第13話 愛花の赤ちゃん雪の降る日
料亭の
芝生の中に飛び石がある。快適に跳ねている愛花さんに比して、間接キッスでまだ胸一杯の俺がいる。
「おっと」
男の脳になっていた俺は、芝生を踏みしめてしまった。庭園灯を頼って、愛花さんの後ろにつけると、もう、料亭の小豆に染めた和服が待っていた。
一間の玄関に入ると、笑顔の小豆色がさっと並んでお辞儀をしてくれた。織部色のお太鼓が皆、美しい。履物を預かってくれると言うが、俺は恥ずかしくもスニーカーだった。雅也だったら革靴だろうな。でも、スニーカーだって、愛花さんが洗ってくれたから、白がよみがえっているんだ。いいだろう。雪が洗い物なんかするか?
「ああ。どうも」
慣れない場に声もうわずる。緊張するから、案内してくれる方の織部色ばかりを見ていた。後ろから、愛花さんが続く。裸エプロンではない、ゴヤ作、着衣のマハもお好みであるぞ。今日は、無茶苦茶可愛いふりっとしたリバティ柄のワンピースに白いカーディガン。カチューシャも白だ。だから、さっき、女神様かと思ったのかな。
「駿くん、大丈夫かな」
俺の顔の前で、手をひらひらとさせた。む? よく目を凝らしたら、ミニお玉を持っている。何の自己主張だ?
「ああ! ちょっと俺、妄想モードだったよ。ごめん」
「ぼーっとしていると、柱にぶつかるよ」
そうですね。頭を掻いてごまかすしかないな。しかし、ウインク返しか。返球に間に合わなかったぜ。
天井からおおきな和紙の明りが垂れ下がる。よくできた球体だ。
椅子席もあったのだが、愛花さんが、膝を伸ばしたいだろうと思って、座敷にした。
「燦季のお食事のあと、ここの名物、足湯に浸ってみるか」
「うん、いいね!」
よっしゃあ! 成功したと思うぞな。
「あれ? 俺って、愛花さんの一喜一憂に一喜一憂してないか? これってシンクロじゃないか……!」
「出た! 中二病。あははは」
ああ、オレンジの瞳の最高に可愛い愛花さんに戻った。俺でも人を明るくできるんだ。
「いたた。中二病だなんて痛いですよ。俺は、大学生ですよ。お助けを――」
俺の趣味の一つに、読書がある。何でもあさるタイプだ。中二病というかオタクというか、振り返ってもさほどでもないと思うのだが。
「まあ、オタクは嫌かな。あんなに不純じゃない」
「不純と決めつけるのは、感心しないな」
再び、考える皆月駿になっている。
「そうか……」
人の話も聞かないとな。
磨き抜かれた廊下を案内され、朱鷺とある部屋に入る。
灯篭が花々を照らす中庭を木枠の窓越しに見る。なかなかいい席につく。掛け軸に牡丹の花があり、部屋にも花の呼気が立ち込めるかのようだ。
「今日は、色々と珍しいものばかりだな」
「そうだね。駿くんのお陰だよ」
待つ間にほうじ茶をいただいた。
「運転してくれたのは、愛花さんじゃないか」
「上手だな、駿くん」
口を突き出している。か、可愛い。この人をもしもお嫁さんにしたのなら、絶対に幸せにしたい。ちょっと青かったか。
いや、それよりもさ、俺は男だと思いながら、赤面してはいないかと懸念した。可愛い愛花さんの前で、鼻の下がむずむずする。まさか、伸びるのでは!
お料理が運ばれてくる。
「いいね。美味しそう。私の好みにピッタリだよ」
「テレパシーがあるのですよ。俺達」
二人で、ほっこりと鍋を囲んだ。燦季ご自慢の鍋物らしい。
「こういうのを洗練されているというんだろうね。俺の母さんが作るのとは、違うものだなと思ったよ。綾乃母さんは、嫁いだお陰で、土地のしもつかれも作れるようになったんだ」
「私は、しもつかれをまだ拵えたことがないよね」
「無理しなくていいんだよ」
「そう?」
「愛花さんのお母さん、百合子さん……。故人を偲ぶが、はたはた寿司は甘酸っぱくて、俺があまりにも旨いしか言わなかったよな。だからか、何層にも重なったはたはた寿司をタッパーに入れて渡してくれたっけ。大和父さんも目を細めていたよ」
もっと、愛花さんが鍋奉行をはっちゃけてするのかと思ったら、俺のせいか静かになってしまった。場所柄を考えてかな。
「駿くん、何か様子がおかしいよ。どうしたの?」
「あ、いやあ、まあ。図星ですが」
切り出しやすくなった。言い淀んでいては、変に誤解されそうだ。はっきりと、毅然とするんだ。
「雪のことで、話があるんだ」
「うん。何かそんな気がしていたよ」
俺達は、折角の鍋の前で、静かになりすぎた。出汁のいい香りがする。煮えすぎている具もありそうだ。何せかくれんぼが好きみたいだから。
「どこから話したらいいのかな?」
「無理しないで」
牡蠣など直ぐに縮んでしまいそうだよな。話が終わってから、とろっと鍋に浸かった牡蠣をいただこう。愛花さんとだ。
「雪は、皆月雪として産まれたんだ」
「皆月――。駿くんの兄妹なの?」
俺は下を向いていたが、真っ直ぐに顔を上げて力を込めた。
「そして、草間東雲と名乗る男に、急に連れ去られた」
◇◇◇
これは後に知ったことだ――。
庭の根雪も融け始めた頃だったが、ちらりちらと赤ちゃん雪が降り出してきた。
「お洗濯物が心配ね。ね、雪ちゃん」
冬生まれの雪は、まだミルクを欲している。母さんが、せわしなくお世話をしては、愛しい娘を可愛いがっていたという。
唐突に、知らない男が、玄関から上がり、激しい権幕をみせた。
「――この子は、草間雪だ!」
母さんは、雪を胸に抱いた。大人の荒々しさに、雪も泣き出す始末だったらしい。
「どうして、そうなるのですか? 私の可愛い娘です」
悲鳴に近く泣く雪をよそに、草間と名乗る男が、強奪した。
「草間家の娘、雪として、預からせてもらう」
「そんな気持ちで育てないでください。雪はまだミルクも終わっておりません。母の胸元も必要な時期なのです」
母さんは、力ずくで奪えない人だ。両手を広げ、雪を返してと示す。母の言葉でも分かって欲しかった。
「草間家の下女にやらせる」
「無茶苦茶を言っています。夫に電話しますよ。直ぐに帰ってきますから、待っていてください」
電話に視線を送った瞬間、誘拐犯は、捨て台詞を吐いた。
「草間家は短気と決まっておりましてね。おさらばです」
急いで飛び出し、車のエンジンをふかす音がする。
「ゆ、雪――。ママの所に、帰ってきて! お願い、雪! 雪! 雪……!」
「ふうぎゃあ! ふぎゃあ……!」
離れていても、母さんには、泣き声が聞こえたらしい。
それが、珍しく雪の降る日だったという……。
「雪は、俺の姉さんかも知れない。三つは年上だと思う」
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