第7話 愛花の手料理ラブビーム

 四角い窓から四角い夜空が横たわる。


「ちらりちらりと光る星空に佐原さんの顔が浮かぶ。裸エプロンじゃないぞ。愛らしくくりっとした顔が、微笑んでいるんだ」


 俺は、自身の部屋で再び寝転がった。腕を枕にしていたが、ででーんと両手を広げて仰向けになる。天井は、年末に佐原さんが、お掃除してくれたっけ。古い建物だけれども、行き届いたお手入れが、佐原荘をいきいきとさせてくれていた。


 今はどうだ。あの星一つ分も輝きが薄れてしまった。彼女には自覚のない夜中の歩行。あの後、訊いてみたら、自分の部屋だと思っていたらしい。


「可哀想になあ……。佐原愛花さんに、百合以外の花は選べないな」


 俺は、まんじりともせず夜明けを迎えた。


「だが、俺だって何かできる。これなら、彼女も喜びそうだ」 


 ◇◇◇


「おっ玉で、おっ玉で、キンコンカーン! はーい。下宿屋佐原荘ラブリー朝ご飯ですよ。お客様はお一人となりました」


 いつものパターンだ。見つからないように、エプロンにはち切れんばかりのハッピーの文字が、ぷるるんと迫ってくる。それもその筈、もっと育ったんじゃないかと思われるFカップ。一足、二足。そして、目隠しだ……。


「あれ? 昨日の今日でこんなに元気なものなの?」


 日常に戻っている? だって裸エプロンだぞ。俺はどうしたらいいんだ。裸エプロン、裸エプロン。もう! 妄想するだろうが! お目目の色もキラキラモードで、甘い色合いかなとか。


「昨日、出たってば。佐原さん」

「何が? 何が?」


 後ろから抱きついているのは、Fカップお玉ちゃんだろう? どこからそんな空元気を出しているの?


「まあ、いいや。おっ玉で、おっ玉で、はい! 駿くん」

「おっと、佐原さん。その手には乗りませんよ」


 五百円均一黒お玉登場! ビシッと決めて、がーんとピンクに殴られた。百均は三回で壊れるというのは、伝説か?


「えー。いけず。そろそろ、愛花ちゃんって呼んで欲しいな」

「遠慮させて」


 かわい子ぶったってダメだよ。ひっつき虫はしつこいですね。


「佐原さん……。困ります」

「愛花ちゃんだよ。ぷう」


 やっと離れてくれて、ほっとした。その途端に、佐原さんが、始めちゃったよ。モーションはかなりスローだったね。お玉を振りかざしてーの、きたっ。


「愛花ちゃんの! おっ玉フリフリー、投げキッス!」


 ベチン。


「嫌だ!」


 場が静かすぎるじゃないか。どうしたものか。


「……しっく。しく」

「ご、ごめんな。悪気はないんだよ。愛花さんに楽しみをあげたいんだ。気を取りなおして。嫌いじゃないから」


 彼女はどっと涙を流した。何で? 謝ったばかりでそうなのかな。


「愛花さんって呼んでくれた……! ふ、ふふ」


 俺の胸元へぴょんと跳ねた。何だ、うさこちゃん。


「駿くん、だーいすき!」


 ◇◇◇


「雅也、お久し振り」


 俺は、ゼミの間にシャーペンで雅也の背中をつっついた。


「今日は、俺は大学に顔を出したぞ。居眠りしかしていないがな」

「なら、黙って眠っていてくれ。俺は就職の内定をもらったんだ。ここで落ちたくない」


 何だ、雅也も就職か。俺はどうすっぺ。


「ああ、英語大嫌い!」


 俺は、独り言ちながら、通りに面した正門ではなく、北門から早めに帰途につく。


 ありゃ? お玉ちゃんだ。さらさらに梳かれた髪が振り返る。どうして、俺だって分かったんだ?


「うにゅー。大好き駿くん!」


 出た! ひっつき虫。だが、お買い物を山にしている。今回は、ひっつかず。


「重そうだね。荷物持ってもいい?」

「いえ、お買い物は私のお仕事だから、大丈夫よ」


 よっこいしょっと、佐原さんが持ち上げると、Fカップが潰れていやーんな感じになる。いやーんって、それ以上説明できないんだが。目を逸らすと疑われそうだ。しかし、凝視は、ちょっと無理だろう。


「じゃあ、落とすといけないから、この瓶とか持つよ」

「ああ……。もじゃもじゃ。大丈夫よ」


 ぶっ。愛花さん、変なこと喋るのままあるよ。


「何だろう。もじゃもじゃって」

「独り言です」


 頬を染め、おすましになっている。もじゃもじゃの内容を知りたいが、プライバシー侵害かな。


「愛花さん、俺も独り言ちながら帰っていたんだ」

「きゃっ。偶然にしても同じだよ」


 出た、愛花うさぴょん。再び気分が跳ねましたね。買い物バッグなんてないみたいに。


「なあ、愛花さん。恋ってさ、始まる方が終わるよりも楽しい予感がするよね」

「当たり前じゃない。私は、駿くん大好き派だよ」


 照れるじゃないか。俺も愛花さん大好き派とかいいたいよ。いい年して、ランデブーしたいとかも言いにくいし。


「瓶とか持ってみたら、ジュンサイの瓶か。一等賞と熨斗紙があるね。何かに当たったの?」

「男運に恵まれただけ」


 うおー。照れまくりだよ。愛花さんの素晴らしさを褒めないと。


「ジュンサイを酢の物にして欲しいなあ」

「待っていてね。三、二、一、で、できるよ」


 佐原荘まで心の時間は長くて、歩くのは短い時間だった。


「ジュンサイを持ってくれて助かりました。お玉フリフリいくぞー」


 何だか、立ち直ったのか、今朝から元気で、それも心配だ。双極性でないといいが。


 俺が二〇二号室でぐうたらと休んでいると、正確に言えば、本を読んでいて寝落ちしたのだが、無茶苦茶いい香りで目を覚ました。


「何だろう。下かな」


 トトトと降りて、直ぐに見つかってしまった。


「愛花、駿くんの為に美味しい中華と格闘中!」


 何を拵えているのだろうか。


「俺も何か手伝おうか」

「駿くん!」


 うさぴょん率高いなあ。


「えーと、鴨、さばける?」

「そんな注文なの? 野菜の皮をむいてとかじゃないんだ」


 俺は、たじろいだよ。


「駿くん。血抜きしてあるし、ビビることないし」

「俺、栃木の都会っ子だから」


 高校まで、宇都宮だから、都会かも、よ。


「栃木って、いつから都会になったの?」

「えー、餃子が有名になってから?」


 しまった。餃子とは余計なことを口にしたな。


「私の怒った目を餃子みたいとか、イカリーとかはよしてね。ぷんすか」


 合鴨は、こんがりと皮はパリパリで中はジューシーに焼かれた。愛花さん特製の梅肉ソースでいただく。


「凄く美味しいですよ! 愛花さんは、料理の金のお玉を持っているね」


 愛花さんのお父さんが咳払いをした。


「皆月くん、いつから、娘を愛花と呼ぶようになったんだい。佐原荘で呼ぶなら佐原愛花だろう」

「すみません……」


 がーん。早くもお父さんの洗礼を受けてしまった。


 洗い物も済んだ後、ちょっと声を掛けてみた。


「今度、遊園地なんてどう?」

「お返事は、当日いたしますわ」


 俺は、心躍る。愛花さん、勿論イエスだよな。ノーだったら、撃沈だよ。わくわくし過ぎて、その日は寝付きが悪かった。それでも、眠ってしまうんだな。


 ――ゆきんこ、ゆきんこ……。

 わらべ歌が聞こえてきた。母さん、栃木でどうしているかな。


 雪の精霊か――。

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