第20話 愛憎の最終決戦

「さて。おふざけはこのくらいにしないとな」

 我々はナメック星を後にして再びエレベーターに乗り込んだ。四人をぎゅうぎゅう詰めにしたそいつはさっきよりもさらに凄い勢いで上昇していく。

「キャッ! 大ちゃん! 変なところさわらないで!」

「す、すまん。今のは俺だ。でもわざとじゃないぞ」

「もーさわるなら純くんを触らないと」

「あのナーーー」

「ところでハチさん」

「なんだ純くん」

「気になってたんですけど、そのでっかいボストンバッグはなんですか?」

「ああこれは。あいつへの――レンへの手土産みたいなもんだ。中見たいか?」

「いえ。レンさんに渡すときでいいです」

 エレベーターは目的地に到着。

「最上階……ってゆうか屋上かな」

 そこに広がっていたのは、一番下の階と似たサイバーパンク調の世界観だった。さっきのナメック星ほどではないが、これまたダダっぴろい空間である。ちょっとしたサッカーグラウンドくらいの広さはあるだろうか。

「形は円形なのにサッカーグラウンドに例えるのはなんかヘンじゃない?」

 一階と違うのは天井や壁が透明なドーム状になっていて、秋葉原の星空が一望できる点。

 それから。

「こいつは……もう解凍が終わってやがったのか……!」

 部屋の周囲をぐるっと囲むように大量のジャンプコミックスが積まれていること。

「ハチさん、二週間かかるはずじゃねえのかよ……」

「ヤツのことだ。どうせ急速で圧縮解凍できる装置でも作ったんだろ。これだからクソ天才金髪ハゲ眼鏡豚野郎は」

 さらに。

「さあもったいぶってないで。さっさとツラァ見せやがれ!」

 部屋の中央には漫画やRPGのボスが座るような巨大で禍々しい椅子の背中が見えていた。

 ハチさんの呼びかけに応じたのか『魔王』はゆっくりと立ち上がりこちらに顔を見せる。

「こんばんは」

 月灯りを反射する銀色の髪。夜空と同化するような真っ黒い服。

「レンさん……」

 彼女は右手にジャンプブレインによく似た真っ黒いリングを、左手にも同じく金属のわっか――ただし「いばらの冠」のようにするどいトゲがはえたもの――を四つもっていた。

「純くん。ちょうがっかり」

 ヤツは例によって甘ったるくか細い声でそんな風に呟く。

「ごめんなさいレンさん」

「意志はかわらないの?」

「……はい」

「そう。じゃああなたにもおしおきが必要だね」

「おしおき……?」

 俺がそう問うとレンは左手に持ったトゲトゲのわっかを床に放り投げた。

「それは『ジャンプジェイル』」

「……ジェイル?」

 ジャンプでジェイルといえばあの井上雄彦先生の短編レジェンド『カメレオンジェイル』だが……?

「それをアタマにつけるとね。ジャンプのトラウマシーンが延々と脳内で再生されることになる。決して外れない」

 ハチさんはそれ聞いてチッと舌を打つ。

「準備中だなんだって言ってたのはこれのことかい」

「そう。あなたたちはここでジャンプコミックスが裁断されるのを見ながら、延々とトラウマシーンを脳内で再生し続けることとなる」

 俺はそれを聞いて――

「なあ!」

 やや前傾姿勢でレンに問うた。

「ジャンプのトラウマシーンってさ。具体的にはどんなシーンが入ってるんだ!?」

 レンはキョトンとした顔。

「教えてくれよ!」

「……たとえば。スポポビッチにボコボコにされるビーデル」

「あーアレなー!」

「封神演義のハンバーグ」

「ひいいいいいい!」

「ハンターハンターのポックル」

「ごわわわわ……あの漫画はホントに……」

「約束のネバーランドのママにも会えます」

「うひゃあああ!」

 仲間三人は不思議そうな顔で俺とレンの会話を聞いていた。

「ぬ~べ~は!? ぬ~べ~はあるのか!?」

「もちろん。まっさきに入れた。赤いちゃんちゃんこの回、ブキミちゃんの回、『A』の回、てけてけの回、口裂け女の回、枕返しの回」

「やりよる! アレは絶対に欠かせないよなー! いやー趣味が合うね!」

 レンはゆっくりと頷いた。しかし。

「でも。あなたはすきじゃない。なんか根が明るいっぽくてイヤ」

 ――どうやらテキとの間に友情は芽生えなかった。少々残念。

「まあなんにせよ。この山のようなお宝、ジャンプコミックスは返してもらわないとなあ」

「だめ」

「話し合いの余地はなしか」

 ポキポキと指を鳴らしていると――

「おいレン」

 ハチさんが口を挟んでくる。

「おまえには先に言っておきてえことが山ほどあるぜ」

 そういって肩にかけたボストンバッグを床に置く。

 レンはハチさんを睨み付け、ほんの少し語気を荒げながら言った。

「きくみみもたない」

「どっこい聞いてもらうぜ」

「まけたらきく」

「なんだ。すいぶん聞き分けがいいじゃねえか」

「ぜったいまけないから」

 レンは右手に持った黒いわっかを頭の上にちょこんと構える。黒い天使みたいでかわいいとぶっちゃけ思ってしまった。

「これは。ネオダークジャンプブレイン」

 このネーミングセンスも正直キライじゃない。

「キホンはジャンプブレインからパクった。でも。『NDJB』はもっとすごい。これは。ジャンプの悪役キャラの力であれば。二〇〇%以上で具現化する」

 NDJBとやらをアタマにハメるや、レンの周囲で爆発が起こった。

「なにィ!?」

「クソ! 爆発させりゃあいいと思ってやがる!」

 もうもうと立ち込める煙。思わず咳込む。

 やがて煙が晴れたときそこに立っていたのは――

「なんやこいつ!」

「変態か!?」

 それはなんというか文章で説明すると、『セクシーなボンテージ調の水着を着た巨大な二足歩行のドラゴン』という姿であった。

「デザインが散らかってる!」

「ハチさん! 二一〇〇年代のジャンプのキャラですか!?」

「いや……知らん……あんなもん見たこともない」

「ええ? じゃあオリジナルキャラかな?」

「いや! 違う! あいつはえーっと――」

 俺はその珍妙な姿を確かに見たことがあった。遥か昔のことだ。

 さすがの俺も少々記憶があいまいだったが――

「ゼドー! 「ファミコンジャンプII 最強の七人」のゼドーじゃねえか! 完成度高けえなオイ!」

 ファミコンジャンプII 最強の七人とは一九九一年発売のファミコンゲームだ。

 現在まで続くジャンプオールスター出演のクロスオーバーゲームの二作品目である。

「そうだよ、よくしってるね」

 ジャンルはRPG。七人の主人公から一人を選んで開始するマルチオープニングシステムと、この手のクロスオーバーゲームには珍しく敵キャラクターの多くがラスボスのゼドーをはじめとしたオリジナルキャラであることが特徴であろうか。

 ちなみに七人の主人公の内訳は「孫悟空」「タルるート」「空条承太郎」「ターちゃん」「剣桃太郎」「前田太尊」「両津勘吉」である。なんともいえず味があるステキなメンバーだ。

 俺も小学生ぐらいのころに中古ショップでファミコンごと買ってプレイしたものだ。一度クリアしたきりなので正直あまり鮮明には覚えていないが。

「ぜ……」「どー?」

 純と涼はキョトンとした顔。

 まあ言っても十七年ぐらい前のゲームだ。名前くらいは聞いたこともあってもプレイしたことがあるやつはまれであろう。そう考えると――

「すげーなやっぱり。あんたからみたら二〇〇年近く前のゲームだろ?」

「中古で二十万円もした」

「まじで」

「……んなこたーどうでもいいわ!」

 ハチさんは右手をゼドーに向かって突き立てると――。

「サイコガンは心で撃つもんなんだぜ!」

 右腕から発射されたレーザービームはゼドーの顔面を正確にとらえた。が。

「むだだよ」

 光線は透明なバリヤーのようなものに阻まれ、まっすぐに跳ね返る。

「ぐあっ!」

 跳ね返った光線はハチさんの頭部に正確にヒット。吹き飛んで部屋の周囲に置かれたジャンプコミックの山に突っ込んだ。

「ハチさん!」

「だめだよ攻撃しても。あらゆるこうげきがきないから」

 ゼドーはゆっくりと、しかし確実に距離をつめてくる。

「ツ、ツイストサーブ!」

「ゴムゴムのガトリング!」

 涼と純がそれぞれの得意技を繰り出す。

 しかしまったくダメージを与えることができない。

 逆にゼドーの踏みつけ攻撃が二人を襲った。

「危っぶ……!」

「ひえっ……床が……」

(ゼドーってこんなに強かった? 俺どうやって倒したんだっけか?)

 古い記憶をたどるが結論が出てこない。

「ええええい! しっぽビーム!」

「十倍界王拳かめはめ波―――!」

 しかしノーダメージ。

「このじょうきょう。ドラクエのボスになったみたい。たのしい」

(ドラクエ……?)

 なるほど。ヤツのいうとおり、でっかいドラゴンにちっちゃい人間が四人がかりで立ち向かっていく姿はまるでドラクエだ。

(ドラクエ……? あれなんかここまで出掛かってる。たしかファミコンジャンプ2ってドラクエとなんか関係あったような……)

「うけてばっかも飽きた。やる」

 ゼドーが猛ダッシュでこちらに迫る。そのとき。

「そうだ思い出したぞーーー! ドラクエ3だ!」

「大ちゃん!?」

「よし! 俺に任せろ!」

 俺は右手を斜め上に突き出しながら叫んだ。

「ラニングキャノン!」

 強烈な光が部屋を包み込む。そして。

「バリヤーが……消える……?」

 ゼドーを包んでいたバリヤーは砕け散るようなエフェクトと共に消え去った。

「今だ! BAKUDAN!」

 俺の必殺技が無防備なボディに炸裂した。

 竜の体は崩壊していく。

「やれやれようやく思い出したよ。そういえばゼドーってのは『ラニングキャノン』とかいうアイテムを使わないとダメージ通らないキャラだった。ドラクエ3のゾーマのパクり丸出しの(※30)」

 俺はドヤっと腰に手を当てた。

「たしか原作だったら最初は泡みたいな形態をしてて、その形態のときにバリヤーが張られてるじゃなかったか? まあなんでもいいけど」

 崩壊したドラゴンの体は消滅し、レンは元のロリロリした体に戻った。

「なんだ。本体にはあんまりダメージなしか。やっかいだな」

 レンは俺を睨みつける。

「こんなゲームのことを知ってるひとなんていないと思ったのに。ムテキだと思ったのに」

「ま、ゲームを知ってるやつはいてもラニングキャノンを産み出せるのは俺くらいだろうな」

「キミやっぱりきらい」

 弱弱しく座り込むレンを見て涼が叫んだ。

「勝った!? 第三部完!?」(※31)

 ……なかなか煽りよる。

 しかしレンは涼しい顔で、

「まだNDJBは生きてるよ」

 床に落ちたリングを拾い上げた。

「それに。ジャンプにはまだまだ名悪役がいっぱいいる」

 そのとおり。たしかにおっしゃるとおりだ。

 ヤツの背中から邪悪な紫色のオーラがあふれ出る。

「『大魔王からは逃げられない』」

「うっ……!」

 足が金縛りのように動かない。そして。ヤツの姿が一瞬『大魔王』に変化した。

(バーン! 『ダイの大冒険』の大魔王バーンだ!)

「メラゾーマではない。メラだ」(※32)

 巨大の炎の球が身動きの取れない俺たちに飛来する。

 だが。

「やはり立ちはだかるよ! 天才・早乙女涼!」

「涼!?」

「トリプルカウンター! つばめ返し!」

 涼はテニスの王子様の天才・不二周介の技でメラゾーマ、いやメラを弾き飛ばした!

「まだまだだね!」

 涼はラケットをポンポンと肩に当ててドヤ顔。

 しかし。レンはまったく動揺する様子がない。

「ふーん。あなたはテニスの王子様が好きなんだ?」

「見ればわかるでしょ?」

「うん。よかった。わかりやすくて」

「どういうイミ……?」

 レンは頭のNDJBを指さすとこういった。

「これはね。相手が好きなジャンプ漫画であればあるほど、より破壊力があがる」

「なっ……」

「『みんな動きが……悪すぎるよ……』」

 レンの姿が主人公越前リョーマの最大の敵である幸村精市の姿に変化する。

 そして。

「『五感剥奪……!』」

「――――――――――――――――!?」

 涼は声もなくその場に倒れこんだ。

「涼――――! ちくしょうなんて技だ! ホントにテニス漫画かよ!」

「いまさらだね? つぎは」

 レンは元の姿に戻ると、純をじっと見つめた。

「ジュンくんの好きな漫画はいっぱい知ってるよ?」

「ぐっ……!!」

「爆力魔波!」

「サウザンドストーム!」

「火遁・豪火球の術!」

「雷公鞭!」

「酒はダメなんでオレンジジュースください」

「バ、バリヤ――」

 純はなんとかバリヤーでふせごうとするが、あまりの凄まじい連撃に吹き飛んだ。

「かんがえてみると。ドラゴンボールって敵側の代表的なわざって少ないよね? フリーザ、セル、魔人ブウは原作で明確に名前が出てくるオリジナルわざはひとつもない。味方側にはあんなにたくさんあるのにね?」

「き、貴様……!」

 怒りに拳が震える。

「ねえ。あなたの好きな漫画も教えて?」

 ヤツはそんな風に挑発をしてくる。俺はそれに乗ってやることにした。

「いいぜ。教えてやるよ。俺の中での神はまず『男坂』。それからやはり『BAKUDAN』と『武士沢レシーブ』は欠かせない。あとこの辺はみんな大好きだと思うけど『タカヤ』『斬』『ロケットで突き抜けろ』『ツギハギ漂流作家』『大泥棒ポルタ』『ノルマンディーひみつクラブ』『LIGHTWING』『Sporting Solt』は最高だな。ギャグ漫画系だったら『わっしょいわじマニア』と『私立ポセイドン学園』、あとは『地獄戦士魔王』。それからハードな世界観が魅力なのが『メタルK』『惑星を継ぐもの』『サバイビー』。この三つも是非抑えてほしい。とくにメタルKはスーパートラウマ漫画として有名だ」

 レンはキョトンとした顔でそれを聞いていた。

「なにそれ。しらない。てきとーに言ってない?」

 俺はガハハハ! と高笑い。

「ハハハハ! さすがのあんたでも百数十年も前のレジェンド短編はご存知ないか! 有名どころは知っていてもな!」

「……しるわけないじゃん」

「知らない作品の技を繰り出すことはできないな。つまり。あんたは俺に致命傷を与えることはできない」

「別に。普通のわざで倒せるもん」

「やってみろ!」

 俺たちは再び対峙する。

「紅蓮腕!」

「研無刀は見た目なんかは真剣とほとんど変わらねぇがあえて斬れない様に鋭く研がない分

硬度と重量をかなり増加させて斬るより破壊を目的とした玄人好みのあつかいにくすぎる刀――――――――――――――――――――――――!!」(※33)


 二人の対決は泥試合の様相を呈した。

「百千夜叉堕!」

「そうはいくか! COOL! COOL! COOL! COOL! COOL!」

 だが。俺は防戦一方。なんとか凌いではいるがさきほどから攻撃を受け続けている。

「力は同じくらい。でも。私のほうが使える技がだんちがいに多い。あなたはそろそろネタぎれ」

「くっ……!」

 そう。短編レジェンド作品は巻数が少ない。いくら数が多いといっても短編レジェンドが数十作品あってようやく長編漫画一作品分なのだ。従って俺が使用できる技はおのずと限られてくる。この弱点ばかりはどうしようもない。かといって短編レジェンド以外の技でごまかして闘えるような相手でもない。

「とどめ」

 奴はどこからともなく真っ黒い表紙のノートを取り出した。

(げげげげげっ……! デスノート……!)

「みつるぎだいち。死因は。ええとなんにしようかな。なるべくヒドいやつがいいな」

(止めないと……! でも! もう力が……!)

 だがそのとき。

「ラッキービーーーーーーーーム!」

「なに!?」

 後ろを振り返ると。

「純!?」

 純が寝そべった状態のまま頭部からビームを放っていた。

 ニョロニョロとしたビームはレンの手の中の黒いノートをはたきおとす。

「へへへ。ジャンプ史上最強キャラ最有力候補、ラッキーマン参上!」

 ――ラッキーマン対夜神月。ある意味夢の対決である。(※34)

 さらに。

「うおおおおお! スーパーテニスウウウウ!」

 涼はものすごい勢いで起き上がるとこちらに向かってダッシュ。ラケットをゴルフクラブのようにふるいノートを強打する。

「いっけええええええええええ!」

 ノートはガラスを突き破って秋葉原の空へ消えた。

「あっ。ここはライジングインパクト(※35)でもよかったかな」

 飛んでゆくノートを見上げる涼。

 俺は思わず叫んだ。

「涼! 純! 生きとったんかいワレら!」

「まだちょっとボーっとするけどね」

「ギリギリまで追い込まれて復活して強くなるのがサイヤ人だから」

 三人は熱い握手をかわした。そしてレンを睨みつける。

「レンちゃんよお。その疲弊具合じゃ三人を相手はキツイんじゃないか?」

「だよねー。しかもこの最強の三人」

「ジャンプ漫画の中で一番好きなトリオって誰? 僕はやっぱりナルト、サスケ、サクラかな」

「いやそれよりも………………あれ」

「あっ……」

「これは……」

「キャハハハハハハハハ! ユダンユダンユダーーーーーーーーーーン!」

 レンはけたたましい雄たけびを上げた。

「しまっ…………」

「うそ……」

 俺たちの頭にはレンが製造した『ジャンプジェイル』とやらが乗っかっていた。

 おそらくレンが輪投げのようにしてはめたのであろう。

 輪投げといえば「たけし」や「トリコ」で有名な島袋光年先生のレジェンド短編「RING」だが、今はそれどころではない。

「ぬがああああ!」

 指で無理やり引き剥がそうとするが外れない。

「むだだよ。さあ。トラウマの海に沈んで?」

「ギイヤアアアアアアアアアアアア!!」

 俺の脳内にありとあらゆるジャンプのトラウマシーンが浮かぶ。ハンターハンター、封神演義、ぬーべー、それからメタルK。俺の精神はゆるやかに崩壊………………。

「……あれ?」

 待てよ。メタルK? このレジェンド短編をあいつが知っているわけはない。どんな構造か知らんがジャンプジェイルとやらには収録されていないのと考えるのが普通だ。

(ってゆうか。これ。ただ普通に思い出してるだけじゃん?)

「あれ?」

「なんともなくない?」

 純と涼もキョトンとした顔をしていた。

「な、なんで……」

 レンの疑問に答えたのは――

「あーそれな」

 独特の少々かすれたイケメンボイスであった。

 声のする方を振り返ると、ハチさんが部屋の隅っこでアグラをかいてこちらに手を振っている。

「ハチさん! 生きとったんかいワレ!」

「ジャンプジェイルとかいうやつは、さっきこっそりぶっ壊しておいたぞ」

 手にはドライバーを握っている。

「機械類を壊すのは得意だからな。昔からよくじいちゃんの世紀の大発明をちょっと触っただけで壊しては、人類の科学力を数十年単位で遅らせてきたし」

「ハチさん! ワレ! ワレ!」

 正直、自分のサイコガンであっさり倒れてなにしとんねんと思っていたが、こんな暗躍をしていたとは!

「あとついでと言っちゃなんだが――」

 と自分の足元を指さす。足元の床にはなにかマンホール状のふたのようなものがついていた。

「この中。裁断機だろ? こいつもぶっこわしておいたぞ」

「――――!?」

「うおおおおお!」

「やったーーーー!」

「ハチさーーーん!」

 俺たちは歓喜の声を上げた。

「さあ。切り札はぶっ壊された上に四対一! どうするーーー? 降参するかーーー?」

 ハチさんは二カっと歯を見せた。

 レンは呆然とした表情でしばし沈黙。それから。

「ゆる……さ……ない……」

「えっ?」

「ゆるさなあああああいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!」

 すさまじい雄たけびに透明ドームにヒビが入る。

 そして。

「ぬおおおおおおおおおおおお! ぶるああああああああああああああああ!」

 レイがとてつもなく野太い……そう声優の若本規夫さんのような声でうめいた。

「お、おおおおおおお!?」

「なんだこりゃ!」

「きゃああああああ!」

 彼女の体は風船のごとく膨らみ始めた。

「これはまさか!」

「ドラゴンボールの!」

「自爆寸前のセル!?」

 レンの体はその体積を縦にも横にも増してゆき、とうとう頭が天井まで届いた。

 これはまさにドラゴンボールの大ボスのひとり、セルが地球ごと巻き込んで自爆しようとしたときと同じだ。

 ……不思議なことに衣服は破れていない。

「ふふふ。あと一分で爆発しちゃうよ?」

「なっ――!?」

 原作では孫悟空が瞬間移動で界王星に連れて行き地球は助かった。だがここは現実だ。界王星などない!

「ぐうウウウウ! ちくしょう!」

「どうしよう……どうしよう……」

「わーわー! 私のバラ色の人生が! BL天国が!」

 情けないことだがわれわれ最強トリオはパニックを起こした。

 ハチさんがそんなガキどもをいさめる。

「落ち着けよ三馬鹿トリオ。しょせんありゃあダークなんたらブレインで脳波を操ってるだけ。奴にダメージを与えてきっちり気絶させてやりゃあ、爆発しやせんさ」

「ハチさん……でもどうやって……?」

「大丈夫だ。最後の切り札があるから」

 そういって俺たち三人の肩を叩く。

「マジで!?」

「さすがハチさん!」

「ハチさん好きー」

「どんな奴ですか?」

「違うよ。最後の切り札があるのはおまえたちだ」

 俺たちの後頭部にチョップを喰らわせた。

「本当は使いたくなかったんだけどな。まァでも大丈夫だろ。おまえらなら」

「……よくわからん。どうすればいいんだ?」

 ハチさんはその質問には答えず逆に質問を返した。俺が涙目のルカならマジギレをするところである。

「なあ。おまえらが一番思い入れがある漫画ってなんだ?」

 俺たちは顔を見合わせる。

「男坂……」

「ドラゴンボール……」

「テニスの王子様……」

 ハチさんはニヤニヤしながら俺たちにもう一発チョップをぶちかました。

「ばあか。違うだろ?」

「えええ?」

「だってさあ。おまえら漫画描くじゃん」

 床が凄まじく揺れる。爆発までもうほとんど時間がなさそう。しかしハチさんの話はもうちびっとだけ続くようだ。

「自分が描いた漫画より思い入れがある漫画なんかあるわけねえだろ? 私もちょっとだけ描いてたからわかるけど」

「そりゃそうだけど……」

「だからさおまえら。自分が描いた漫画の技をぶちかましてみろよ!」

「えええ? でもそれじゃあジャンプブレインは……むぐぐぐ!」

 ハチさんは涼の口を右手を押し当ててふさいだ。

「いいから! とにかくやってみろよ! もう時間がないぞ!」

「……ゴワハハハハハハ!」

 話を聞いていた巨大風船は野太い声で笑った。

「もうやけなの!? やけなの!? まあ私もだけど! グワハハハ! あと十秒!」

(ちくしょう! もうハチさんを信じるしかねえ!)

 俺は目を閉じて自分の描いたヘッタクソな、しかし愛おしいキャラクターたち、そしてストーリーを頭に浮かべた。

(このシーンは直さなくちゃなあ……あのシーンも……いや! 今はそんなこと考えてる場合じゃねえ!)

「あと五秒……」

(えーっとクライマックスのシーンは……)

「五……四……三……二……一……」

 俺たちは三人同時に目を開いた。そして。

「マジカルチョココロネバズーカーーーーーーー!」

「ウルティモスラッシャーーーーーーーーーーー!」

「キャベツハイパージャイロボールーーーーーー!」

 必殺技の名を叫んだ。

「――――――うおっ!?」

 瞬間。強烈な閃光に目がくらむ。

 今までのものとは比べ物にならない凄まじいエネルギー。

 自分の内側から発せられたその力に俺は恐怖を抱いた。

 だがそれと同時に。

(ジャンプのヒーローって。こんな気持ちだったのかな)

 味わったこともない高揚感が全身を包む。

 俺は。なんか変なことを考えた。

(俺やっぱり。漫画が。ジャンプがすきだ。あきらめたくねえな。ジャンプ作家になるという俺の夢)

 閃光と爆風に目が眩む。目を閉じると今までに読んだジャンプ漫画たちの名シーンが瞼の裏に浮かんだ。


 ――やがて部屋全体を包んだ粉塵が晴れたとき。

「大ちゃん!」

「大知!」

「みんな無事か!?」

 仲間たちはみな隣に立っていてくれた。

(レンは……)

 その小さな少女は険が抜け切った表情で部屋の真ん中に横たわっている。こうしてみると本当にお人形さんみたいだ。

 ハチさんがゆっくりとそれに近づいてゆく。

「さて。ようやく私の話を聞ける体勢になったな?」

 レンの枕元に例のバカでかいボストンバッグをドスンと置き、その上にどっかりと座った。

「まずはテメーがなんでJ―スレイヤーなんかに入ったか聞かせろよ」

 レンは弱弱しく口をパクパクさせる。よく聞き耳をたてるとこんなことを言っていた。

「うっさい……ばか……」

「最近のジャンプがエッチな漫画が少なくて面白くないからか?」

 レンはかすれた声で弱弱しく叫んだ。

「あのじじいが! 私を愛していなかったからだ! じじいもジャンプも大嫌いだ!」

 ――その言葉に思わず胸が痛む。

 ハチさんはそんなレンに冷静な口調で問い返した。

「なぜそう思う?」

「だってあいつは! 遺言で! 自分のコミックスを全部オマエに譲った!」

 それを聞いたハチさんはやれやれとため息をつく。

「もともと知ってたけどな! あいつがわたしを愛していないことぐらい!」

「はあ……やっぱりな……」

「なにがやっぱりだ! 死ね! いや! いっそ殺せ!」

「このはやとちりクソババアが……」

『はやとちりクソババア』とは。漫画太郎先生作の読みきり漫画だ。氏の持ち味が十全に発揮された名作である。

「おまえ。最後まで遺言をきかずに飛び出しちまっただろう」

 ハチさんはボストンバッグから腰を上げた。そして。

「中を見てみろ」

「なに……」

 レンは赤ん坊のようによろよろと起き上がるとジッパーに手をかけた。

 ――中に入っていたのは。

「なにこれ……?」

 そいつは大判サイズのファイルだった。でっかい台紙に紙を貼りつけてファイリング保存するタイプのもの。いわゆるスクラップブックだ。すさまじく分厚い。広辞苑くらいあるのではなかろうか。

 貼り付けられていたのは――

「じいちゃんはなぜかそのページが好きでね」

 ジャンプの一番最後、ピューっと吹くジャガーや王様はロバよりあとに乗っている目次ページ、作者のコメントや編集者のコメントコーナーである『OK! ジャンプガイ!』が乗っているページだ。

「なんとそいつが創刊号から現在に至るまで全て保存してある。およそ二三〇年分だな。全部で恐らく一万ページは越えている。ここにあるのはごくごく一部だ」

「すっげ……」

「これを作る手間もさることながら、全部集めたのが凄すぎちゃう?」

「自分の産まれる遥か昔のものまででしょ……?」

 ハチさんは誇らしげに微笑む。

 レンは呆然とスクラップブックを眺めていた。

「あとそれから」

 もう一冊のこれまた凄まじく分厚いファイルを取り出した。

 透明なポケットがアルバム状になっている、いわゆる普通のビジネス用のファイルだ。

「これはカラーページコレクション。これまた創刊号から現在に至るまで全ての表紙、巻頭カラー、センターカラーのページが保管してある」

 最初のページに保管されていたのは少年ジャンプ創刊号の表紙であった。

『新しい漫画新幹線』という謎の文言と共に『くじら大吾』、『大暴れアパッチ君』、『ドル野郎』、『父の魂』などの漫画がラインナップされている。

「それからこっちは」

 またもう一冊広辞苑級のファイルが出てきた。

「単行本未収録作品コレクションだ」

「ええええ!? こんなにあんのか!?」

「これだけじゃないぜ。これと同じくらいのがもう十冊ほどある。昔のは単行本未収録が多いからな。あとは読み切り作品とか。短編集にすごい年を経て収録されることとかもあるけどなかなかね」

 レンはそいつをペラペラとめくる。

「ハチさんのじいちゃんってさなんでここまでのジャンプ仙人になったわけ……?」

「なんでもじいちゃんのじいちゃんがジャンプの編集だったんだってさ。詳しくはしらん」

「ってゆうか。ここまでするならジャンプごと全部とっておいてもよかったのに……」

 涼のごもっともなツッコミにハチさんは苦笑。

「たぶんこの作業をやるのが楽しかったんだろうな。それから。まだあるぞお宝は。えーっとこの山がジャンプ作家全員分のサイン色紙だろ。あとは生原稿コレクション。これはさすがに全部ではねえよ。あとこっちはじいちゃんが描いてたコラムの手書き原稿……」

 ――ドン!

 ハチさんの話を遮るように。レンは床を思いきり叩いた。

「なにがしたいの……?」

 ハチさんを怒っているような泣いているような顔で睨みつける。

「自分が愛されているというしょうこをこんなにいやというほど見せつけて」

「……おまえはホントにわからねえヤツだなァ」

 そういってレンのアタマにそっと手を置いた。

「これは全部おまえのものだよ」

「えっ?」

「ほら。遺言状にもちゃんと書いてあらあ。おまえ最後まで聞かずに飛び出しちまっただろう。『ワシの精子で産まれたガキには悪いが。この生涯をかけて集めたコレクションは。血のつながっていないワシの本当の孫レンに譲る。だっておまえらよりレンの方が可愛いんだもーん』。じいちゃんらしいクソみてえな文章だけどな」

 レンは目をかっぴらいた。目の端には水が溜まっている。

「でさ。ほらここからが大事だ。『レン。おまえにはこのコレクションを引き継いでほしい。つまり。これからも目次ページや表紙、読み切り作品をファイルに保管していってほしいんだ。めんどくさいことを頼んで悪いが、ワシの愛情の証だと思ってくれ』」

 目の端からすっと細い滝が溢れた。

「私もコミックを買い足すように言われててさ。金がかかってしょうがねえや。これもやんなきゃいけなかったし」

 そういってハチさんは一冊の薄いファイルをボストンバッグから取り出す。

「ほら。この二年間は私がやっておいたからさ。続きはおまえがやれよ。こういうの苦手なんだよ」

 ファイルの中にはカラーページや目次ページが保管されていた。破るのがヘタクソでところどころちぎれてしまっている。

「ハチミ……」

「あの……さ……レン」

 ハチさんはガリガリとアタマを掻きながら言った。

「ごめんな。私もじいちゃんも。おまえが大好きだったんだけど……な。二人とも不器用すぎてさ。もっとちゃんと伝えてやればよかったよ。でもさ。このボロボロのファイルがさ。なんつーかそのじいちゃんも書いてたけど……その……愛情……? の証だと思ってくれよ。えーつまりなにが言いたいかというと……」

 レンから顔をそらして耳を真っ赤にしながら言った。

「おまえは愛されてたんだよ。いや。今も愛されているさ」

「ハチミ……!」

 レンはハチさんの胸に顔を埋めて泣いた。

「ハチミ……! ハチミ……! ハチミ……! ハチミ……! ハチミ……!」

 漫画みたいにフキダシに考えていることが出るわけじゃないから、どんな感情が去来しているのか俺たちには分からない。本人にもわからないのかもしれない。

 わからないのだが。胸に熱いものがこみ上げてくる。純と涼はその感情を目から溢れさせていた。俺はそれを必死でこらえる。

 そうして。レンの嗚咽の声が少しづつ小さくなってきたころ。

 ――パチパチ。――パチパチ。

 手を叩く乾いた音が聞こえてきた。

 音のするほう――エレベーターの方を振り返ると。

「ご苦労様です」

 そこに立っていたのは。

 スーツ姿にメガネをかけた小柄な女性だった。黒髪を短く切って大人っぽい雰囲気だが、よく見ると顔立ちは若々しい。俺たちとそう変わらない年齢かもしれない。

「あ、あいつは! あのときの!」

「知ってるのか純!」

「えーっと……ごめん大知。ノリで言ってみただけ」

 女性は淡々とした声でこのように述べた。

「素晴らしい感動シーン。ハッピーエンドを見せて頂きましてありがとうございます。レン様」

「イサミ……」

 どうやらレンの知り合いのようだ。

 ハチさんは目を凝らしてアゴに手を当てながら彼女の顔を覗き込んでいる。どこかで見たことがあるのかもしれない。

「でも私としてはもっとビターなバッドエンドの方が好みですね」

 そんな軽口を叩く彼女にハチさんがつっこむ。

「おめー誰だよ!」

 彼女は恭しく、というかなんとなく慇懃無礼な感じに頭を下げた。

「申し遅れました。私はJ―スレイヤー所属の漫牙吉良イサミと申します」

「――!! 漫牙吉良だと!?」

「確かこの時代の総理大臣の――!」

「はい。私は内閣総理大臣・漫牙吉良偉蔵の孫です。日本政府から派遣されまして、レン様の秘書を務めさせて頂いております。秘書とはなっておりますが、事実上のお目付け役で御座いますね」

 つまりこいつは……諸悪の根源の直属の……。

「キサマ! なにしに来やがった!!」

 ハチさんが詰め寄るが、イサミはまるで動揺した様子はなく淡々と答えた。

「ここに来た理由は大きく二つあります。一つは。レン様にJ―スレイヤーからの解雇を正式に言い渡しに参りました。理由は今回の失敗と普段の勤務態度、その他いろいろです」

 レンの顔に困惑が浮かぶ。

「それから。みなさんを粛正に参りました」

 ――!! 全員の表情に緊張が走った。

「ほおおお。五対一でやろうってのか?」

「いえまさか。とても勝ち目はありませんし、みなさんが無抵抗の人間をぼこぼこにするようなことができる人間ではないということも存じ上げております」

「じゃあなんだっつんだよ……」

「ここに我々の軍隊が向かっております。人数は五〇〇人。あと五分ほどで到着致します」

 ――!!

 俺はハチさんと顔を見合わせる。

「ど、どうするハチさん。迎え撃つ……?」

「いやいやいやいや! そりゃあムチャだぜ! 私ら疲弊しきってるし、そもそも五〇〇人だぜ!」

 ですよねー!

「というわけで! トンズラだ!」

「さすがハチさん!」

「なんという冷静で的確な判断力なんだ!(※36)」

 というわけで全員賛成にて撤収が決定した。

「レン! 涼ちゃん! 二人はジャンプコミックの圧縮作業をやってくれ! ポイポイポイカプセルにブチこむんだ! 純くんと大知! おめーらはそれを下に運んでこい! 私はトラックとってくるから!」

 イサミはニヤつきながらその様子を眺めている。

「間に合いますかねえハチミさん」

「合わせるさ」

「ですが。例えこの場は凌いだとしても。あなたは今後永遠に我らに追跡されることになります。そうしたらいつかは間に合わなくなるんじゃないですか?」

「そのときは――」

 ハチさんはタバコに火をつけながらこう答えた。

「笑ってごまかすさあ!」

 これは彼女が愛する「コブラ」の名セリフである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る