優しき美女の微笑みと純粋無垢な歓笑

「ハァ……流石に疲れてきたな」


 街道どころか舗装路すら見えない広大な草原を歩きながら、ウツロは一つ、大きな溜め息を零す。

 既にウツロが歩き始めてから既に結構な時間が経っており、気がつけば高い位置に有ったハズの太陽も今や草原の奥底に沈もうとしていた。


「今日はここで野営か……致し方ない」


 再び大きな溜め息を零しながら、リュックに入っていたランタンや寝袋、携帯食料を取り出して並べていく。

 日が完全に沈んでしまう前に準備を終えようと、ウツロは少し慌て気味に作業を進めていく。


 と、ちょうどその時だった。


「そこの方、何してるんですか? 」


 ウツロの頭上から、男の声が降ってきた。


「あぁ、そろそろ日が沈むからね。野営の準備だよ。どうせ慌てた所で道も分からないしね」


 こんな事を聞く時点で害意は無いと判断し、ウツロは声に答えながら其方そちらを向く。

 そこに有ったのは、大の大人が八人は乗れるであろう巨大な馬車。そして、その馬車から顔を出す青い髪をした騎士甲冑の青年だった。


「野営? 危険ですよ! この辺りには夜行性の獣や魔物も多いし、危険な盗賊の寝座ねぐらもあるんです! それに、まだアイツだっているかもしれない……」


「アイツ……? 」


「あ、いえ! 兎も角ともかく、ここは危険です。近くに僕の住んでる国があるので、そこまでお送りしますから、乗って下さい! 」


 青年は誤魔化すように、馬車の荷台の側面に着いた扉を開く。


 本当に大丈夫なのか少し疑ったが、この青年にウツロを騙せる程の演技力も腹黒さも微塵たりとも感じない。


「なら、お言葉に甘えさせて頂こうかな」


 そう判断した上で、青年の優しさを特に拒む理由は無いので、ウツロは展開していた野営セットをリュックに片付けて馬車の中へと乗り込んだ。


「へぇ……なかなか広いね。それに明るい」


 馬車の中は想像以上に広く、ウツロ一人増えても窮屈にはなりそうにはない。

 馬車の中には向かい合う形で長椅子が設置されており、そこには柔らかい布が敷かれていた。そして、馬車の右後ろの端には一つテーブルが置いてあり、その上置かれたカップやポットは落ちないように棚の中に入れられている。

 天井からはランタンが吊されており、馬車の中を黄色い優しい光で照らしていた。

 その長椅子には青い髪の青年以外に五人の騎士が乗っており、その中には一人、女性も混ざっていた。


「はは、王立騎士団の馬車ですからね。さぁ、此方へどうぞ」


 青い髪の青年の誘導に従い、ウツロも椅子に座る。


「さて、とりあえず自己紹介でもしましょうか。僕はグラムと言います。一応、将軍という役職に就かせて頂いてます」


 青年、グラムが人懐っこい笑顔でウツロの正面に座る。


「で、僕の隣から……」


 グラムの言葉に合わせるように騎士が一人一人自己紹介をしていき、


「シズクと申します。短い間ですが、よろしくお願いしますね? 」


 最後に先ほどの女性騎士が名乗りながら、おもむろに立ち上がってテーブルへと向かう。

 正直、ウツロはグラムとシズク以外覚えてはいない。だから他の面々の名前は一切覚えていないが、特に再び聞いたりしようとも思わなかった。

 彼らに其処までの興味はウツロには無かった。


「おっと、次は私だね。私はウツロ、ただの旅人だよ。今回は馬車に乗せて貰えて本当に助かった。ありがとう」


 ウツロは優しく微笑み、騎士たちに深く頭を下げる。


「いえいえ、困ったときはお互い様ですよ」


「それに、危険な場所に武装すらしていない女性を放置したとあったら、私たち王立騎士の名が汚れてしまいますからね。ウツロさん、どうぞ」


 シズクがウツロに紅茶の入ったカップを差し出しつつ、グラムの言葉を補足する。


「あぁ、すまないね」


 ウツロは、カップを受け取ると同時に、紅茶を一口、口に含む。

 そこで、自分で驚いた。


 ─まさか、人から出された物を一切警戒もせずに口にするなんて


 と。


「ふふ、とても美味しいね。それに懐かしい」


 ウツロは目を伏せながらポツリと呟く。

 

「……? お口にあったようなら良かったです。お代わりが欲しかったら何時でも言ってください」 


 「懐かしい」というフレーズに、一瞬シズクは疑問と興味を抱きつつも、深堀するのも野暮だと感じたのだろう。すぐに話を切り上げた。


「さて、着くまでまだ時間はあります。到着したら起こしますから、ウツロさんも少し寝てていいですよ?」


「いや、生憎あいにくながら眠気は無くてね。それよりも、君たちの事を聞かせてくれないかい?」


「僕たちの……ですか? 」


「あぁ、折角の機会だ。君たちの国に少し滞在しようと思ってね。その話を少し聞かせて貰いたいんだ。それとも、滞在は流石に迷惑を掛けすぎかな? 」


「いえいえいえ! そんな事は! 僕たちの暮らす王都『グ・ランディス』は、余程の事がない限り来る者を拒まない懐の深い国です! 相手が盗賊などの犯罪者でない限り、迷惑なんて事はありませんよ」


 ウツロの疑問にグラムは首を大きく横に振るいながら否定し、答える。

 その答えに安心したように、ウツロはホッと一息吐いて、


「なら良かった。じゃあ『グ・ランディス』について教えてくれるかな?」


 ウツロとグラムは静かに話し始めた。


 夜はまだ長い。



***



「グラム様、到着しましたよ」


 

 翌朝、御者の声で眠っていた騎士達は目を覚まし、首をゴキゴキと鳴らしたり、大きく伸びをしたりする。

 ウツロとグラムは結局一睡する事もなく、『グ・ランディス』について話し続けていた。どうせ一睡もする気が無かったウツロにとって、丁度いい暇つぶしになった。


 「へぇ、コレは中々……」


 馬車を降りて、ウツロは目の前に展開される巨大な城壁を見上げる。

 高さはゆうに三十メートルは超えているだろう。その所々から大砲の砲塔のような物がニュッと伸びており、城壁の外に居る物を睨んで威圧している。

 そして、その近くには十メートル程のこれまた巨大な城門。その前には人々が長蛇の列を成している。中には猫のような耳を生やしたり、全身が狼のような毛で覆われてる人型の獣も混ざっている。


「アレが、話にあった入国審査かい? 」


「はい。あそこで持ち物や目的、指名手配されてないか等をを審査して、問題ないと判断されれば入国証が発行されます。で、中で滞在する場合はその入国証を役所に持って行けば、この『グ・ランディス』で暮らす権利が得られる……というワケです」


「なるほど、じゃあ早速私も並ぶとしよう。

 世話になったね。ありがとう」


 早速ウツロが列に向かおうとしたところ、


「あぁ、ウツロさんは大丈夫ですよ」


「……? 」


 そんな事をグラムが言い出したのだった。



 ***



 人々が並ぶ城門から少し外れた場所にある、二メートル程の小さな門に案内された。


「ここは? 」


「騎士用の通用口ですよ。本来なら部外者を通すのは厳禁なんですが、まぁ僕が直接ウツロさんの安全は確かめたワケですし、特例です」


 ニコニコと話すグラムを横目に、ウツロは近くにいたシズクに小さな声で尋ねる。


「シズク君、特例を出せるほど彼は偉いのかい? 」


「えぇ、なんせ彼はこの国の騎士のトップですからね。多少の我儘わがままを通すだけの権力は普通にありますよ」


「へぇ…あの気さくな少年が…ねぇ? 」


 やはり人は見かけによらないものだとウツロは一人感心しつつ、グラムの後ろを着いていく。



 その後の流れも実にスムーズで、ウツロは門番とシズクに軽く荷物のチェックとボディチェックをされただけで、『グ・ランディス』への入国を許可された。



***



「さて、僕たちは本部へと報告に行くので此処で失礼します。短い間でしたが、ありがとうございました」


「いや、礼を言うのはこちらの方だよ。お陰で随分と楽が出来た。ありがとう」


「はは、それはよかったです」


 手を振るウツロを見ながら、グラムはニッコリと笑い、その場から騎士たちと去っていった。


「さて、どうしようかな」


 グラムと別れ、ウツロの笑顔が変わる。

 先ほどまでの明るい優しい笑顔ではなく、新しい玩具を箱で貰った子供のような、好奇心に満ちた笑顔に。それでいて、底の見えない深淵のような邪悪な笑顔に。



 グラムはまだ知らない。知る由もない。


 自分が、とんでもない災厄を自分の手で招き入れてしまった事を。

 自分の愛する国にとんでもない悪鬼を解き放ってしまった事を。

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