蒼山fanbox三題噺
終末禁忌金庫
2020年1月「スカイブルー」
塵も積もれば山となる。
小学生でも知っているようなことわざ。
ああ、だとしたらきっと、ぼくがこれまで積み上げてきた努力も、きっとそんな塵が集まってできたものに過ぎないのだろう。
目の前には新入生の背中。今日初めて出会った彼の背中を、もう何度見ただろうか。
ぼくが必死になって塵をかき集めてできた程度の実力は、才能という巨大な山の前では吹けば飛ぶ程度のちっぽけなものだったのだ。突然やってきた彼は、嵐そのものだった。なにもかもをぐちゃぐちゃにして、潰して、吹き飛ばした。そして、全てが吹き飛ばされた後の心には、もはや悔しいという気持ちすら残されていなかった。
風の凪いだグラウンドに、仰向けになって倒れこんだ。
◇◇◇
部活に顔を出さなくなって、一ヵ月近く経った。それでも、習慣というのは恐ろしいもので、未だに午前5時半ごろ――朝練に行くための時間に目が覚めてしまう。
それだけならまだよかったかもしれない。問題は、早く起きたからといって特にしたいこともなく、かといってもう一度寝る気にもなれず……結局は毎日走り込みをしていることだ。
部活をサボって、自主練習。なんていうとなんだか漫画の主人公が特訓しているような響きがあるが、これ以上に”時間をつぶす”という表現がぴったりな時間の使い方はないだろうというくらい、実に空虚な行い。もう走り続けたって、何の意味もないというのに。
息を整えつつ、腕時計を確認する。そろそろ戻らないと、と思った矢先に、一つ気づく。
今日は月曜日なのだが、いつもと違って赤く表示されている。つまり、月曜日といっても今日は祝日、もっというとゴールデンウイークの真っ只中だった。
ここ最近の自分が無気力だったことは流石に自覚があるものの、まさかゴールデンウィークの到来にすら気が付かないほどだとは。思わず乾いた笑いがこぼれる。
ああ、本当なら今頃……なんて、またもや意味のない思考がよぎる。本当もなにもない。ぼくは今ここにいる。それが全てだった。
そんな思いを振り切るように、再び走り出す。向かう先は帰るべき家。ではなく、さらに先、見知らぬ町へ。
太陽がちょうど真南に昇ろうかという頃。
たどり着いたのは、人もいなければ、遊具もほとんどない、にもかかわらず敷地だけは無駄に巨大な、名も知らぬ公園。
そこに、その人はいた。
長く黒い髪、紺色の作業着、左手にはパレット、右手に筆。
高さが一メートル近くある、大きなキャンパスに向かう姿は、まさに画家に違いなかった。
「ふう、あともう少しだ」
その声に、はっと我に帰る。どれくらいの間、ぼくは彼女の作業を眺めていたのだろうか。というか、冷静に考えると、絵を描いているところをずっと眺められるなんてきっと気分のいいものじゃないだろう。
行かなきゃ。そう思って一歩後ずさろうとしたその時、彼女がこちらへ振り向く。
瞬間、目と目が合う。大きな琥珀色の瞳。
「ぎゃあああバケモノおおおお!」
「うわああああなんだああああ!」
急に叫びだすものだから、驚いてしまった。
「……って、キミ、もしかして人? 人間?」
「他の何かに見えますか」
「いやー、どっからどう見てもいかにも好青年の少年って感じだわ。ん? 少年だから好青年ではないのか。好少年?」
「好少年かどうかはわからないですけど、一応高校生です……お邪魔しちゃ悪いですし。ぼくはもう行きます。すみませんでした」
「いやいや、気にしないで。ただここに来て人に会ったのなんてこれがはじめてでさあ。驚いちゃった。ごめんね」
「それこそ気にしないでください。ずっと絵を描いてるところを眺めちゃってたのは事実なので」
「え、見てたの? ずっと?」
しまった。これは藪蛇だったかもしれない。さっさと話しを切って立ち去るべきだったか。
「ふーん。なるほどねぇ。キミ、絵とか好きなの?」
「……いや、全然詳しくないですし、描いたことも授業であるくらいで、ほとんどないようなものですね」
たぶん、一か月前までの自分ならこんな会話には応じなかっただろう。そんなことに時間を使うくらいならば、一秒でも長く鍛えたい。一瞬でも速く走れるように。そんな生活を送っていたころならば。
「へぇ。まあでも、絵が好きかどうかは詳しいとか関係ないと思うな。芸術ってそういうもんだと思うし」
彼女は地べたに座り込み、手にしていた道具を片付け始めた。なんだか話し込もうという雰囲気だ。
まあいいか。どうせやることもないし。
「ぼくより詳しい人が言うんなら、そうなのかもしれませんね」
「だーかーらー、そういうんじゃないんだって」
「まあでも、絵が好きかどうかはともかく、あなたが描いているこの絵は好き、な気がします」
「お、嬉しいこと言ってくれるじゃん。まあ、この絵はまだ未完成なんだけどね」
「そういえば、さっきも言ってましたね。あとすこしって」
「うん。まあね」
キャンパスに描かれているのは、真っ白な部屋にたたずむ、真っ白な幼い少女の後ろ姿。少女の向こうには大きく開いた窓があり、そこから覗くのはどす黒く塗りつぶされた外の世界。
「ぼくはもうこれで完成なのかなって思ってました」
「まあ、完成といえば、完成なんだけどね。私はここを目指して描いてたから」
「どういうことですか?」
「思いついた時はおもしろいかなって思ったんだけど、なんか足りないなーとも思って。とりあえず描いてみたらなんか思いつかないかなーとか思ってたんだけど。やっぱりだめだったや」
「そんなもんですか。ぼくはその、なんとなくですけど、キレイだなって思ったんですけど」
「おお、なかなかいい感性してるねキミ。この絵、色味的には結構暗い雰囲気だと思うんだけど」
「いや、まあ確かにそうなんですけど、なんというか、この黒が……あの、もうちょっと近くで見てもいいですか?」
「いいともいいとも。好きなだけ見てやってよ」
許可を得て、キャンパスへと一歩、二歩と近づいていく。すると。
「ああ、やっぱり、この黒色、いろんな色が重なり合ってるんですね」
「そうそう、そういう描き方をすると、なんというか、こう、深みみたいなのがでるんだよ。……まあ絵がちょっとかける人ならこれくらいだれでもできるけどね」
彼女はそう言うが、さっきまでほとんど漆黒にしか見えなかったそれが、近づくたびに一つ一つの色の鮮やかさが現れる様子は、素直に感動した。きっと絶妙なバランス感覚で描かれたものなのだろう。たぶん。
「……この女の子には、この世界はどんなふうに見えてるんですかね?」
「うーん、そうだね。キミはどう思う?」
「どうなんでしょう。でも、ぼくはやっぱり、キレイだなって思いました」
「それじゃあ、もしキミがこの女の子なら、外の世界に出てみたいと思うかな?」
「きっと、そうですね」
「そして、いろんな色に触れるたび、この世界の黒さに飲み込まれていく、と」
「そう、ですね」
「なるほどね」
なぜだろう。気が付けば、自然と涙がこぼれていた。
「でも」
「でも?」
「世界はこんなにもキレイなんです。そりゃ、本当にいろんな色にあふれかえってて、黒く染まったように見えてしまうかもしれませんけど、でも、こんなに――」
ぼくは何をしてるんだろうか。ふらっとたどり着いた知らない場所で、初対面の女性に向かって、情けなく涙を流しながら、言葉にならない言葉を吐き出して。
「うん、うん」
もはや自分でも何を言っているのかわからないような言葉に、彼女はひとつひとつ相槌を返す。ぼくは止まらずに言葉を吐き出し続ける。
「うん……決めた!」
ぼくの言葉がようやく尽きたころ、彼女は立ち上がり、キャンパスに向かう。
「よっし、これで完成! ありがとね、少年。キミのおかげだよ」
そう言うと、彼女はまた道具を片付け始めた。
「なあ、少年。きっとさ……」
片付けを終え、鞄を背負い何かを言いかけた彼女は、
「やっぱいいや……あ、そうだ。この絵は記念にここに置いておこうかな。なあに、滅多に人なんて来ないし、というかキミがはじめてだし、きっと大丈夫でしょ。じゃあね! 少年!」
絵だけを残して、去っていった。
恥ずかしくて仕方なかった。どうして、あんなことを。後悔の想いばかりが、頭をよぎる。今すぐにこの場を離れたくて仕方なかった。
しかし、それでも。
遂に完成したという彼女の絵だけは、確認せずにはいられなかった。
袖で涙を拭き、顔を上げる。
しかして、彼女がその絵に加えたのは、たった一つ。
真っ白だった少女の胸元に塗られた、透き通った青。ただそれだけ。
ああ、すごいな、彼女は。名前すら知らない人だけれど。
とてもいい絵だ。そう思った。
◇◇◇
今でも、たまにあの日を思い出す。
正直に言って、声も顔も思い出せないし、名前に至ってはそもそも知らない、黒く長い髪をしたあの人。
けれど、あの絵だけは、今でもこの胸にある色を、鮮明に描き出し続けていた。
お題「山、絵具、幼女」
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