第12話 傘持ってないや

 クラスメイトの男子が婚約していたり既婚者だったりした。その事実に驚いて、改めてこの世界の結婚事情について調べてみた。その結果がこれ。


 ・「通い婚」が一般的である。


 ・男性は婚姻後、生家にそのまま住み続けることが多い。


 ・女性は婚姻すると、跡取り以外は経済的に独立して家を構えることが多い。


 ・男女ともに満16歳以上になると婚姻が可能である。


 ・男性は12人まで重婚できる。


 ・婚姻数・挙児数に応じて、男性には給付金が支給される。


 ・子育て中の女性には、育児支援金が給付される。


 ・最初の婚姻は10代ですることが多い。


 ・男性の最初の婚姻相手には、経済的に自立している「エルダーパートナー」が推奨されている。


 ・婚姻する男女が両方とも未成年の場合は、どちらかが成人するまで婚約状態を維持することが多い。


 ・子供の親権は基本的には女性に行き、子供は母親の元で育てられる。


 つまりこの世界では、男性は育児に参加しなくてもよくて、結婚や子作りをすると給付金がもらえる。


 男性1人当たりの重婚可能人数が多いため、初婚年齢は若く、その最初の相手には「経済力のある成人女性エルダーパートナー」が推奨されているってことか。


 ふーむ。


 初婚相手……最初の相手は年上のお姉さんが多い。


 ……なるほど。


 優しくリードしてくれるんだろうなきっと。あれ? でも、相手も初婚だよな? いくら年上でも、経験値は低いわけで……その辺りの教育って、実のところどうなってるの?


「エルダーパートナーになる人は、ちゃんと研修を受けてくるから、任せていれば大丈夫」


 そう教えてくれたのは斎藤。なるほど、お任せでいいのか。覚えておこう。


「エルダーパートナーのマッチングシステムに登録してないの? 珍しいね」


 と、不思議そうに言ったのは北条。


 女性は結婚適齢期に入ると、年齢に応じた内容の性教育を受ける。驚いたことに、それにVR(virtualバーチャル・ realityリアリティ:仮想現実)技術が導入されているんだって。


 成人女性で男性との婚姻を希望する人は、基本的に全員、エルダーパートナーを選ぶマッチングシステムに登録している。そして登録する際には、研修と呼ばれる本格的な性教育を受けるそうだ。


 なにそれ? VRで教育? 物凄く興味あるんだけど、男にはそういうのはないの?


「VRなんて必要ないじゃん。本物がいるんだし」


 と言い切ったのは斎藤。さすが既婚者なセリフ。


 まあ、確かにそうなんだろうけど、なんていうの? 男のロマン? 夢の体現? そういうのは需要がないのかな? とか思ってしまった。


 でもそれは、俺の発想がお子様なだけだったみたいだった。


 あとで分かったことなんだけど「通い婚」である以上、婚姻関係の実質的な継続は、必然的に男性側の判断に委ねられる。だからこの世界の女性は、いつまでも魅力的な存在でいようと、物凄く努力をするらしい。


 そのため、美容産業は常に需要が高くて活況を呈しているし、内面的なものを磨く各種講座や身体を若々しく保つフィットネスクラブ、生活スキルや職業スキルを学ぶスクールなどに通う女性も多い。


 そしてそういった女性たちは、一様に男性に優しい。


 婚姻枠を余らせてゲームで遊ぶくらいなら、ちゃんと生身の女性と向き合おう。「本物がいるんだし」っていうのは、そういう意味なんだって。


 それに男が少ないとはいえ、あまりに不誠実な男性はやはりモテないらしい。女性の社会進出が当たり前な、経済的に自立しているこの世界の女性たちは、非常に自主性が高く、生活面での自由度はとても高い。


 だから、結婚相手を選ぶに当たって、経済的な理由では女性たちは妥協をしない。さらに重婚可能な婚姻システムは、ますます女性たちが妥協しない理由になっている。


 男も受け身一方でぼーっとしてちゃ、ダメってこと?



 *



 授業が終わり、帰りのHRの時に急に窓の外が暗くなってきた。


 雨?


 ポツポツと水滴が筋を描いて窓ガラスに付いていく。


「やばっ。傘持ってないや」


 ガタガタ ガタガタ


「誰かに入れてもらえば?」


「そういう斎藤は?」


「傘は持ってるけど折りたたみだし、男2人で入れるほどデカくない。悪いな」


「そっか。そうだよな。傘って売店で売ってる? 売ってるなら買ってこようかな」


「売ってると思うけど、たぶん女子の誰かが大きい傘を持ってるよ。駅までなら入れてもらったら? なあ?」


 そういって斎藤が周りを見回すと、


「武田くん! 私、すっごく大きい傘を持ってきてるから、駅まで一緒に行かない?」


 ……と、早速誘ってくれる女子が現れた。


 それは斜め前の席に座っている、黒髪ストレートヘアが印象的な小早川夕子さんだ。


「いいの? 迷惑じゃない?」


「ぜんっぜん大丈夫。本当に大きい傘だから、遠慮しないで是非入っていって!」


「じゃあ、お願いしようかな」


 ってことで、駅まで相合傘決定。女の子と相合傘か。以前の俺はおそらく経験していない、リア充的なシチュエーション。


 自分から女子に声をかけるのは照れ臭いし、断られたらどうしようっていう心配も当然あるから、全く想定していなかった。それが、女の子の方から誘ってくれるなんて。男に優しい世界って素晴らしい。



 *



 昇降口に着く頃には、雨は本降りになっていた。そろそろ梅雨入りなのかな?


 靴を履き替えて小早川さんと合流。


 小早川さんは、その手に綺麗な水色の傘を持っている。すごく大きい傘って言ってたけど、それは本当だった。閉じていても分かるくらい大きくて柄も長い。相合傘用? ……のわけないか。


 こんなのを置き傘してるなんて、日頃から準備がいい子なんだね、きっと。


「俺のが背が高いから、傘を持つよ」


「いいの? じゃあ、お願いしちゃおうかな」


 渡された傘を広げると、カラフルな花がドーム状に広がった。華やかで、女の子の傘って感じ。この状況と合わせて、心まで浮き立つ気がする。


「行こっか?」


 そう促すと、小早川さんがおずおずと傘の下に入ってきた。遠慮しなくていいのに。君の傘なんだから。でもこういった女の子っぽさには、結構弱いかも。


「もうちょっと寄らないと、肩が濡れちゃうよ」


「は、はい!」


 小早川さんって、さっきはすぐ名乗り出てくれたけど、普段は男子と話さないのかな? 少し緊張しているみたいに見える。


 いつも綺麗なストレートヘアだけど、今日も湿気に負けずサラサラ。


 ……って、眺めている場合じゃなかった。


 でもこういうときって、どんな会話をすればいいんだろう? 経験値が低過ぎて分からない。


 困った時は、そう、とりあえず天気の話だ。対人スキル低過ぎ? なのは仕方ないよね。


「小早川さんって、天気予報とかちゃんと見る人?」


「いえ。そうでもない……かな? どうして?」


「こんなちゃんとした傘を用意してるくらいだから、マメに天気をチェックしてるのかなと思って」


「この傘は、いつ雨が降ってもいいようにロッカーに置いてあったの。もし傘を持ってきてない人がいたら、一緒に帰れるといいなと思って」


「だから大きいのか。そこまで考えてるなんて、小早川さんって優しいんだね」


「そ、そんなことないよ。ほら、雨の日って憂鬱になりやすいけど、友達と一緒なら楽しいかなって……」


 ああ確かに。雨は嫌いじゃないけど、誰かと一緒なら楽しい状況にまでレベルアップする。そういう考え方っていいな。


「確かにこうしてると楽しいね」


「ナチュラルスマイル直撃ハートブレイク……」


「えっ? 何か言った?」


「な、なんでもないです。そうだ! 武田くんって、甘党、辛党どっちかな?」


「んーっと、どっちもいけるかな? どうして?」


「私、クッキング部に入ってるんですけど、次の部活で、いろんな種類のカップケーキを作ってみようって話になっていて、たぶん凄く沢山できちゃうから、試食してもらえたらなって思ったの」


 クッキング部って、料理部ってことだよね。それに試食?


「カップケーキ? いいね。甘いものは好きだよ。いろんな種類って、チョコ味とかそういうの?」


「生地はいろいろ。チョコやバニラのほかに、甘くないパン生地や中華マンの生地もできるし、中にお肉や野菜の具を入れたり、外側をデコレーションしたりするから、いろんな味ができると思うの」


「美味しそうだね。くれるなら是非食べてみたいな」


 その後は、好きな食べ物の話とか苦手な食材の話とかで盛り上がって、駅まではあっという間に時間が過ぎた。料理好きな女の子っていいなって改めて思っちゃった。


「じゃあ小早川さん、傘ありがとう。また明日ね」


「武田くん。また明日。バイバイ」


 電車は反対方向だったので、小早川さんとは改札で別れた。笑いながら小さく手を振ってる姿が可愛い。カップケーキか。本当になるかどうかはまだ分からないけど、学校に行く楽しみが増えたね。



 * * *



 武田の去った改札で、いつまでも手を振り続ける小早川夕子。そこに近づく、同じ制服を着た女子生徒が1人。


「夕子、いつまで手を振ってんの? 武田くんの乗った電車、もう行っちゃったよ」


「幸せ。いつまでも振っていたい」


「ほう。まんまと抜け駆けした感想がそれか」


 腕を組んで詰問するのは、友人の立花雛乃だった。


「まさか、この置き傘を本当に使う日が来るなんて」


「それ、カップル傘『愛愛』だよね。いつの間にそんなの仕込んでたの?」


「備えあれば憂いなし。先人の言葉は確かだった」


「ふーん。ところで、次の部活のメニュー、中華ちまきとチンジャオロースじゃなかったかな?」


「ひな。いつから聞いてた。次のメニューはカップケーキに変更よ。私が部長。誰にも文句は言わせない」


 超進学校である栄華秀英学園高校では、高校3年生は受験のために部活は引退しているため、部活動の幹部は高校2年生が主体で行われていた。


「まあ私は別にいいけど。北条っちも甘党だし。上杉くんも確か甘党なはず。結城くんと斎藤くんは、どうだろう? 食べてくれるかな?」


「そこは、いろんな種類を作ればいいの。甘いのから甘くないのまで。具もそれぞれ工夫して。そうすれば、男子たちの食べ物の好みが分かる。それを元に、A組の男子を餌付けしよう! 名付けて『カップリングケーキ大作戦』!」


「ふーむ。それは悪くないアイデアかも。でも、その作戦名はセンス微妙。だから決して言いふらさないように。じゃあ、今日からカップケーキを作る練習をするようだね」


「そう。武田くんに変なものを食べさせるわけにはいかない。だから特訓よ。特訓あるのみ。店売りに負けない最高のカップケーキを作り出す。『小早川さんって、お菓子作りも上手なんだ』そう認識されたい」


「よし。じゃあ、部員を招集して気合を入れよう」


「おう! このチャンスは逃さない! 早速レシピを調べなきゃ」


「レシピもそうだけど、週末、有名店のお手本を食べに行かない? 確か裏参道駅に専門店があったはず」


「それはいい考えかも。デコレーションのヒントになりそうだから、何人か誘って行ってみるか」


「こうなったら、部員以外にもA組女子全員に声をかけて、クラスのイベントにしない? その方が男子たちも参加してくれそうだし」


「ふむ。それは一考の余地があるかも。SNSで声かけしてみるか」

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