよこの贅沢。海老でかっ。クルリンって丸まってるのがゴロゴロ入ってる。海老の食感はプリップリで、プツっ、プツって噛むたびに音がする。
鼻に抜ける海老特有の香ばしい香り。
そして、びよーんって伸びる柔らかいチーズ。牛乳とバターたっぷりの濃厚ホワイトソース。やたら美味いです。
「結衣は女子クラスなのね。あの学校は難関校で有名だから、最初は仕方がないわよ。でも結衣なら、やればきっと結果がついてくると思うわ」
「うん。頑張る」
よし、じゃあいよいよオムライスだ。オムライスは、俺の好物ベスト3に入る料理だ。
ふんわりとろりんと、絶妙に火が入った贅沢卵の上に、ケチャップじゃなくて、手作り感のあるトマトソースがかかってる。これだよ、これ。このひと手間かけたのが上手いんだよ。分かってるじゃん。
思い切って真ん中からパックリ割る。なんとなく。これが癖だから。
だって……えっ!?
パックリ割ったところから、濃い黄色の液体がトロリと溢れて出てきた。中に仕込んであった卵黄が潰れたから。でもこれって。じゃあ……もしかして。
卵黄と一緒に、切り口からのぞく赤い色のライスをスプーンですくう。
……やっぱりこれも、普通のチキンライスじゃない。スプーンを口に持っていき、パクッと食べた。
モグモグ。モグモグ。
モグモグ……。
モグ……美味い。美味いよ。だってこれ、たぶん母さんのオムライスだ。
挽肉と、よく炒めた玉ねぎで作ったケチャップライス。俺、すっごいこれが好きだった。誕生日の度にこれを作ってもらって……よかった。覚えてた。俺の大事な、記憶。
「あれ? やだ、お兄ちゃん。何で泣いてるの?」
気づいたら、ポロポロと涙が溢れていた。
「結星、美味しい?」
今の母親の優しい声に、御飯を咀嚼しながら無言で頷く。
「よかった。結星は、挽肉のオムライスが、昔から好きだったでしょ?」
なんで……なんで同じレシピで、同じ味なんだろう? 以前の記憶は失ってしまったと思っていたのに、分かる……子供の頃、まだ元気だった母さんが作ってくれたのと、全く同じ味なのが。
俺は武田結星で、この人はその母親のはずなのに。どうして?
記憶に残る懐かしい味を噛みしめながら、俺はしばらくの間、温かい涙が止まらなかった。
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