未知なる恐怖と創り出された世界
時は少し戻り、ウツロが盗賊の意識を刈り取って直ぐ後、物音に反応した騎士が路地裏に駆け込んできた場面へと
「誰かいるのか!? 」
騎士剣を構えながら、慎重に駆け寄ってくる騎士をウツロは表面上に張り付けただけの安堵の表情で出迎える。
だがその光景を見て、騎士はウツロに駆け寄る足を止め、周囲を観察する。
そこにあるのは、気絶している盗賊と、傷一つない女性が一人。
「嗚呼、これは騎士殿。良い所で来てくれたね」
ウツロは騎士にゆっくりと近づいていく。
本来なら、何も違和感がない行動。己を救ってくれる騎士の下へ向かっているだけの普通の行動。普段なら、騎士も決して被害者を遠ざけることはない。寧ろ、保護のために自分から近づいていくのが基本だ。
だが、
─この女は何かヤバい
「申し訳ありませんが、少し事情をお尋ねてもよろしいですか? 」
騎士は本能的にウツロへの警戒を強め、本心が漏れないようにしつつウツロから距離を取る。武装すらしていないと思われる女一人に、騎士は恐怖する。
「あぁ、事情を話すのは構わない……ただ、折角気絶したあの盗賊がいつ目を覚ますか分からないから……怖いんだ。頼む、そっちに行かせてくれ」
「ッ……! 」
縋るようなウツロの瞳。震えた声。
─もしこれが自分の思い違いだったら…
─もしこれが女性が必死に身を護る為の結果だったら…
─もしこれで、この女性に余計な危険が起こったら。
様々な気持ちが騎士の中を幾つも駆け巡り、意思が揺らぐ。恐怖が揺らぐ。警戒が揺らぐ。
「いや……でも……」
動揺する騎士に、ウツロはジリジリと近づいていく。
騎士とウツロの距離は残り二メートルほど。手を伸ばせばそろそろ届く距離。
「そこで止まれ!!! 」
そこでようやく騎士は声を上げた。謎の恐怖を振り払うような怒声で。
間違っていたら己の命を懸けて護る覚悟で、ウツロとの距離を保つ決断をした。
そんな騎士に対して、ウツロはというと、
「へぇ……最高だね。キミ」
感心するように小さく拍手をし、
「嗚呼、これこそ人の命の醍醐味だ! 人によって、状況によって七色に変化する!
やはり命というのはこれ以上なく美しい最高の素材だ! 君もそう思わないかい!? 」
何か奇妙なことを言いつつ、ニタリと嗤った。
「あ……うぁ……ぁぁぁぁぁあ……」
まるで一言毎に別人が喋っているように、コロコロと表情や口調が変化するウツロに、騎士の中の恐怖はピークに達する。
─どんな人生を歩めばこんなモノが出来上がるのか。
─何をすればこんな思考に至れるのか。
騎士の負の思考は更にドツボへと至っていく。そんな騎士に、ウツロは優しい声色で。まるで病人を相手にする看護師のような慈悲に満ちた声で、
「さぁ、君の光は何色だい? 」
ゆっくりと騎士とすれ違い、横を通り抜けながら静かに尋ねた。
「ッ……!!」
最早声も出ない。気が付いたら、ウツロは路地の入口の方へ立っている。
横を通られても反応できない。それ程までに騎士の精神は限界へと達し、思考する前に路地の奥へと自ら駆けていった。
その先が行き止まりであることなど、既に騎士の頭には無かった。
「どうした騎士殿? 私に聞きたいことがあったんじゃ無かったのかい? 」
そんな逃げる騎士の後を、ウツロは駆け足で追っていく。
やがて騎士はウツロに追いつかれ、抵抗しようと腰に下げた騎士剣に手をかけ、己を鼓舞するために息を吸い、怒声を…
「はぁ…はぁ…クソッ…! ク…ガフッ! 」
放つことはなかった。
正確には、放てなかった。
「ん…ふふ…」
なぜなら、もう既に、騎士の喉は声を出せる状態になかったから。
既に騎士の喉元に、先ほどの盗賊が持っていたナイフが突き立っていたから。
「サヨナラ、勇敢で臆病な騎士殿…? 」
そのままウツロは勢いよくナイフを引き抜きながら後ろへと後退し、騎士から吐き出される血を回避する。
その時、ナイフを抜かれた衝撃で騎士の体も何の抵抗も無く前方へと倒れこむ。
「さて、後は…」
今、人を一人殺した。とてもじゃないがそうは思えない程冷静に、ウツロは更に行動を続ける。
今度は盗賊の処理だ。
ウツロは騎士の亡骸を、地面に血が擦れるように引きつつ、うつ伏せに倒してある盗賊の体に半分ほど重ね、
「ま、君の色は良くてドブの色だろうし、まぁいいか」
また変なことを言いつつ、騎士の腰に付いていた剣で、背中に思いきり突き立てた。
そうして声を出すことも無く、意識が戻ることも無く、盗賊も騎士の後を追うように絶命した。
その様子を確認して、最後にウツロは、
「さて、後は最後の仕上げだが…まぁ、この程度は仕方ないな」
軽く微笑みながら、自分の背中。正確には背中の右下部分に躊躇なくナイフを突き立てた。
そこからは、周囲の人間が見ていた通り。
路地裏から轟いた悲鳴と、そこから出てきた重症の女。
路地の奥に倒れている騎士と盗賊。
それが、ウツロの描いた悲劇の顛末であった。
その後、ウツロは街の大きな病院へと搬送され、現場の調査に多くの騎士が涙を流しながら乗り出した。
***
そして三日後
自分の病室でウツロが退屈そうに横たわっていると、病室のドアをノックする音が在った。
「空いてるよ。どうぞ」
扉の外に声をかけると、そこで入ってきたのは、
「その…調子はいかがですか?」
見覚えのよくある騎士。グラムの姿だった。
「何の持て成しも出来なくて悪いね、グラム君」
その姿を見て、ウツロはゆっくりと体を起こす。自分のせいとはいえ、背中がかなり痛んだ。
「怪我人が持て成しなんて要りませんよ…これ、お見舞いです」
グラムは呆れながら肩に掛けていたポーチから、3冊の本を取り出した。
「最近街で流行ってるらしい小説です。上中下巻あるので、いい暇つぶしになるのではと…」
「あぁ、丁度退屈だったんだ。ありがとう」
表紙を見る限り、どうやらある英雄の伝記らしい。こういうのは結構好みだったので、いい暇つぶしになると、ウツロは本心から喜んだ。
のだが、
「……ん? 」
何かに気が付いたようにウツロは首をかしげる。
そして妙なウツロの様子から、グラムも不安そうに小説を覗きこみ、そして気づいた。
「あー……」
この小説、何故か上中下の中が無く、代わりに上巻が2冊あったのだった。
「……」
ウツロは肩をプルプルと震わせながら、一言も発さない。
─これは怒らせたのではないか。
そう感じ、グラムは思いきり頭を下げて、
「本当に申し訳…」
謝罪の言葉を紡ぎ始めた…のだが、
「よりによって…プクク…真ん中が…無い…ふっ…フフッ…」
ウツロの肩の震えが段々大きくなり、何やら吹き出すように声を発し、
「あーー、はっはっはっはっはっ!! 」
今までのウツロからは想像できない程大きな声で笑い始めた。
瞳に涙を浮かべながら。
思いきり両手をたたきながら。
「あの……ウツロ……さん……? 」
これには流石にグラムも困惑し、心配そうにウツロに声をかける。
「なんで…ヒッ…綺麗に真ん中だけ…フフ…」
それでもウツロは笑うのを止めず、静かな病院の中に女性の笑い声と手を叩く音が響き続けたのだった…
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