第44話 試着

「俺って、可愛い? 可愛いのか?」

 先ほどからクリームだの、乳液だのと色々と盛りながら、しきりと可愛いを連発していた宇嘉に圭太が恐る恐る質問する。真剣な顔だった宇嘉が笑み崩れた。

「うん。とっても可愛いわよ。ほら、見てみて」


 差し出された手鏡に顔を写すのは怖かったがえいやっと目の前にかざす。そこにあったのは、いつもの見慣れた自分とは全くの別人だった。

「え? え? これ……。俺なのか?」

「そーよ。だから言ったでしょ」


 目の前でほほ笑む宇嘉と見比べれば数段落ちる。まあ、それは比べる相手が悪すぎるのだから仕方ない。それでもパチパチと瞬きをする鏡の中のそいつはそこそこ美しかった。電車やバスの中で隣に立てばうれしい程度には十分に可愛い。圭太がしゃべるたびにそいつも口を開け閉めする。


「あとは表情ね。こう口角をあげてニコっとしてみて」

「こ、こうか?」

 鏡の中の少女に笑いかけられて圭太はドキリとする。あほか。これは俺じゃないか。


「そうそう」

 手を叩いて喜ぶ宇嘉が手にメイド服をもってやってくる。

「それじゃ、これを前に当ててみて」

 言われた通りにすると見事なメイドさんがそこにいた。


 媚とかそういう成分は少なめだが凛々しい感じで悪い感じはしない。優越的地位を乱用して屈服させたいとかいう邪まで嗜虐的な嗜好をお持ちの男性には受けそうだ。「んー? 主の命令が聞けないとでもいうのかね?」である。少なくとも秋葉原の中央通りにいる無駄に露出が多い服を着た客引きの子よりは多くの人が選びそうだ。


「それじゃあ、採寸もすませちゃおうか」

 メジャーを手にして宇嘉が近づいてくる。言われた通りに立っていると正面に位置した宇嘉が屈んで、後ろにメジャーを回す。宇嘉の頭髪からいい香りがしてドギマギしていると手を挙げるように言われた。


 宇嘉はバストトップ、ウエスト、ヒップと採寸をしていく。石見の手伝おうかという申し出を謝絶したかいがあったというものだ。ヒップの採寸の時には、圭太も意識しているのが態度でありありと伝わって来て、宇嘉は心が弾む。見上げると明後日の方向を見ている。少なくとも、圭太が自分の事を女性として意識しているのは間違いないのだ。


 あまり長くやっていると怪しまれるので、名残惜しいが立ち上がり、肩幅と袖丈を測った。紙に各サイズを書き留める。

「もういいわよ。楽にして」

 圭太が息を吐きだすのを見て、今まで息を止めていたのだと分かった。


 採寸後、しっかりと夕食までご馳走になった圭太が家に帰ろうとするときに宇嘉が紙袋を渡す。

「これは?」

「衣装を着るとき用の下着よ」


 中をのぞきこんだ圭太の目の前に白いブラとショーツがこんにちはをする。びっくり仰天した圭太は思わずどもってしまった。

「こ、こ、これは……」

「だから、服に合わせるように用意しておいたの」


「で、で、でも」

「インナーも合わせないと気分がでないでしょ。多分サイズはあってると思うけど、家に帰ったら一度着てみて。サイズが合わないといけないから」

 目の前で着替えてもらうという山吹の案でも良かったのだが、ここは常識が勝った。


「これ、着なきゃだめかな?」

「もちろんダメよ。完璧に女の子にするって言ったじゃない」

「そうだけど……」

「外からは見えないんだから平気でしょ」


 言っていることが完全に矛盾していないか、と圭太は思ったが口にすることはできなかった。あの驚愕の変身メイクの技を見せられ、ここまで協力してもらっている手前、否定的なことは言いづらい。結局押し付けられて家に持って帰ることになった。自室に戻って紙袋から取り出してまじまじと観察してしまう。


 圭太の場合は母親がアレなので、もっと際どいものはいくらでも見たことがあった。これは履く意味はねーだろというようなショーツとか、スッケスケのブラとかである。色もなんというか艶やかなものが多かった。それに比べれば慎ましやかな品ぞろえである。装飾もほんのちょっと端に縫い取りがあるぐらいだ。


 自室内とはいえ、女性ものの下着を前や後ろから矯めつ眇めつしている姿は完全に変態の図である。急に恥ずかしくなった圭太は一度袋に戻した。今からこれを試着するという困難なミッションに挑まなくてはならない。紙袋を見た圭太は先に風呂に入った方がいいだろうという理由で取りあえず延期することにした。


 風呂を沸かして湯船に浸かる。変な形の湯船ではあったが手足を伸ばして寛げるのは嬉しい。風呂の鏡を見てみるがそこにはいつもと代り映えのしない見慣れた自分の顔がある。メイクとウィッグであそこまで変貌を遂げたことが信じられない。もし、自分が女の子に生まれたらああいう顔立ちだったのだろうか。


 見下ろすと自分のものとはいえ歪なものが目に入る。たちまちのうちに現実に引き戻され、実際のところとして自分は男であり、女装をしなければならないという事実にため息が漏れる。風呂上りにパンツ1枚の姿で火照った体の熱を冷ましてから自室に戻った。


 ひょっとしたら紙袋は幻で、もうなくなっているんじゃないかという淡い希望は当然のごとく打ち砕かれ、部屋を出て行ったときそのままに床に置いてある。まるで、爆弾が入っているかのようにじわじわと近づいて紙袋を持ち上げた。どちらから試すべきだろうか、というどうでもいいことにしばし悩む。


 意を決して小さな布の塊に手を伸ばした。びよーんとゴムを引っ張ってみる。体を通す穴が3カ所あるが自分のものと違って明確な大きさの違いがないのでどこが足でどこが胴の部分なのか分かりにくい。何度かぐるぐると回してみてやっと正しいと思われる方向が分かった。


 部屋のカーテンがきちんと閉まっているのを再度確認してから、自分のボクサーパンツを下ろした。慎重に狙いを定めてショーツに片足ずつ足を通して上まで引っ張り上げる。想像以上に生地が伸び、こんなのに入るのかという当初の不安に反してきちんと履くことが出来た。大事な部分もなんとか収まっている。


 よく考えたら競泳用の水着と同じだったな。心配して損をしたぜ、と思いながらブラを手に取ってしばし固まる。これはどのように身に付ければいいのだろうか。やはりぐるぐると回してなんとか恐らく正しいと思う位置に装着した。その途端に部屋の扉が空き敏郎が中に首を突っ込む。

「おい。圭太。大野屋の餃子買って……」

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