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「これはただの夫婦喧嘩だよ。礼は私を訴えたりはしない。礼、私と別れたい理由は、この男が原因なんだろう。こんな男とお前は浮気をしたのか?」


「……違います。彼は空の家庭教師。空にとって、彼は大切な家庭教師の先生なの。お願い、西本さんやめて。これはただの夫婦喧嘩なのよ。だから主人と争うのはやめて!」


 礼さんの涙に、俺は振り上げていた拳を下ろした。それでもまだ俺の拳は怒りで震えている。


「これでわかったかね。これは我々夫婦の問題だ。他人の出る幕じゃない。今日は帰ってくれ。それが出来ないなら、今後一切この家に立ち入らないでくれ」


 俺は礼さんに視線を移す。彼女の憔悴した姿に胸が痛くなった。今後一切立ち入るなと言われてしまったら、俺にはどうすることも出来ない。


「待って!西本先生帰らないで!」


 いつの間にか二階から下りてきた空が、リビングのドアの外に立っていた。


「西本先生、あたしの部屋に上がって下さい。解らない問題があるの。定期試験が近いし、お願いします。あたしに勉強を教えて下さい」


 空はそう言うと、父親を睨んだ。


「パパ、今日は家庭教師の日なのよ。勉強の邪魔はしないで。パパが礼に乱暴したり、西本先生をクビにしたら、あたし家出するから。西本先生、行きましょう」


 空に促され俺はリビングを出る。ドアが閉まる直前、礼さんに視線を移した。

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