第49話 京香おばさん

 夏休みの午前中から圭太が出かけているのには理由があった。京香から連絡があったのだ。

「圭ちゃん。せっかく、近くに戻って来たのだから、久しぶりに会いたいわ。ちょっと出てらっしゃいよ」


 母親の妹である京香は遥香とはちょっと年が離れている。まだギリギリ20代のはずだった。もちろん、前川家の伝統に従って、それは立派なものをお持ちである。まだ独身で、圭太が中学に入った頃から、憧れの人だった。残念なのはやはり姉妹というところで性格がちょっとアレなところがあることだ。


 それでも、会えばお小遣いをくれるし、美人だし、でかいし、ということで呼び出されればホイホイと出かけてしまう圭太だった。指定された待ち合わせ場所のカフェに着くと表のテラス席で本を読んでいる京香の姿を発見する。影が差したことに鬱陶しそうに顔を上げた。


 立っているのが圭太だと気づくと表情を改める。

「あら。また少し背が伸びたんじゃない。見違えたわ」

「読書の邪魔をしちゃってすいません」

「ああ。違うのよ。さっきのはまた誰かがナンパしに寄って来たのかと思っただけ」


 今日の京香は白いシャツに濃紺のジャケットを肩からかけている。広いシャツのボタンを上まではめていないので、しっかりばっちり谷間が目に入ってしまう。

「圭ちゃんも何か飲む?」

「あ、大丈夫です」


「そう? それじゃあ、行こうか」

 京香は立ち上がると圭太と並んで歩き始めた。

「そうそう。圭ちゃん。女性と待ち合わせする時は待たせちゃダメよ」

「いや、時間より前に……」


 スマートフォンで時間を確認するが、今、指定の11時30分になったばかりだった。唇を尖らせる圭太に京香は笑いかける。

「ちゃんと時間前に着いて、少しでも早く会いたかった感を演出しなきゃダメじゃない」


「そういうもんなの?」

「そういうものよ。そうそう、カノジョはできた?」

 げほっ。唾が気管支にはいってむせる。

「え、えーと」


「せっかく共学に転校したのに。もう夏休みよ」

「そうなんだけど……」

「圭ちゃんが姉さんの子供じゃなかったら、相手してあげるのに」

 そう言って流し目を送ってくる。


「ちょっと、揶揄うのはやめてよ」

「そうやって、すぐムキになる。可愛い~」

 反論しようとする機先を制して京香は横文字の店名のレストランを指さした。

「ここよ。さ、入りましょ」


 席につくとメニューを見始めてしまったので先ほどのことを抗議する気にもなれず、圭太もメニューに目を通す。パエリアのお店だった。京香は圭太のものもまとめて注文すると最後に付け加えた。

「それと、ジンジャーエールとこのスパークリングも貰うわ」


「昼から飲むんですか?」

「やーね。姉さんみたいなことを言うのね。別にいいじゃない。1杯ぐらい。それで酔っ払ったりはしないわ」

「なら、いいですけど」


 運ばれてきた黄金色の泡立つ液体に目を細める京香。グラスを持ち上げるので圭太も自分のジンジャーエールを掲げて見せる。

「乾杯」

 グラスに口をつけて飲み干す仕草もセクシーだ。グラスから話した唇が怪しく光っている。


「ところで、今日はどうして急に呼び出したんですか?」

 運ばれてきたグリーンサラダにフォークを突き刺していた京香が実にいい笑顔を向ける。

「それはね……隙を見て、いろいろと持て余してる若い子を食べちゃおうかなって」


 フォークに突き刺したプチトマトを口に含む。

「そういう冗談は面白くないですね」

「なーんだ。つまんないの」

「さすがに毎回同じネタですから」


 とか言いながら、圭太は内心どっきどきである。理性がなんとかブレーキをかけているが、血を分けた叔母ということを忘れてしまいそうになってしまうのだった。唇を尖らせる京香はあざといと分かっていながら若い圭太を刺激するには十分である。


「圭ちゃんは、私のこと魅力ないと思うの?」

「そんなことは無いですけど、母さんのことがチラついて」

「まあ、私も姉さんは怒らせたくないかな」

「ですよね」


 遥香は良妻である。賢母かどうかについては色々と判定に悩むところがあるが、まあ、世間の母親に比べればかなりマシな部類ということは分かっていた。たとえ、息子がオッキしているのを見て、にやにや笑う母親としてもである。しかし、怒らせるとかなり怖いのだった。


「それで、お袋に何を吹き込まれたんです?」

「やーねえ。そんなんじゃないわよ」

 ちょうど熱々の鉄板が運ばれてきたので一旦会話が中断される。ウェイトレスが離れていくと京香が身を乗り出した。


「下着はどこで買ったの?」

「……!」

 危ないところだった。鉄鍋から米粒を剥がそうとスプーンを入れているところだったからいいものの、口に入れた後だったら、盛大に京香の顔にぶっかけかねない。


「何のことですか?」

「分かってるんでしょ。とぼけたって無駄よ」

 圭太は自分の迂闊さを呪う。あの時以来、両親が女物の下着を着けていたことに何も言わなかったが、放っておくはずがないのだ。


 圭太はため息をつく。それを見た京香が何を勘違いしたのか言い出した。

「別にね。趣味は人それぞれだから口を挟むつもりはないの。私の魅力に屈しなかったのも納得だし。でも、する時はちゃんと付けないとダメよ。結構危ないんだからさ」


 色々と突っ込みたいところがあったが、危ないというのは聞き捨てならない。

「危ないって、何が?」

「命よ」

 京香の表情は真剣そのものだ。


「何がどう命が危ないのか、さっぱり分からないと。何を付けてろっていうの?」

「もちろんゴムに決まってるじゃない」

 声を潜めて京香は言う。

「ほえ?」

 変な声が出てしまう。


「あのね。後ろに……男の人の体液が入っちゃうと、体の免疫機能が低下しちゃうの。免疫機能は分かるわよね? 低下すると本来はかからない病気にもなっちゃうのよ。だから、するときは絶対にゴムは付けてもらいなさいね。圭ちゃんもまだこの年で死にたくはないでしょ?」


 あくまで真面目な顔の京香はからかっているようには見えない。圭太はこの誤解を解くのは大変そうだと心が重かった。

「いや。あの。なにか誤解があると思うんだけど」

「まだ。そこまでの関係にはなってないのね。良かった……」

「ええと……、そうじゃなくって」

 まったくもう。なんて日だ。圭太はこめかみに鈍痛を覚えた。


 

 

 

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