第2話 至福のプリン
日記帳を閉じ、そっと机の上に戻す。
この日記帳に記されていた内容は、やはりとても荒唐無稽なものだった。
以前の俺は、可もなく不可もない、ごく普通の高校生だったらしい。波乱万丈とは無縁の、至って平凡な日々を過ごしていた。唯一の趣味といえるものは、よくありがちな「食べ歩き」。
そんな俺の転機となったのは、とある「プリン」との出会いだ。
メジャーなお菓子メーカーの製品じゃなくて、街の片隅でひっそりと営業している、いわゆる隠れ家的な店のもの。それも超本格派。
「食卓の妖精キューティプリン」。別名「至福のプリン」。
……うん。微妙なネーミングセンスであることは否めない。でもそんなプリンが、俺のハートを鷲掴みにした。
その店を見つけたのは偶然だった。
いつものように、グルメ雑誌を片手に、隠れた名店を探すべく見知らぬ街を一人で歩いていた。
えっ、友だちいないの? なんて思ったけど、どうやら違うらしい。
その日は、所属する「B級グルメ同好会」のネタ探しをしていた。それぞれが、自分の得意分野で新たな名品を探しあて、皆に紹介して情報を共有する。そのための事前リサーチだ。
「あれ? こんなところに店がある」
グルメマップには載っていない小さな店を見つけた。軒先に出ている看板には「プリン専門店」の文字。
これは……久々の当たりかな?
期待を胸に、その店に引き寄せられるように近づいていく。
真近で見たその店は、真新しくピカピカで、黄色い壁を白と茶のアクセントカラーで飾った、かなりファンシーな構えをしていた。
凄く可愛い。たぶん可愛い。可愛い過ぎて、男一人で入るには、ちょっとためらわれるくらい。でも、甘味特化B級グルメハンターの俺には、そんな攻撃は通用しない。
「いらっしゃいませ」
サクッと店内に入る。内装もやけに甘ったるくコテコテしていて、童話に出てくるお菓子の家みたいだ。
店員は若い女性……いや、若過ぎる。どう見積もっても、中学生以下にしか見えない。店の留守番かな?
プリン専門店を意識しているのか、店員の少女が着ているのは、カスタードイエローの甘い雰囲気の制服だった。派手な内装とあいまって、目がチカチカする。
その店員に制服はよく似合っていた。でも小柄な彼女が着ると、まるで子ど……いや、お人形さんのようだった。
睨んだ? ねえ、今睨んだでしょ。……勘がいい子なのかな?
「商品の説明を聞きたいのですが」
「説明ですか? 商品は、ここにあるカスタードプリンです」
ショーケースの中には、小さめのガラス容器に入ったプリンが、ずらりと並べられて置かれていた。当然、それを指しているんだろうけど。
「一種類だけですか? ここってプリン専門店ですよね?」
「はい。そうですけど?」
これはもしかしてもしかすると、本物かな?
そう思ったのは、こういった個人経営っぽい店は、味にこだわりがあればある程、その商品数は少ない傾向にあったからだ。
「試食はできますか?」
「試食? んーっと。本当はそういうのはしていないんだけど、初めてのお客様だし、特別にいいですよ」
そういうと、ポンッとプリンの容器をひとつショーケースから出して、小さなスプーンと一緒にカウンターの上に置いてくれた。
「えーっと、これ一個丸々もらっちゃってもいいんですか?」
「はい。今回だけですけど」
やった。なんて気前がいい。
プリン、プリン、新製品のプリン。初めての客だって。
「プリンがお好きなんですね。すごく嬉しそう」
「それはもう、大大大好きです」
プリンが大好物なのは本当で、ワクワクしながら早速スプーンでひとすくいし、口に含む。
おうっふ、こ、これは……! 舌にまとわりつく濃厚なぷるるん。
新鮮な卵黄と質の良い生クリームを惜しみなく使い、緩すぎず固すぎず、しかし口の中の温度でユルっと溶ける。たったひと口でも確かに伝わってくる、
うぉぉぉぉ。うまーーーーーいっ!
なんだこれ? プリンだ、確かにこれはプリンには違いない。でも、なんという至高ーーいや至福の領域に到達していることか! いわば、まさに神様のプリン!
以前の俺は、それからそのプリンに夢中になって、小さな店に通い詰めた。
不思議なことに、ネットで検索しても店の情報は全く出てこない。売り切れちゃったら困るから、俺にとってはその方がいいけど、あまり売れなくて店が潰れるようでも困る。
今日も、あのプリン店に買い出しに行く。
俺が住んでいた家は、首都圏の私鉄新駅周辺に大規模開発された街にあった。どこを見ても、ほぼ同じデザインの小綺麗な外観の家が立ち並ぶ街。
そこから電車を二本乗り継いで、毎週のように通う小さな店。その店に行くのが凄く楽しみになっていた。
てっきり留守番かと思っていた小柄な店員は、俺が行くときにはいつも店にいた。というか、他の店員を見たことがない。
不思議なことに、他の客にも今まで一度もかち合ったことがなかった。
プリンを注文して、彼女と軽い会話を交わし、今日も目的の個数を確保できたことに満足して電車に乗る。
一回だけ、プリンが入った箱をうっかり落としてしまったことがある。でも不注意はそれっきりだ。プリンの容器はガラス製だから、その時はかなり慌てたが、それ以降は、同じことを繰返さないように、十分に気をつけていたつもりだった。なのに。
「危ない!」
店を出て数メートル歩いたとき、その叫び声を聞いた。
俺の視界に、突っ込んでくる車の姿が映る。とっさに判断ができなかった。真っ先に頭に思い浮かんだのは、このままだとプリンが割れてしまう! 守らなきゃという必死な想い。
小さなプリンの入った箱を庇うように、俺は車に背を向けた。そして、薄れゆく意識の中で、誰かにこの日記帳を手渡された。
《ここに、あなたが今に至るまでの出来事が記してあります》
《これは「宿願の日記帳」。この日記帳に願いをこめれば、それを叶えることができます。この世界を写し込んだ似て非なる隣の世界で》
願い? 叶う?
俺の……願い。それは何だ? 考えろ。でも時間がない。
そうだ! 誰にも邪魔されずに、美味いものが食えること……かな? あとは……
そこで俺の意識は途切れてしまう。
◇
日記には、ご丁寧にそんなやりとりまで、こと細かに記載されていた。
だけど、車が突っ込んできてどうなったのか、肝心のところは曖昧になっている。まるで見せたいところだけを丁寧に切り取り、実際に見てきたかのように書かれた過去の出来事。もちろん俺の記憶には、この出来事は欠片も残っていない。
なんだこれ? 不思議というより、不気味。
この記載が本当にあったことだなんて到底信じられない。プリンを庇って死んだ? ははっ……どれだけ食い意地が張ってたんだよ。
本当にそんなのが原因で死んだの? それとも死んではいない? 転生? 転移? いきなり以前と違う隣の世界だって言われてもさ。
いやいや、いくら何でもそれはないよ。俺がちょっと残念な夢想家で、このおかしな妄想を書き連ね、何かの弾みで記憶喪失になった……という方が、より自然なくらいだ。
でもそうじゃないことに、俺は薄々気づき始めていた。
この身体は以前のものとは違うって、奇妙な違和感が訴えている。背格好は似ている気がする。でも動くと、その相違にハッキリと気づく。腕の長さや脚の長さ、筋肉のつき方、それぞれが少しずつズレているような、居心地の悪い感覚。
顔はもちろん、全然違う……と思う。だって、俺があんなイケメンだなんて、ありえない。
不思議なのは、この日記帳によれば「身をもって庇うほど好きだった」というプリンを思い浮かべてみても、これといった情動が起こらないことだ。
プリンは今でも好きだと思う。でも、全てがリセットされたかのような、真っさらでニュートラルな気分でもある。
以前の記憶も既にない。
目覚めた直後は覚えていた気がしたのに、紅茶に浮かべた砂糖菓子のように、あっという間に溶け崩れ、もう何も残っていない。情報はこの怪しい日記帳だけときた。
……と言っても、俺が書いたものじゃないじゃん、これ。
いかにも俺が独白した手記みたいな形式になってるけど、こんなフォントみたいに整った字は俺には書けない。
ここに書いてあることが、本当かどうかなんてきっと誰も知らないし、もし嘘が混ざっていたり、全てが作り話だったりしても、それを検証するのさえ難しい。
……というか、そんなの到底無理だろう。
でも、万一この記載が本当にあったことで、誰かがこれを書いて、俺の願いが本当に叶うとしたら。
オカルト。いや、夢物語だ。
〈ギュルルル〉
……もっとグゥとか、鳴り方はいろいろあると思うけど。
空腹度を素直に反映するように、盛大に腹が鳴る。こんな状況でも、お腹が減るんだ。シリアスしている時に鳴るなんて、かっこ悪いなぁ、もう。
でも、なんか少しホッとした気分になった。
お腹が減るってことは、少なくともこの身体は生きてるってことだから。見たところ健康そうだし、それって凄く嬉しいことだ。
……朝ごはんがあるって言ってたっけ?
それに学校。
今日は休みたいっていうか、姿形だけじゃなくて名前からして違うみたいだし、学校もどこに通っているのか、どうやって行くのか、そんなことさえ分からない。
うん。
まずは飯。そして今の自分の身辺調査。そうしよう。
はぁ。面倒くさ。
だいたいさあ、生まれ変わらせて? くれたことについては、非常に感謝している。でも、ここまで人間を丸ごと作り変えるなら、新しい履歴書くらい書いておいて欲しい。これってとても切実だから。
《ピカッ!》
やだ怖い。
日記帳が光ったよ。それも不気味な金色に。ピカっ! って。普通、日記帳って光る? いやいや、そんなわけないじゃん。
願いが叶う日記帳……似て非なる世界で。
さっき読んだ日記帳の記述が頭をよぎる。やっぱりオカルトじゃん。っていうか、ホラー? でも、何で今光ったの? 何に反応した?
やだな。光る日記帳なんて、異様すぎる。
気味が悪いけど、放っておくのは余計に心配になる。だって怪しすぎるもの。それにこの日記帳は、俺をこの世界に呼んだ「誰か」との、唯一の繋がりでもあったから。
……仕方ない。
あの光の意味は何か。それを確認するために、俺は再び黄色い日記帳を手に取った。
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