お隣のお姉さん
第22話 愛花と発車のベル
皆、カレーライスを平らげて、かなりお腹一杯だ。愛花さんと俺は、これからのことを決めてから、黒屋敷を後にしたいと思っている。つまりは、雪のことだ。洗い物が終わると、先程の部屋へ寄った。雪が草間教授へ詰め寄っている。手にはあの手紙の束があるが、何かあったか。
「 草間教授、お手紙をよくご覧になって。一通につき、一万円が可愛いポチ袋に入れて贈られています」
雪が、封筒を逆さにして振る。
「何だ、雪? 一万円だと? アイツには、十分なお金を与えていなかったのだがな」
「アイツとは、小さい頃、育ててくれたお母さんですか?」
愛花さんが、素早く突っ込みを入れる。
「アイツ――? 内縁の奥様ですか?」
「皆月くんも突っ込むね」
東雲教授は、気まずそうにしている。
「そういうことだ。随分と工面したのか……。それしか考えられない。
「女史とは、ゼミと何か関係があるのでしょうか?」
俺の質問には、隠すこともなかったようだ。食後のコーヒーを雪に頼んでいる。
「ああ、助手だったよ」
「そこまでの人が、いつの日か、教授と共に暮らしていたのですね」
愛花さんにも正直になっている。
「起床してもベッドメイキングをしても町屋敷七重女史。よく働く人だった。そのお陰もあり、自分で自分のことをする時間が沢山できたので、本でもと書いてみたよ。『見たことのある小説』だ。その装丁をしてくれたのも彼女だ」
カレーライスで、気持ちもほぐれてくれたかな?
「雪は、知りませんでした」
「雪は、学ぶならば、美術史を扱うところが合っていると思ったからだよ」
コーヒーはオアツイのがお好きな教授だったな。もう飲んでいる。
「どうしてですか? 草間教授」
「町屋敷女史が、画家だったからさ。その血でかな」
猫舌雪のコーヒーが終わるのを待った。今は、育ての父と他愛もない話をしている。雪にとって、大切な時間なのだろう。
「思い出しました。草間教授は、いつでもスケッチブックだけは沢山買ってくれました」
「表のあることは裏もある。分かるか……」
雪が、コーヒーがまだ熱いと涙する。笑いをこらえるのが難しかった。
◇◇◇
「――どうやら、長居したみたいね。そろそろ、佐原荘へ帰るわ」
愛花さんに続いて、俺も門扉へと向かう。東雲教授は、特に見送りしないようだ。だが、ここで、雪の一刺しがあった。
「今日は、私も伺っていいですか? 草間教授」
トンと杖を一つ。頷いた後、俺達の知らない奥の部屋へと引き込まれた。幾分か足を引きずっているので、老いを感じた。教授は幾つなのだろうか。
俺達の移動には、タクシーを使った。前に愛花さん、後ろに雪と俺が乗った。タクシーだと迷うことなくあっと言う間に案内された。料金もお安い。
愛花さんは、雪さんもいたのでリビングへ通した。百合子お母さんの窓辺の席があるところだ。
「――こちらが、佐原荘です! ただいま! お父さん。お母さんもね」
元気だな、愛花さん。
「お母さんもおいでなのですね」
雪さんの質問にどきっとした。
中から、ほとほとと現れてきたのは、佐原玲祐お父さんと俺の皆月綾乃母さん……。そして、見たことのないお年頃な女性。母さんと年頃は同じか。
「今日は、カレーライスはないからね、お父さん」
「ははは。愛花は、買い物だけして、拵えてくれないのか」
愛花さんは、本当にお父さんも大好きなんだなあ。
「母さん、いつ、こっちへ?」
「さっきよ」
久し振りの母親ってものは、無駄に恥ずかしい。
「大人の返事だな。母さん」
「ゆ、ゆゆゆゆ、雪です。初めまして、皆さん」
緊張が目に見えて分かる雪は、ぺこっと頭を下げたまま、氷になってしまった。
雪は、初めて会う皆に歓迎されていた。これが雪か、この子が雪か、可愛いじゃないかと。
「今、我々で話し合ったことなのだが、皆、明朝発の電車で、皆月さんのお宅へ参るからな」
「お父さん!」
「玲祐お父さん」
「この度のことで、神奈川から来てくださった町屋敷七重さんだ」
「……この方が、私が小さいときのお母さんですか?」
雪が、それ以上の言葉を失ってしまった。無理もない。
「町屋敷さんについては、道中、ゆっくり話すがいいよ。雪さん。それに、綾乃さんについてもね。きっと、落ち着くと思う。そんな旅にしたい」
俺も微力ながら応援しているよと呟いた。
今日のお客様、町屋敷さん、綾乃母さん、雪は、二〇三号室に布団を敷いた。ふかふかの布団のようだった。何か違わないかな。俺はせんべい布団じゃないかと。
俺は、疲れ果てて寝ていた。けれども、鍵を掛けなくても、愛花さんは一緒の布団に潜り込みはしなかった。それに徘徊もなかったようだ。
実にいい傾向だと、安心したよ。
愛情ってさ、人をこんな風に思い遣れることなのかな……。
◇◇◇
――弘前ー。弘前。
駅のアナウンスが響く。
発車のベルを胸に抱いた。
俺達は、栃木までの長旅をすることとなる。
赤いシートがすこぶるいい。二人掛けの席で移動する。
「駿くん、お席お隣だねー」
ぐ、うおっほん。
二人の邪魔になるから、持ってきたギターは窓辺にね。
「愛花さん、皆が見ているって」
「皆って?」
口を尖らせて可愛くしたってダメですよ。
「玲祐お父さんに、うちの母さん、雪。そして、百合子お母さんのお写真がだろう?」
「じゃあ、尚更、愛花のお玉ダンスお披露目タイムじゃない?」
胸元から、アレを取り出しながら立ち上がった愛花さんを引きとめる。
「や、や、やめよう」
「いいじゃん。他に人いないし」
ピンクのミニお玉が出番を待っている。
「少ないだけで、いることはいるんだよ。多分」
「へーほーふーん」
視線が痛いからやめましょう。
可愛く咲いた花が、ぷんぷんと首を横に振る。
「これをすると、元気に百合子お母さんとも料理や恋の話ができたりするの」
お玉を三度高く振った。
「おっ玉で、おっ玉で、キンコンカーン! はーい。下宿屋佐原荘ラブリー十時のおやつですよ」
栃木への旅なのにサーターアンダギーもあったが、そこは、ご愛敬ということで。
うまうま。
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