第18話 愛花の女神の決意

 ――後日、黒屋敷へと向かった。


 愛花さんは、花柄のトートバッグとハート柄のショルダーバッグに、ベージュの襟元から裾にボタンの並んだワンピースで、はち切れそうなバストが目立つ。ウエストをマークするベルトが、線の細さを強調している。流石だ、愛花さん。推定Fカップが、確実となっている。


 だあ! 何考えているんだ。


「かなり重そうなのですが。一つでも持つよ。愛花さん」


 けれども、「大丈夫」の一点張りが返ってくる。いつも無理している愛花さんを心配してばかりだ。俺って、情けないな。共に生きることを考えたい。


「ごめん。俺だけ、リュック一つとは、軽装な感じがするな」


 黒いリュック。それに、今日は、真面目モードの白いシャツに黒いパンツ。ちょっと、高校生みたいで嫌だが、きちんとしないと。


「謝る必要はないよ。雪さんの大切なものが入っているのでしょう」


 そうだ。雪の大切なもの。俺だって驚いたさ。

 あんなに、東雲教授に対して恐怖なのかコンタクトを取ろうとしなかった綾乃母さんが動いたんだ。


「――それで、最近のゼミでの様子なんだが、聞いてくれる?」

「教えて欲しいくらいだよ」


 俺達は、道々話した。


「フォレストランドで会ったときは、雪は雅也と付き合っていたじゃないか」

「うん、駿くんは、ショックを受けていたね」


 雅也が雪に関心を寄せていたのは分かっていた。けれども、それは、雪の妖精と見まごう容貌に惚れたのかと思っていた。透けるような肌にいつも白いワンピースだったしな。


「ちょっと前、ゼミが終わった後、大学の学部掲示板前で、雅也と雪は別れると喧嘩していたんだ。屋外だから、大きく響いていた。雅也がうるさく泣いていて、話はバレバレでさ、俺が恥ずかしかったな。チャラチャラと軽い関係だったみたいだから、雪は愛されずに、危険な日もあったようだよ」

「あれま。チュウまでしていたのに、簡単にサヨウナラになるんだね。そうしたら、雪さん、心の居所がなくなってしまうじゃない」


 そうだ。愛花さんは、俺よりお姉さんだが、キッスはしたのかな? 藪蛇だから、耳を塞いでおこう。


「そこで、自分の家かと思うだろう? 三年前のことで知らなかったんだが、草間東雲教授が、雪をこのゼミにおいていたらしい。だが、女には学がいらないと、進学は禁止され、雪もおかんむりだ。それ以来、雪と、仮の父親である東雲は仲が険悪になったんだと。ふう。東雲教授が反抗期になったかのようだよ。殆ど誰とも喋らなくなった」

「駿くんの卒業についても、何にも言われないものね」


 それには、ぐうの音も出ない。もう、中退でいいし。大好きな小説を趣味の範囲で書くのには、いい学校だった。おしまい。


「元々、黒屋敷の家には雪の本当の母親もいない。綾乃母さんがね。タイミングが悪く、仕事で、雪の面倒をみていた黒屋敷の女達は、外へ出されてしまった」

「駿くん、典型的な反抗期じゃない? 東雲教授が。いくつになってもかな」


 俺は、こくこくと頷く。反抗期、ドンピシャだ。


「そんなんで、雪も面白くないから、ちょいと男でもと雅也と遊び始めたって、掲示板前の大喧嘩の内容で分かったよ。結果、どろどろの人間関係のときもあった。だから、優しくない雅也と別れたんだろう」


 俺の気持ちは、雪への純粋な同情じゃない。侮蔑も入っている。そんな気持ちは、しまっておかないと。


「雪は、もう居場所がない……。だから、可哀想なんだ。愛花さん」


 愛花さんと俺で何とかするんだ!


「愛花さんと俺で、がんばって、雪姉さんと暮らしたいと訴えれば、心が揺れるかな?」


 ◇◇◇


「で、今回の作戦だ。昨日の打合せ通りで雪を東雲教授から奪い返す! 駿くん」

「まあ、落ち着いて。穏便にいきましょう……。それは、俺にも言えることなんだけれども」


 じっとりと掌に汗を掻いていた。愛花さんは、額に汗が認められる。


「ここは、『たのもう』とチャイム、どっちがいい?」

「私なら、チャイムです」


 向こうから、「はい、草間です」と名乗った。


「雪のことは、手紙で知っているよ」


 俺は、声の主が雪だと知る。


「手紙? 私に?」

「いや、雪からなんだ」


 インターフォンから、雪を引き離したくなく、必死になる。


「手紙は、雪の言葉を東雲教授のところで働いている女性が代筆したものだったよ。それに加えて、とにかく、幼い雪への扱いが悪い。何も知らない雪が、それを父と思っているのが不遇だと思う。そう書かれていたよ」


 インターフォンが切れる音がした。ああ、ダメだ。これじゃあ、ダメなんだよ。


「駿くん、ファイトだよ! 私の出番がまだじゃない」


 再びチャイムを鳴らす。


「はい……」


 誰もいないのか、雪ばかりが出るな。


「私、佐原愛花です。フォレストランドでお目に掛かった。話があるの。切らないで聞いてください」


 ん? ガサガサと音がたつな。


「ああ、草間東雲だ。門を開けるから、入り給え。恥を晒すでない」


 いつもの東雲教授が黙って門扉をオートで開けてくれた。俺は二度目になるが、変わらなさにビビる。中は、さながら、西洋の名作に登場するよな、定番の洋館だった。骨董が並ぶ長い廊下から、リビングへといく。


「ああ、雪。コーヒーなどは、結構だ」


 ――四人が揃った。愛花さん、俺、東雲教授、雪だ。


「どうして、雪さんを連れ去ったのですか?」


 愛花さんと俺は同時に伺った。

 

「雪を連れ去ったときか? 綾乃を振ったばかりだったんだ。直ぐにあてつけるように若い皆月大和と交際を始めただろう。彼らへの嫉妬が高まっていた。自分はもう子どもを望むのが難しくなっていたと言うのもある。その後に産まれた雪は、絶対に自分の子どもだと思っている。今でもだ」

「病気だったのですか? 雪さんは、皆月家の長女ですよね」


 愛花さんが、さっと正した。


「失敬な! 何の病気だ。弘前で赤子のいる生活をしていたら、面白くなかったがな。それは、頭痛程度だ」

「それは、東雲教授が、可愛がらなかったからでは?」

「愛花さん! 慎重にいきましょうよ」


 広いリビングが、段々と壁が迫ってくる錯覚を覚える。


「自分は、それでも雪を手放しやしない。ここに飾っておくんだ。分かったら、帰ってくれ。二人とも」

「帰りませんよ。雪さんの幸せを確立するまでは。少なくとも私は」


 愛花さん、強気に出たな。


「どのようにだ?」

「いい物件がありますよ、東雲教授。そこに雪さんを住まわせてやってください」


「住民票はうつすな。結婚相手は見せろ! 愚か者が」


 思った通りだ。「住民票はうつすな。結婚相手は見せろ」ぐらいは言ってくるとね。


「それは、雪さんの幸せに繋がりますか?」


 愛花さんが、身を乗り出して訊く。


「草間東雲、長年父をしてきた。雪を簡単には手放せないが」


 草間教授が珍しく、膝の前で組んだ手を震わせている。


「飼い続けていることが、雪さんへの幸せですか?」


 雪が身を凍らせているのに、愛花さんは、春の女神だ。美しさに毅然としたつよさを兼ね備えている。


「幸せについて、考えましょう――」


 愛花さんが、強い決意をしたのが、この場でしんと響いた。

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