第12話 愛花と旅路の夢

 クラウンは帰り道を飛ばさなかった。


 愛花さんは、俺の名を優しく呼んでくれた。同じ駿でもとてもあたたかく感じる。もう、貝塚雅也と決別してしまった。気軽に雅也とは口にしたくない。雪とはどうしたらいいのか、一番分からなくなっているのは、俺自身だ。簡単に切れない縁がある。


「駿くん、車酔いした?」


 ちらりと俺に目をやると、再び前を向いてゆるいカーブを曲がった。


「愛花さん。大丈夫、観覧車酔いかも知れないよ。俺、下戸だから」

「下戸は関係ないと思うけれども。ゆっくり車で休んで」


 思えば、気を遣っているのか、愛花さんの底抜けの明るさがない。俺もフォローしないと。


「お玉はフリフリしないの?」

「料亭で、鍋奉行してあげるから。マイお玉は使わないと思う」


 墓穴を掘ったか? 何だか彼女の背後にぼうっとしたパンダが立っていますよ。何としてもフォローだ。


「愛花さんの鍋奉行! 楽しみにしています」

「ええー。鍋のあるお料理をいただけるのかな?  旬じゃないけれども、私は海のミルクが好き」


 助手席の俺からも分かる。愛花さんのオーラがビビッドピンクに近付いた。


「詩人だね、愛花さん。一度、生牡蠣をいただいたことがあるんだ。レモンを添えて、とても美味しくいただきました! 頼めたらいいね」


 微笑んでくれた! やった! 俺だってできるよ。


「俺、茶わん蒸しが大好きって知っているでしょう? 銀杏が入っている方に俺はかけるよ」

「あれ? こっちへきて、栗もいいねとほおばったのは、駿くんじゃなかったっけ?」


 俺は、こくこくと首を縦に振りまくりだ。元気な愛花さんが大好きだ――。ああ、大好きなんて思っただけで、隣のシートがほかほかに感じられる。


 そうして、ゆっくりドライブを続けていく。

 途中、道の駅に寄った。


「私、あそこでエスプレッソを買ってくるから、駿くんは何がいい?」


 俺は、シートを倒して、一息つく。


「俺は、いいよ。ちょっと休んでいる。ごめんな」

「OK、OKだよ」


 ◇◇◇


 ……思い出すのは、皆月の両親のことだ。水色の親子のイラストが描かれた母子手帳を知ったのは。三歳の頃に母さんの膝で開いてもらった。


「駿ちゃん、ママまで、あんよでおいで」


 俺は、お菓子か玩具かと思った。足が弱かったので、ハイハイばかりしていた。母さんにとっては、たまにするつかまり立ちも嬉しかったのだろう。


「はい、ママと駿ちゃんの抱っこしている絵があるね。見て、表紙にお名前がありますよ。漢字で、皆月駿ちゃんです。駿ちゃんのお名前に、優れた人とかの意味もあるけれども、ママは無理しなくてもいいと思うの」


 母親は、こんな小さな子に母子手帳を見せるものだろうか。母さんなりのメッセージがあったのだろう。


「駿ちゃんは、お腹にいるときから、ずっとずっと大切だったわ」


 俺の写真が小さく何枚も貼ってあった。よく分からない白黒の写真も両親が赤ちゃんを抱えたきらきらのプリクラもね。俺は目を奪われていた。


「駿ちゃんが生後三か月の頃、熱性けいれんを起こしたことがあったの。それ以来、あの婚礼ダンスの小引き出しに気付け薬が入っているのよ」


 この話は、母さんから何度も聞いた。きっと、自分で気を付けるんだよと伝えたかったのかな。


「へその緒といってね、ママと駿ちゃんの絆もしまってあるわ。駿くんは、四月十四日の朝、大きな声で生まれてくれました。パパは、無事でよかったとしか話せなくなっていたわ」


 そのお話は、鮮明に覚えている。母さんが憂いていた気がしないでもない。


 小学二年生のある日、俺は、へその緒に興味を持って、小引き出しに近付いた。悪いことをしているようで誰もいないのを確かめる。引き出しのカタリと音がすると、どきっとした。


 へその緒はどれだろう。箱にしまってあるらしいが。これかと思って手を伸ばしたら、気付け薬の桐箱だった。見られていないか振り返りつつも探し物を続ける。結局、へその緒そのものを知らないので、分からなかった。


 けれども、別の物が目に止まった。水色の母子手帳の下に、ハート柄のノートがあったんだ。何だろうと思った。桃色づくしで、母さんのだろうなとしか思わなかった。


 あのハート柄のノート、愛花さんだったら、レシピを書くのかな? いや、このお料理コンピュータお玉レディーに、レシピ集は無駄無駄無駄だ。


 ――そんなことを思い出して、うとうとしていた。


 ◇◇◇


「ここのエスプレッソは、結構美味しいよ」


 ゆっくりと瞼を起こすと、俺の女神様がきらきらしていた。うっかり眠ってしまったようだ。心配させただろう。このまま黙っていては、愛花さんを困らせてしまう。


「ちょっと、昔の夢を見ていたんだ」

「お目覚めに、私のエスプレッソを飲む?」


 ん……。まどろんでいた俺は、愛花さんのをいただく。


「んふー。駿くん」

「どうした?」


 愛花さんが、自身の唇にミニお玉を当てる。


「間接キッスかも」


 小悪魔的な餃子のお目目になっている。


「ん! ぶはっ。何てことを!」


 セーフ、エスプレッソは、零してしない。お父様のクラウンは、無事だったよ。


「だって、私達は、相合傘の中で。花びらの相合傘の中でよ。愛を確かめ合った仲じゃない。こうよ……。雪は、寒い冬かも知れない。けれども、愛花さんは――。愛花さんは、春を感じる愛だね。だって!」


 愛花さんはカッコいいポーズの宝塚化して、俺の真似をした。

 

「駿くん……」


 やっ。きたぞ、きらきらオレンジのお目目がまだ可愛く甘えるんだから。手を組み、俯き加減に、見上げるなよ。惚れ直すだろうが。


「恥ずかしいので、勘弁してください」


 ひとしきり笑いあった。俺も緊張が和らいできた。


 そこへ、愛花さんが、ほっと落とす。

 

「いつか、雪さんについて教えてください」

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