雪姉さんよ
第17話 愛花と幸せに黒屋敷の陰
愛花さんは、お父さんの朝刊をアイロンで綺麗にして渡す。いつものことと、朝のお父様スマイルでお返事をなさる。
「お父さん、白百合にお水をあげてくれた? もう、恋しくって、恋しくって」
「愛花、恋しい相手を間違えているだろう」
え? それって、俺かな。自意識過剰でいい筈。
愛花さんは、乾燥ワカメを水で戻した。んー、お味噌汁の気配。
「間違えないで、お布団に入ったもん」
「布団?」
んがー! 何てことを。再び仁王立ちされたら、困るでしょう。
あっと言う間に、お豆腐とワカメのお味噌汁ができました。ちなみにお味噌は、自家製ですぜ。
「枕が一個しかなくって、寝違えるかと思った。私のフリルの枕を忘れちゃって」
「どうれ、お父さんがみようか。二階へ行くよ、駿くん」
俺は、ぶんぶんと首を横に振った。絶対に嫌だ。なのに、何故、喜々としておられますか、お父さん。
愛花さんは、先程の鮭の焼け具合をみている。いい朝ごはんになりそうだなあ。
「枕は、子どもの頃からのキャラクターものなんです。恥ずかしいから、勘弁してくださいよ」
「……枕は、あったのよ。お願いしたら、出てきたから、大丈夫なの」
「どんな枕かいの、愛花」
腕枕だなんて、ばらすなよ。ばらしたら、お婿さんになれないんだから。
それに、ハートの目玉焼きもつけて、味海苔と納豆にほかほかご飯。愛花さんの朝ごはんのできあがり。
「おっ玉で、おっ玉で、キンコンカーン! はーい。下宿屋佐原荘ラブリー朝ごはんですよ」
お茶目に、ピンクのお玉を振る愛花さん。キミの笑顔が一番なんだ――。
思わず、うるうるとハッピーエプロン愛花さんを胸に刻み込む。
「一つ屋根の下は、下宿だからよかろう。一つ布団の中は、お父さんには、厳しいな……」
しわぶきを一つ。お小言だよな。
「はい。仰る通りでして」
「ほはんがはめはいうちに、ほうほ」
愛花さん、それってズレてる。は! 愛花さん語がストレートに分かる耳になった?
「これ、愛花、食べながら話すでない」
「ご飯が冷めない内に、どうぞ」
ラブリー朝ごはんの心が冷めていくのは、俺だけだな。気まずいです、玲祐お父さん。ウインクしている場合じゃないぞ、愛花さん。
◇◇◇
――暫くは、佐原荘で好きな小説を書いたり、愛花さんの家事をお手伝いしたりしていた。
こんな形の幸せもいい。何でもかんでも、ラブリーなので、もう餃子のお目目もない。
愛花さんって逞しい感じもするけれども、か弱い面もある。お母さんの百合子さんを亡くしたこと。誰だってショックだよな。それで、名前から白百合を集めたり、裸で纏うハッピーエプロンは、お母さんのものだったりしている。
そんなことを思いながら、ちゃぶ台に原稿用紙のノートを開いて、筆を進めていく。2Bのシャープペンシルだが。まあ、筆かも。
ベランダから、二〇二号室に声が掛かる。
「駿くん」
「何、愛花さん」
艶っぽいリップで名を口にされましても。えっと、えっと。
「呼んだだけよ」
「鼻血ものですが」
恋って恥ずかしいの連続なのだろか。書きかけの小説をちゃぶ台脇の二段ラックにしまった。ノートで数冊くらいにはなったな。アナログがいけないのか、それがいいのか。
「ねえ、小説を読ませて」
「愛花さんには、一番にだよ。ただ、完成してからだね」
俺が、ベランダに上がる。ギシッと踏みしめ、手摺へいくと、景色が一変した。赤い橋も見える。天守閣も残されている。何より、葉桜になっても、桜は桜だ。お堀へ向かって姿見にして、ゆらゆらと風に任せている。こんな城址公園が、俺の大好きスポットだ。
「留年しない?」
「まあ、色々」
風に梳かれる髪から、フラワーコンディショナーの香りがするのか? いや、これは、お父さんの部屋にある白百合の香りだ。きっと、部屋で瞑想することもあるのだろう。
ここで、ここで、愛花さんの肩を抱けたならいいのに。手も繋げやしないよ。
「なあ、あの城址公園、綺麗だな……」
「今度は、お弁当デートだね」
愛花さんのスカッとした微笑みと香りが俺を悩殺する。
「是非、アメリカンチェリーを入れてください。それから、アスパラベーコン玉子も大好きなんです」
「ん――。OK、OKだよ!」
◇◇◇
本当に、公園デートになったよ。
保冷トートバッグに、お楽しみが沢山詰まっている。金なら一枚って感じで、万歳したいが、鼻の下が伸びるのをこらえなければならない。
佐原荘の坂の上から、どこへ行くにも下り道だ。人生を誤って下るのでは、やっていられないがな。
「この道って、ちょっと嫌なんだよな。ふう……。Fカップで癒してちょーよ」
ミニお玉を出して、フリフリした。身長の差があるのに、俺の後頭部を抱えて、胸の谷間に埋めてくれた。たまさかのFカップ。こんなに息苦しいものだとは、経験しないと分からないな。
ぽふぽふと頭を叩いた後、俺を解放してくれた。してやったりな顔の愛花さんが、向かえてくれた。
「それでさ、この道が好きじゃないって、大学の近くだからかな?」
ドギューン、図星だし。
「そう。ゼミの草間東雲教授の家も近いんだよ」
「気まずいのね」
今、愛花さんの前でも、渋い感じだって。話しておくか。
「教授のお館、黒屋敷と呼ばれているんだ。大理石をふんだんに使って、何かが巣くっているかのような……。コウモリでも出そうな洋館だな」
俺は、一度だけ訪れたことがある。勿論、忘れ物を探しに。
「うん、そこに、雪さんがいるの? 私は、会ってご用があるんだ」
心臓が跳ねた。拍動が自分でも聞こえる。
「雪が。草間雪ならいるよ。皆月雪を探しているんだがな」
遠い目をしてみる。
「何その意地悪な言い方。仲良くしなさいよ」
「はい……」
暗く返事をしたのは、尻に敷かれた訳ではない。俺が気落ちし、俯いて歩くと、即、肩を揺すられて前を向かされた。
「俺、本当は、雪を呼び捨てではなく、雪姉さんと呼びたいんだ。だけど、あんなにチャラチャラして、雅也なんかと付き合って。どうしたら、仲良くなれるかなんて、全く分からない」
お玉フリフリをして。くるくるくるっといい案が出たのかな?
「んー。私なら、ちょっとアイデアがあるよ」
「愛花さん! どんな?」
「私ならよ。今日の城址公園おデートが終わってから、支度しよう。ね、駿くん!」
心強い、Fカップお玉ちゃんだな。
俺もがんばらないと。
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