快楽主義者の道楽と平和主義者の決意

「…少し休むかな」


 そうポツリと漏らし、ウツロはその場にリュックを下ろし、その近くにあった石を背もたれにし、地面に座った。


「しかし、まさか人の気配すら無いとはね。彼は一体、私をどれだけの秘境に放り出してくれたのやら…」


 

 彼女が草原を歩き始めて既に数刻。その間に、商人などの人間は愚か、野生の動物にすら出会っていない。

 体力的にはまだ余裕はあるが、そろそろ交易路か街道にでも出なければ流石に厄介だった。


 ウツロが腰を下ろしてから数分、そろそろ移動しようかと出発の準備を始めた丁度その時だった。


「…おや? 」


 遠くに人影が二つ。しかも歩き方からして、周囲を警戒しながら歩いているのは明白だった。

 こんな場所にも関わらず、アレだけの警戒心を保たないとなると考え得る可能性は絞られてくる。


 大切な何かを運んでいるか、後ろ暗い何かがあるか。そんな所だろう。


 どちらにせよ、この状況が好機チャンスで有ることに変わりはない。


「とりあえず……どうしたものだろうか」


 とは言っても、相手はほぼ確実に武闘派の輩。恐らく武器もあるだろう。

 それに対してウツロも一応武道に心得はあるとはいえ、丸腰の状態。それで勝率が高いかと言われると、正直微妙な感じは否めない。


 さてどうするか。そう悩んでいると、突然男たちの動きが変わった。

 コソコソと移動する足を止め、ウツロの方をジッと見ている。

 地味に距離が有るため、相手の表情こそウッスラとしか見えないが、恐らくニヤリと嗤っている。やがて男たちはウツロの方へと足早に向かってくる。


「……どうやら、考える時間もないようだね」


 その光景を見て、ウツロは大きめな溜め息を漏らす。

 いくら想定通りだったとはいえ、ここまで露骨だと流石に呆れるしかない。


 そんなウツロの心も知らず、男たちはウツロに接近。ある程度距離を詰めたら、その下卑た嗤い顔を隠そうともせずにウツロへと話しかけ始めた。


「よう、姉さん。こんな何もない草原を一人、何の用だい? 」


 ウツロの外見全てを舐め回すように、男が視線を動かし続け、その下卑た嗤い顔を更に歪め、視線でウツロに語りかける。


 「コイツは大当たりだ」と。


 腰まで真っ直ぐサラリと伸びた艶のある黒髪に、宝石でも入ってるように綺麗な漆黒の瞳。整った顔立ちに、出るところはシッカリと出て、それでいて引き締まった身体。その上、現在の服装が何故かTシャツとジーパンということもあり、その体つきは更に強調されている。


 この世界の美的感覚が現代日本と同等なら、ウツロは間違いなく大当たりであった。

 ただしそれは外見だけの話なのだが、そんな事を男たちは知る由も無い。

 ロクな警戒心も抱かないまま、ウツロへとジリジリと距離を詰めながら優しそうな声で語りかける。


「今の私は自由気ままな旅人でね。行き先も用事も何もないさ。どうせ友人も身内も誰も居ないんだ。幾ら自由にやってても、心配を掛けたり探されたりするリスクもない。気楽なもんだよ」


 ウツロが自傷するように目を伏せながら小さく笑う。


「へぇ、そうかい。そいつァ寂しいなぁ? 」


 そんなウツロの返しに男の声も楽しそうなモノになる。何せ、ここまでの当たりにも関わらず身内の居ない旅人だ。捕らえた所で、血眼になって探す者はいない事になる。

 思い描く中で最良の獲物。護衛も武器も無く、オマケに見ず知らずの自分にすらペラペラと話す警戒心の無さ。ここまで明らかなカモ、一生を賭けても見つからないだろう。


 男がニヤニヤとしながらウツロの捕獲後まで考えていく。既に男とウツロの距離は既にほぼ零。手を伸ばせば届く距離。

 端から見れば確実な男の優勢。だが、ここまで全てウツロの計算であった。


「さて、で? 君たちは一体私に何の用なのかな? 」


 理由なんて分かっている。それでもウツロは尋ねる。


「ククク……俺たちは盗賊でね。アンタみたいな美人を攫って好き放題遊んだり、売り捌いたらするのが仕事なのさ!」


 嬉々とした表情と声色で、盗賊はウツロへと腕を振り上げる。その手には大振りのナイフ。刺されたら暫くは痛みで動けないだろう。


「ぉ…ご…!」


 だが、それはあくまで振り下ろさればの話。

 盗賊の油断と慢心で隙だらけになったナイフは、ウツロを捉える前に、その膝が盗賊の股間へと深く突き刺さっていた。

 余りに容赦のない痛みに、盗賊は手にしていたナイフを地面に落としてよだれを垂らしながらその場でうずくまる。


「やれやれ、本当は君も実験に使いたい所だが、君に復活されても厄介だからね」


 予想外の光景に唖然とするもう一人の盗賊を横目に、ウツロは落ちたナイフを拾い上げ、


「ま、死になよ」


 どこまでも軽いトーンで呟きながら、うずくまる盗賊の後ろ首へとナイフを深々と突き刺した。


「……ッ! 」


 首を刺された男は声を上げようと口を大きく開くも、喉から溢れる大量の血に阻害され、その場にベシャリと崩れ落ちて動きを止める。

 そしてようやくそこで、近くで見ていたもう一人の男が我に返り、ウツロへとナイフを向けた。


「こっちがちっと下手に出たからって調子に乗ってんじゃねぇ! 」


 激昂する盗賊を見ても尚、ウツロの態度は変わらない。

 どこまでも冷静に、どこまでも淡々と、


「ぉごッ…! 」


 流れるような動作でナイフをかわし、ガラ空きになった盗賊の鳩尾へと強烈な蹴りを放つ。


「ま…だだ…」


 だが、盗賊は止まらない。止まったら先ほどの仲間と同じ目に遭うから。

 だから盗賊は痛みを律し、気迫を放ち、根性でもう一度ナイフを振り上げる。

 しかし、そんな盗賊の目の前にあるのは、目の前に大好きな玩具をぶら下げられた子供のような笑み。

 無邪気で嬉々とした、それでいて悪魔のような邪悪な笑み。

 その笑顔に恐怖し、盗賊の動きが一瞬止まる。直後、盗賊の首をウツロの手が握り締めた。


「この世界の住人も、弱点が同じで助かるよ」


 この状況ですら、トーンの変わらないウツロの声色に盗賊は更に恐れ、そのまま意識を喪っていった。



「ぁ…ここは……? 」


 盗賊が意識を喪ってから数十分後、盗賊は意識を取り戻し、ゆっくりと目を開いた。

 視界の先に広がるのは、先ほどと変わらないだだっ広い草原と、どこまでも広がる青い空。

 ただ、先ほどまでと違うこともあった。


 まず、自分が仰向けに倒れていること。そして、身体を自分達の荷物にあった紐で縛られて動きを封じられていること。


 最後に、


「やぁ、おはよう」


 先ほど大当たりと評価した女が、盗賊を見下ろしながら目の前に立っていた事だった。


「お前、何のつもりだ…」


 盗賊はウツロに問う。この状況の意味を。この状況の価値を。


「大丈夫、悪いようにはしないよ。まぁ痛いとは思うけどね」


 ウツロは飄々と喋りながら盗賊の真横にしゃがみ、盗賊の顔に手を伸ばす。


 もし状況が状況なら、流れに身を任せているだろう。幸福な気分に浸っているだろう。

 

 だが、今は違う。

 盗賊の心にあるのは恐怖心のみ。目の前のバケモノが放つ狂気に対する恐れだけだった。


「さぁ、実験を始めようか。身体を楽にしててね? 」


 ウツロは優しく盗賊に語りかけ、右手の親指と人差し指で盗賊の右目をガッと開き、眼球を露呈させる。

 そして、残った左手の人差し指を盗賊の右目の真上へと突き出して、


「ふふ、痛かったら右手を挙げてね? 」


「ヒッ…! 」


 笑顔で冗談を言いながら、まるで目薬を差すように盗賊の眼球へと指先から一滴、雫を垂らし、


「ァァァァァア゛ア゛ア゛ア゛!!! 」


 突如、盗賊が絶叫。叫びながら、突然の事態に何が起こったかすら理解が出来ない。

 そのあまりの辛さにバタバタと暴れ回るが、身体を紐で固定されているから動けない。逃げられない。

 同時に眼球からはシュワシュワと音を立てながら煙が立ち、そのまま眼球が溶かされていく。

 感じたことのない痛みに、盗賊は言葉を忘れてただただ叫び続ける。


「うん、いい悲鳴だね。思わず気持ちがたぎってしまいそうだよ」


 そんなもがき苦しむ盗賊をニコニコと眺めながら、ウツロは冗談を紡ぐ。

 ここで盗賊は、ようやく気がついた。


 ウツロが明らかに普通とはかけ離れている事に。この女がこの上ない大当たりなどでは無く、この上ない大ハズレとに。そして、自分の右目が見えなくなっていることに。


「あぁ、なる程。コレは溶解液の類か。どの辺りまで溶かせるか……は今度のテーマとして、今はもう少し遊んで見ようかな」


「ヒッ…止め…許して…」


「君も私であそぼうとしたんだ。なら、私も君で遊んでもいいだろう? 」


 笑顔の悪魔は動きを止めない。命乞いなど微塵たりとも聞き入れない。

 次はどこに液を垂らそうかと、ウキウキしながら盗賊を吟味していくだけだ。


「もう…頼む…アイツみたいに殺してくれ…もう…嫌だ…死にたい…死にたいよォ…」


 盗賊が残った片目で泣いて、己の死を懇願するが、ウツロは当然、まだ盗賊を殺さない。


 新しい玩具を貰った子供と同じだ。

 壊れるか飽きるまでその玩具で遊び続ける。楽しいうちは決して手放さない。手放したら遊べないから。そんな事は退屈でしかないから。


 その後もウツロの遊びは盗賊が死ぬまで続き、そして十分程経ってようやく、


「ふふ、お疲れ。なかなか有意義な実験だったよ」


 ウツロは立ち上がり、ズボンのポケットをまさぐり盗賊が気絶している間に折った数羽の折り鶴を取り出し、


 「協力に感謝するよ、盗賊君」


 全身の色々な部位が溶かされた亡骸の上へとその鶴を撒いた。


 「さて、そろそろ道を探すとしようかな」


 そしてそのまま亡骸を放置し、まるで何事も無かったかのように広い草原を再び歩き出したのだった。



***



 その数時間後、溶けた盗賊の死体の周りには何人もの騎士甲冑を着込んだ者達が立っていた。

 有るものはヘルムを脱いで嘔吐し、ある者は遠くへと逃げ出した。

 誰もが気分を悪くして、顔をしかめる。その中で一人だけ、盗賊の亡骸へと手を伸ばす青年がいた。


「相手が盗賊とはいえ…ここまでやるのか」


 青年の名はグラム。グラム・アプシュル。

 甲冑の者達の中で唯一ヘルムを被っておらず、深海のような深い青色の髪と瞳、男女問わず見惚れさせるような整った中性的な顔立ちがトレードマークの若き騎士であり、多くの騎士を束ねる天才将軍。それがこのグラムという男だった。


「グラム将軍…コレをどう思いますか? 」


「犯人とか手段は分からないけど、もしコレが人間の仕業なら…ソイツはもう、人としての感情を持っていない…そう言い切っていいと思うよ」


 隣に立つ女性騎士に端的に述べながら、最後にグラムは亡骸に乗った折り鶴を一羽持ち上げ、


「それに、もし犯人が人間なら…僕はソイツを必ず裁く…罪人とはいえ、こんな裁き方は間違ってるし、こんな殺しが出来る人間を許していいわけがない! 」


 誰よりも強い正義心と優しさ、そして平和への夢を込めて、


「犯人は僕が必ず……裁く! 」


 折り鶴を強く握り潰した。

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