英雄たる騎士と悲劇の女性


「いや、アンタ凄いねぇ! 助かったよ! 」


 昼食時を過ぎ、先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返った店内で、店内の掃除をしながら店主の女性が豪快に笑う。


「はは、役に立てて良かったよ…えーと…」


 「あぁ、自己紹介がまだだったね! アタシの名前はクレナ。クレナ・ガイアス。この『クレナ食堂』のヌシさ! よろしくな! 」


 クレナと名乗った女性は、使っていた箒を壁に立てかけてウツロに右手を差し出し、握手を求める。


「あぁ、今日からお世話になるウツロだよ。こちらこそ、よろしくお願いします」


 特に拒む理由も無いので、ウツロも箒を片付けて差し出された手をシッカリと握りしめる。


 それにしてもこの女性の手。ただの料理人にしては全体的に堅すぎるし、バッドを振りまくったような古いつぶれたマメも多数ある。


 首元当たりまでしかない燃えるように真っ赤な髪の毛は後頭部で束ねられ、短いポニーテールにされており、赤みを帯びた大きな黒い瞳はパッチリと開かれている。顔立ちも整っており、百七十センチは超えているであろう女性にしては高めの身長も相まって、『かわいい』や『美しい』というよりも『凛々しい』見てくれをしている。しかし、エプロンの上からでも分かる程しっかりと膨らんだ女性特有の乳房が、彼女が女性であるとハッキリと証明している。


 そして、何よりも特徴的なのは顔や腕などについている数々の傷跡たち。だいぶ古い傷らしく、傷自体はもう埋まっている。しかし、一生消えることのないだろうその深い傷跡たちは、彼女がハードな生活を送ってきたことを示していた。


 と、そこまで観察したところで、


「おいおいウツロ…奇異の目で見られんのは慣れてっけど、そうやってじっくりと観察されるのは流石に気分悪いんだが…」




 クレナが苦笑いしながらウツロを見ていることにようやく気が付いた。




「っと、すまない。観察コレは職業病みたいなもんでね。以後、気を付けるよ」


 ウツロは慌ててクレナの手を放し、近くに置いてあった箒を再び手に取り、掃除を再開した。


「いやまぁ、客共のエロい視線よか遥かにマシだけどな?

 っとと、そうだウツロ。アンタまだ街には来たばっかだったよな? 」


「ん? あぁ、そうだけど…」


「なら、少し街中を歩いて来な。今後暮らしていく街を知らないのは辛いだろ? 夕暮れまでに帰ってきてくれりゃそれでいいから、ゆっくりしておいで」


 今後の為に街の地形やら店やら文化を見ておきたかったウツロにとって、願ってもみない提案だった。とはいえ、働き始めて数時間程度でそんな休んでいいものかと、ウツロが少し悩んでいると、その様子からウツロが何を考えているのか分かったらしく、


「アッハハハハハ!! 今はどうせ暇なんだ! 気を使わなくていいよ! 」


 クレナは豪快に笑い飛ばして、ウツロの背中をバンバンと強くたたく。


「じゃあ悪いね。少しだけ散歩させて貰うよ」


 こんなにも気を使ってくれているのに、無碍にするのは申し訳ないと、ウツロはリュックを背負いなおして出入り口に向かって歩き始めようとした


 のだが、


「おいおい、リュックなんて背負しょって旅でもする気かい!? ウチの二階に使ってない客室があるから、そこを使いな! 安くしといてやるよ! 」


「いや…マジかい…? 」


 あまりの好待遇に、流石のウツロも呆然とクレナを見る。


 クレナの話によると、この食堂は当初宿屋のつもりで設計していたらしいのだが、実際に建物を建ててみてやっぱり宿は面倒になった。という経緯から、余っている部屋が大量にあるらしい。だから、今更一部屋貸し出したところで特に何の痛手でもないらしい。


 むしろ、収入が増えて旨味ですらあるとか。


 結局こちらも断る理由が無く、ウツロはクレナの提案に頷くのであった。


 ***



「さて、どうしたもんかな」


 現在ウツロが居るのは、先ほども通った『グ・ランディス』の大通り。名前を『商業地区』というらしい。


 相変わらず商売人の活気のある声と、買い物客の楽しげな声が至るところで響き渡っており、そこにいるだけで楽しい気持ちにすらなってくる。


 ただし、


「はぁ…鬱陶しいな…」


 獲物をネットリと嘗め回すような不快な視線さえなければの話だが。


 とはいえこの視線、先ほどこの商業地区を通っていた時には一切感じなかったうえに、他の人間も気にしている様子はない。


 つまり、


「標的ターゲットは私…という事か」


 まだ街に来たばっかりの手前、あまりリスクのある行為は控えたかったが、相手がその気なら仕方がない。

 そう判断し、ウツロは人通りが無い商業地区の端っこに、放棄された屋台で入り口を隠された非常に分かりづらい裏路地へと入っていき、視線の主を待つ。


 予想通り、裏路地の向こう側は塀で囲まれており完全な袋小路。そして、背後から感じる気持ちの悪い気配。


「おいおい…自分から行き止まりに入り込むたぁ、姉さんも間抜けだねぇ? 」


「どうやらそのようだね。流石に失敗したかな? 」


 まるで声に反応したかのようにウツロはゆっくりと振り向き、両手を真上に挙げる。


 声の主は体制を低くして、ボロボロの外套コートを羽織って、顔が見えないようにフードを深くかぶっている。手には大振りのナイフが握られており、その大きさから前日の盗賊と同じ物であると見受けられた。


「お、潔いねぇ。とはいえ、この後に抵抗されても面倒だ…ちっと痛い目、見て貰うぜ! 」


 ウツロの降伏のポーズにニヤリと笑い、盗賊はナイフを振り上げウツロに駆け寄り、大きくナイフを振り上げる。


 そんな様子を呆れたように眺めつつ、ウツロは両手を下におろす。


「その動きはもう見たよ…君たちは本当に、不快になる程ワンパターンだね」


 少しイラついたような口調で盗賊の右腕を下から掴み、ナイフを持った右手を抑え、


「なッ…! 」


 盗賊の動揺を気にすることも無く、残った方の手で盗賊の両のこめかみを握る。所謂いわゆるアイアンクローという奴だ。


「ァ…ガガ…」


 この華奢な身体の何処に在るのか分からないほどの剛力。

 そんな力で頭を握られて痛みに苦しむ盗賊を、冷めたような無表情で見ながら、ウツロは手に更に力を込めていく。どうせこの世界に指紋認証やDNA検証などの技術は無いことは知っている。だから気にするまでも無い。


「私はね…」


 苦しみながらウツロを睨む盗賊を見ながら、まるで感情が無いかのように、ウツロは冷淡な声で淡々と言葉を紡いでいく。


「単調なモノが嫌いだ。変化のないモノが嫌いだ。見飽きた光景が大嫌いだ」


「な…にを…! 」


 言葉を紡ぐたびに、ウツロの手は万力のように締められていく。


 「くどいワンパターンを見るとどうしても…これ以上なくブチ壊してやりたくなる! 」


 そして最後に一気に力が加わると、盗賊は泡を吹き、そのままグッタリと気を失った。


「オマケに脆さも同じか…面白くない」


 ウツロは盗賊の体をその場に投げ捨て、この後どう処理するかを考える。


 流石にこのまま放置はできないし、かといって今すぐ殺してしまうと生活が厄介なことになりかねない。


 どうしたものかと頭を悩ませていると…


「誰かいるのか!? 」


 たまたま音を聞いたのであろう長剣を持った私服を纏った騎士と思わしき男性が、裏路地へと駆け込んできた。


 その時ウツロは、


 ─嗚呼、やはり私は運がいい


 心の中で、そうほくそ笑んだ…


***



 騎士が突入して数分後、裏路地からウツロの痛そうな悲鳴が周囲に轟いた。

 いくら距離が離れているとはいえ、女の悲鳴だ。流石に多くの人間が反応し、人が集まり始める。


「た…助け…」


 その直後、今度は背中からナイフを生やしたウツロが、死にそうな声で助けを求めながら、血まみれの体で這って表通りに姿を現す。


「お…おい! 姉ちゃん! 大丈夫か!? 

 おい、誰か救急士呼べ!! 」


 その光景を見たひとりの狼の耳を生やした獣人が何事かとウツロに駆け寄り、心配そうに声をかける。


「私は…いい…騎士…殿を…! 」


 その獣人に縋すがるようにして、ウツロは裏路地に向けて指を指す。


 それに釣られるように獣人は裏路地の方を向き、そこで見てしまった。


 騎士剣を深々と刺され、絶命している盗賊と、その奥で首から大量の血を流しながら倒れている騎士の姿を。


 そうして、この光景を目撃した全ての民はある一つの物語を事実として完成させた。


 盗賊に襲われた哀れな女性と、その女性を護って絶命した立派な騎士の、勇気と正義に溢れた美しい物語として。


 それが、その『悲劇の女性』によって描かれた、ただの殺人事件でしか無いとも知らずに。


 人々はこの事件を騎士道溢れる立派な事件として、吟遊詩人は詩にし、市民は英雄譚として賛美するのであった。


「…なぁ、グレン。この事件は本当に君の騎士道を描いた英雄譚なのかい?


 僕には、到底そうは思えないんだ…」


 ある一人の男を除いての話だが。


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