レジスト・ジェントルネス

深恵 遊子

卵焼き

——その日は唐突に訪れた。


シン、とした沈黙を突き破るようにサイレンが鳴る。くぁんと甲高くスピーカーが春の空に鳴いて、


『……国民の皆様に、政府からお知らせです』


輪唱のように言葉が繰り返されている。


『……修文三十年十月二日公布の通り……青少年……保護法が……本日安久元年四月二日午前十時より……施行されます』


周りが騒がしくなる。装甲車が街中を走っている。まるで今から物騒なことが始まるかのように。

装甲車を乗り回すのは見たこともない黒い制服の人たちが乗っている。


『……全ての国民は、わいせつ物を放棄し……』


その人たちは各々の持ち場について銃に弾を込めたり、なにやらドラム缶を用意したりし始める。


『……そのすべてを焚いてください……』


彼らの奥には仰々しい機械を整備する男性の姿もあった。


『……抵抗が見られた場合……』


そして、隊列を組み始め、


『……同法十三条二の項に従い……』


—— 一斉に銃を構えた。


『……該当者の殺害が……許可されます……』


優しい世界は硝煙の喉がひりつく刺激、石油の脳が溶けそうになる感覚、生臭い錆びた鉄の匂いと共にもたらされた。




「——なあ、鴨川」


窓の外を見ながら巧が俺に話しかける。やたら気の無い言葉は遠くに意識が飛んでいるようで。


「どうした? 言っとくけど海にはもう行かないぞ。あの後、セイホホー職員がやってきて酷い目にあっただろう」

「いや、今度は海じゃねえよ」

「じゃあ、なんだよ」


巧はリュックからフライパン、カセットコンロ、と大量の道具を取り出していく。


「料理しようぜ!」


そう言うすがすがしい顔をした男の顔面をぶん殴る。


「お前、思春期男子から料理すら奪っていくつもりか!?」


俺たちのいる部屋には日焼けボロボロになった青少年保護法反対の幟が掲げられている。そして、本棚には焚書されたはずの・・・・・・・数多のポルノ作品が陳列されていた。



青少年保護法が施行されてから思春期男子は《優しいモノ》での自慰行為が推奨された。

反抗するものには死。

そんな状況で否と言うものはいなかった。


最初は同じ施設で学習をしている女性の写真などを配っていたらしい。確か学術用語ではクラス写真。女性で抜いていたのが大半だったと聞く。


しかし、政府が世論を吸い上げるために行った全国民意識調査により一つの結論に至った。


「男性にとって女性は《優しくない》。これを以って青少年保護法に従い青少年の異性との接触を規制する」


あらゆる方法での女性との接触を絶たれた若き男性たちは嘆き、苦しんだ。

「そんなのあんまりだ」、「そんなの間違っている」。色々紛糾していたが決定が覆ることはなかった。

諦めかけていた男たちだったが一つの世論がそれを解決する。


——普通に政府認定の《優しいもの》で抜いてればいいんじゃね?


穏健派は《優しいもの》でも意外と抜けるからいっかと諦め、過激派は《優しいもの》の優しさを否定し《優しいもの》制度を潰すためにあえて一度その制度を肯定した。


過激派はドンドンと《優しいもの》を官能的に妄想し、《優しくないもの》認定をさせるため行動する。

最近で言うと「海はアミノ酸含まれてるんだから実質女体」と語り国中で海に入るだけで果てる男が続出したことが有名だろう。

その後青少年の海への立ち入りの一切が禁止されたのは余談だ。


閑話休題。

その事態を重く見た政府高官と《優しいもの》穏健派は《優しいもの》が《優しくない》認定される現象を止めるためとある研究者にとあることを依頼した。

過激派が《優しいもの》を見ても異常な興奮を覚えない方法の研究だ。その研究者は多くの活動家と話し、報告書を提出した。


すなわち、過激派は旧時代的な猥褻物を見ると興奮しなくなる。


その研究結果は全国で共有され、全国的にこの臨床が行われている。

俺が町川まちかわたくみと生活しているのもその一環だ。


「なあ、見てみろよ鴨川!」

そう言う町川の手には綺麗に焼けた卵焼きと擦られ続けるさむすぃん。

ガッチガチのイチモツは今にもはちきれそう。同時に料理の《優しいもの》認定取り消しの危機である。

この臨床では常に俺たちの様子は監視されている。もし、こんな流れで致していたことが判明してしまえば料理の《優しさ》が否定されてしまう。


「綺麗にできたな」

「トロトロ溢れそうな卵液がそそるよな」

「ああ、美味しそうだ」

「焼ける匂いだけで絶頂しちまいそうだぜ」


冷静に返しながら俺は本棚に向かう。その中の一冊を適当に抜き取って、パラパラめくる。

粘液を垂れ流すうどんのような赤茶色の何かが女性に絡みついている。それらに触れるたび気持ちいいと女性が叫んでるのが印象的だ。


「これでいいか」


俺はそれを巧の顔の前で広げる。


変化は一瞬だった。

赤くすらあった巧の顔は土気色を通り越しどす黒くなる。

そのままリバース。おったっていた彼のモノも萎んでいる。


「……なんてことを……なんてもの見せやがる……『かわいそうなのはえぬじー』だってあれほど言っただろうが…………」


まだ口にはしてなかったのか出てくるのは胃液だけだ。

これでたった一人の異常な興奮により《優しいもの》認定が取り消される事態にならずに済んだ。


「……正義は勝つ」


——これは《優しいモノ》を巡る町川と俺の静かな戦いの記録である。

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