第4話 愛花とお手手はまだ早い

 翌朝、俺は早速大学へ行かず、二度寝天使のお誘いにまどろんでいた。


「弘前にきてから、大学と下宿の往復ぐらいだな。綾乃母さんが、気配りの品を送ってくれるから、困ったことは少ないし」


 さ、三度も寝たら大笑いだろう。いい加減に起きてお茶でも飲むか。以前は、飲んだ回数をキッチンに備え付けのノートに書いていたルールがあった。だが、今はもうない。佐原家の人の他は、俺だけなんだよ。


 とことこではない。バタバタバタバタと高速でやってくるのが、佐原愛花さんだ。


「よ。朝ごはんぶり」


 俺にはそんなエネルギーはない。けだるくフリーズドライコーヒーをさっとカップに入れる。冷蔵庫から牛乳も出してあり、酒も飲まないのに胃に優しいのを好む。


「今朝は、奮発して、玉子をつけたんだからね!」


 後ろから抱きっと巻きつくのは、彼女の癖だろうか?

 確かに、いい感じのだし巻き卵ができていたな。彼女はめきめきと腕を上げる。なのに、料理に劣等感があるのが、俺にゃあ分からないよ。


「玉子って、高くても一つ二十五円くらいじゃなかったっけ」

「下宿に出すお料理って奥が深いのよ。材料を上手くローテーションさせたりとか、何日で何を拵えるとか。今日のお天気まで」


 俺は、これだけのことを遣り繰りできる自信がない。素直に褒めておかないと。


「確かに凄いな」


 ひっつき虫を離そうとしたら、逆に頭をなでなですることになった。

 うさぎさん、ぴょーん! うさぎさん、ぴょーん! えらく笑顔満点の佐原さんが跳ねたりしてどうしたよ。

 まあ、佐原さんが離れてくれて、結果オーライであります。


「じゃあ、冷めるから、もうキッチンで飲んでいくな」


 コーヒーに口をつけた。中々、別の場所にいかない佐原さんをちろっと見ると、彼女がすうっと目を細めた。


「うふ。駿くんは、カッコいいんだね」

「ぶ! 何を仰るうさぎさんだよ?」


 ちょっと、待ってー。待って、待って。何か勘違いしていないか?


「ね! 映画に行かない?」

「唐突だな。それに、コーヒーが零れるから、肩掴むのやめて欲しい」


 はー、はー。猫シャツをコーヒーから守りましたよ。

 いや、それが問題なんじゃない。この裸エプロンの美しいお姉さまが、黒目をくりっくりと輝かせて、ピンクの百均お玉を握っている。このお玉は武器だね。

 その前に零れ落ちそうなFカップが裸エプロンだなんて、反則じゃない? うん。俺がお父さんだったら許さないね。は! じゃあ、玲祐お父さんを敵に回してしまうじゃないか。


「まあ、別に敵に回したっていいじゃないか。結ばれるわけじゃないし」

「んん? 何の話? 駿くん」


 しまった。心の声が漏れだしたら、俺もいっちゃってますね。


「チケットがあるの。うふん」


 大きな谷間からチケットみたいな紙を取り出した。俺は触らないぞ。多分、ほっかほかだ。


「それって、貰ったんじゃなくって、買ったの?」


 そうだよな。奢られたら、お返しをしないといけない。男としてなんだ。


「内緒の内緒ですよ! だ。きゃー」


 ◇◇◇


 何の映画か、タイトルも聞かずにぶらりと、南野みなみのデパート近くにある映画館にきた。『シアター・ワシントン』か。洋画専門の感じが漂うけれども、夏休みには、アニメもやっていそうだ。


「大人二枚」

「でーい! 初めてチケット買うんじゃないか。話してくれたらよかったのに。ほら、俺の分。釣は要らねえぜ」


 なけなしのお札をスマートに渡した。


「駿さま。お釣りはないざますよ」

「はは、二千円だもんな」


 今日は二千円も出しちゃったよ。もうこうなったら一緒だ。ジュースにポップコーンもあってもいいんじゃないか。


「二人分ね」

「駿くん! いいの?」


 なんだ、普通にいい子だな。


「しっ。映画館だよ。それに、その花柄の服も似合っているよ」

「てへー。えー。てへっ」


 佐原さんは、ずうっと照れまくっている。ちょっとしたことで喜んでくれるんですね。


 緋色のビロードを歩く。未だ明るく、スクリーンの大きさが伝わる。テレビと映画の違いはあるだろう。曲線の美しさに惚れた。


 アナウンスの後、映画館は、暗闇に包まれる。明るいとき確認したら、ペアが六組程度座っていた。


「はてさて、何が始まるのでしょうか……?」


『――我らは、宇宙船を探し求めて漂流する赤い砂と呼ばれし民なり』


 おお、SFのアニメかな? 昔流行った感じのものだな。俺の好みにはドンピシャだけれども、佐原さんはよく分かったな。


 ん……。これは、気持ち悪いぞ。誰だよ。

 もぞ、もぞぞ。

 手を触ってくるのは誰だ? 佐原さんだよな。どう考えても。


「早いよ……。俺達は、まだそんな間柄じゃないだろう?」


 左隣の佐原さんに向かって注意をしてやった。


「どうしたの。駿くん。私は何もしていないけれども」

「お玉乙女が何をするやら」


 変態だからな。たまには優しいけれども、殆ど変態だ。


「何のことだか分からないし、私じゃないったら!」

「じゃあ、誰だよ、この手は。どこ触っているんだよ」


 俺は、犯人の腕を掴んでやった。


「この腕は?」


 思ったよりも太く重い腕だった。男だ。


「ん、なーろっ」


 俺だって力があるんだ。持ち上げて、吊り下げてやった。


「誰か呼んできて」


 佐原さんに係員さんを呼んで貰って、突き出したよ。


「俺の財布でも探していたんだろうよ」

「駿くん……」


 映画の映像が頬を照らす。


「がっかりするなよ。俺が悪かった。ごめんな」


 またまた、頭ぽんぽんをしてしまった。


 てか、これが俺の人生初デートじゃないかよ!

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