第1話

 変わらないマンションの5階からの風景は

出かける前にいつも気分を少しだけ清涼感を与えてくれる。


 風が涼しくなり、爽やかな朝を彩る。

素晴らしい1日の始まりだ。


 駿は久々の高校が俄然楽しみになってきた。星座占いで1位を取った時のような、

確証のない嬉しさが自分を包み込む。


「おはよう、駿くん」


 声が聞こえ振り向いて見ると、隣の青山あおやまのおじさんだ。慌てて駿は挨拶を返す。


「おはようござい‥」


 目の前に現れた異様な光景に声が止まる駿。喉に唐突に壁が現れて声を止めるような強烈な衝撃が訪れた。


「どうしたんだい? 」


 そう頭を傾げる青山さんの髪の毛が、

ズレているような気がする‥


 いつもの青山さんはキチッとした七三分けで真面目な青山さんらしい髪型なはずだ。


 駿は時間にして1分も経っていない僅かな間、全神経を集中させ青山さんの髪を凝視する。


 そして冷酷なる判断を下した。


 間違いない、あれは


 じっとりとした汗が頬の横を通り、

目の前の残酷である現実に困惑していた。


「何かおかしな所でもあるのかい? 」


「いえ、そういう訳じゃ‥ 」


 訝しげな視線を向ける青山さんのヅラが

微妙に右に傾いている。


 青山さんズレてますよ、そう言えるのならばどれほど楽だろうか。

今まで青山さんと会った時にヅラだと思った事は一度もない。


 ならば自分は青山さんのミスを初めて目撃

したということだ。


 今と昔の情報を集め巧みに取捨選択し、

1つの真実へと導きだす駿の頭脳は、

この今の瞬間に限り東大生を凌駕する。


 よくよく見ると少しずつ傾きが酷くなってるような‥


「あっ」


 何の抵抗もなくスルリと山から落ちた

毛の塊はファサっと優しく地面に着地した。


 訪れる沈黙の間。

まるで武士と武士が斬り合う前の静寂なる時のような緊張と静けさが両立した空間が生み出された。


 呼吸が荒くなり、鼓動が早まる。


 まずいまずいまずいまずい、

だれか助けてくれ!


 青山さんがヅラだったなんて、いやヅラが悪いって言ってる訳じゃないんですけど、

むしろ年に抗い続ける姿勢は同じ男として

見習うべきガッツであり、ヅラは諦めでは

なく闘いの証なのだと教えてくれたのであり

って何言ってんだ俺は!!?


 目まぐるしく回る思考はこの現実を

打破するべく、かつてない集中状態こんらんを生み出していた。


「駿く‥」


「ああぁー!!今日は朝練があるんだったぁ!!!遅れたらマズイので失礼します! 」


 逃げた、脱兎の如く我先に俺は駆け出した。どうしたんだい、と驚いた表情と輝く

頭の青山さんを置き去りにした。


 いつも使うエレベーターを通り過ぎ、

無駄に傾斜がきつい階段を2段3段飛ばしで

駆け下りる。


 滴る汗が髪の毛を濡らしていくのを何故か

尊く感じながら駿は外へと踏み出した。





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