第46話 児童公園にて

「お疲れさまでした」

 今日1日の営業を終えて圭太は頭を下げる。足はパンパンだったが無事にメイドを演じることが出来て満足だった。さて家に帰ろうとしたところでスマートフォンが鳴る。


「そっちはもう終わりだよね。ごめん。先帰っていて」

 宇嘉からだった。どうも宇嘉のクラスの出し物がまだ終わらないらしい。とりあえず家に帰って着替えをしようと教室を出る。女性用の下着を身に着けるため、人前で着替えるよりはと、家からメイド服で来たのでこの格好で帰らなくてはならない。


 衣装は返すとして下着はどうしたらいいのだろうと悩みながら駅に向かって歩いていると緊急事態が発生した。お手洗いに行きたい。今まで気が張っていたのが緩んだためか猛烈な尿意が襲ってくる。そうだ、近くの児童公園にはトイレがあったはずだ。大通りから1本外れた道に入り圭太は児童公園を目指す。


 児童公園のトイレが見えホッとしたのも束の間、面倒なものも一緒に目に飛び込んでくる。3年生の白鳥がベンチに腰掛けていた。トイレに行くには白鳥の前を通らなくてはならない。近づいていくとベンチの背もたれに両手を預けてだらんとしていた白鳥が勢いよく立ち上がった。


「へえ。イカしてんじゃん」

 そう言うなり白鳥は圭太の手首をつかみ、にやにや笑う。

「そんなに慌ててどこに行こうってんだい?」

 圭太は焦った。


「離せよ」

「やだね」

 白鳥と向き合う形にされた圭太は相手の目の中にヤバいものを見出してゾクリとする。まさかこいつ……。


「勘違いするな。俺は男だ」

「分かってるって。お前は前川だろ。そういや。俺が言ったのにまだ宇嘉ちゃんと別れてねえみたいだな。ちょうどいいや。お仕置きしてやるよ」

「え?」


「俺はどっちでもいけるんだよ」

 白鳥は圭太をトイレの方へ引きずっていこうとする。

「や、やめろ」

「男どうし、仲良く連れションしようぜ。個室でな」


 頭半分ほど背が高く体格もいい白鳥に圭太は全く抵抗できない。ずるずると引きずられていく。圭太はトイレの入口の壁に手をかけて最後の抵抗を試みる。

「や、やめろ」

「やめるわけねえだろ。人の忠告を無視する奴が悪いのさ」


 ぐいと引っ張られ壁にかけていた指がはがされる。指先に鋭い痛みが走った。どうやら皮を擦りむいたらしい。しかし、圭太はそれどころでは無かった。白鳥がからかっているのではなく本気で圭太をヤルつもりだということがズボンの膨らみから分かってしまう。


「助けて……」

 喉に何かがからみ嗄れ声しか出ない。

「この公園はいつも人がいねえからな。誰も気がつかきゃし。おわっ」

 圭太の手首をつかんでいた力が急に緩む。


 何事かと見てみると白鳥が体をくの字にして悶えていた。

「ああああ」

 口から涎を垂らして悶絶している。そして、その向こうには市川が冷ややかな顔をして白鳥を見下ろしている。

「何それ。ゲームのキャラに適当につけた名前?」


「ど、どうしてここに? ここは男性用だけど」

「なに馬鹿なこと言ってんのよ。恩人に対する第一声がそれ?」

「ご、ごめん。ありがとう」

「まあ、いいわ。早く行きましょう」


 一難去ってまた一難。最初の危機のことを思い出した圭太はモジモジとする。

「ええと。ちょっと用をたしたいんだけど」

「は? それでこんなところへ来たのね。でもダメよ。この個室にそんな奇麗な服で入るつもり?」


 そう。圭太は分かっていなかった。いつもの習慣で立ったまま朝顔に向かうつもりだったが、考えてみればこの長いスカートを履いていてそんなスタイルで用をたせるわけがない。一方で連れ込まれそうになっていた個室は、詳しくは述べないが正直に言ってあまり座りたくはない状況だった。


「でも。もう……」

「我慢なさい。そうねえ」

 市川はコーヒーショップの名を告げる。

「すぐそこよ。1分もかからないわ」


 圭太の脇に手を回し市川は半ば抱えるようにして走り出す。公園を出て2ブロック行くとコーヒーショップが見えた。自動ドアが開くのももどかしそうに中に入るとパウダールームに向かい市川は圭太を赤い人型のピクトグラムが表示された個室に押し込んだ。

「それじゃ注文しとくからごゆっくり」


 圭太は先ほどとは比べ物にならない個室の様子を観察する余裕もなく蓋を跳ね上げてスカートをたくし上げる。片手でそれを押さえながらもう片方の手でショーツを下ろすと便座に座り込んだ。己の体の一部をホールドし勢いよく溜まっていたものを放出する。あ、危なかった。ふう。


 さきほどとは逆の手順で服を元に戻すがあまり広くない個室での作業はかなり面倒だった。念のために後ろも見てスカートが引っかかっていないか確認する。以前、足からショーツまで丸見えのお姉さんを見たことがあったが、どうしてそういう事になるのか実地体験してみるとよくわかる。圭太が同じようになった場合いろいろとまずい。


 個室を出てみると隅のテーブルから市川が手を振った。近づくとコーヒーとケーキが2つテーブルの上に乗っている。トイレを借りる代金としてなら飲み物だけ十分なはずで、市川の意図を測りかねながら圭太は向かいの席におずおずと腰を下ろした。


 市川はにこりとほほ笑む。

「ガトーショコラとミルクレープどっちがいい?」

「え?」

「先に好きな方を取っていいわよ」


 返事が出来ない圭太を見ていた市川が顔を曇らせる。

「どっちも好きじゃなかった?」

「そんなことはないけど。でも、市川さんが先にどうぞ」

「それじゃあ」


 市川はガトーショコラを引き寄せ、フォークを入れて一口食べる。

「圭ちゃんも食べなよ」

 圭太は状況がさっぱり飲み込めずいた。前回は罠に嵌められてお触りを強要する悪い男認定されるところだったことを考えると警戒せざるを得ない。


 圭太は形だけミルクレープに手を付けてから上目遣いに見る。そんなに恐れる必要はないのだが、どうしても卑屈になってしまう自分が嫌だった。

「それで、どうして市川さんは、お……えへん。私とお茶してるのかな?」

 素の自分になりそうになるのを慌ててごまかす。


 市川は不思議そうな顔をする。

「さっきは一方的にサーブされるだけだったからね。一緒にお茶したいなと誘おうと思ってたのを実行してるだけだけど」

「え? 私とお茶?」


「別にそんなに不思議がることないでしょ? お茶するなら美人さんの方が美味しいに決まってるじゃない」

 さも当然という顔で断言されて、圭太はますます混乱する。そこへ追い打ちがきた。

「そうだ。今度は宇嘉ちゃんも誘って3人でケーキビュッフェでも行かない?」

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