第29話 尋問又は取り調べ

 服を着てリビングでお土産を紅茶で頂きながら、圭太は遥香に質問をする。声が尖ってしまうのは恥ずかしい姿を見られてしまった照れ隠しだった。

「まだ水曜日なのに仕事はどうしたんだよ?」

 圭太の不機嫌さには気づかぬふりで遥香はあっけらかんと答える。

「お休みを取ったわ」

「今までほとんど休んだこと無いのに?」


 遥香はウフフと笑う。

「圭ちゃんも高校生だけど、世の中のことはもうちょっと追いかけた方がいいわよ。女の子のお尻を追いかけるのに忙しいのだろうけど」

「後半は余計だ。それで世の中というのは?」


「働き方改革よ。仕事ばかりじゃなくてオウチでパートナーと一杯愛し合いなさいと政府が言ってるの」

「絶対、日本政府はそんなこと言って無いと思う」

「そうかしら? 出生率も下がってるし、あながち間違いじゃないと思うけど」

 圭太は頭を抱えた。頼むから今さら兄弟とか勘弁してくれよ。


「でも、詰まんないわね。せっかく帰って来たのに敏郎が居ないんだもの」

「じゃあ、連絡すりゃいいじゃねーか」

「お仕事の邪魔をしたら悪いし、圭ちゃんで我慢するわ」

「俺で我慢するってどういう意味だよ?」


 遥香は実にいい笑顔をする。小悪魔のような笑みをたたえて遥香の唇から言葉が漏れる。

「もちろん、圭ちゃんがどうして、あんな風になっていたのかということをお母さん聞きたいわ。若いっていいわねえ」


 うふふのふ。小悪魔から悪魔にレベルアップした笑みを前に圭太はタジタジになる。

「別に何でもねえよ。つーか、ちょっとマジでキモくねえか。息子のアレを話題にしようってのは?」


「別にアレの話をするぐらいいいじゃない。で、誰の事を思い出してたの?」

「誰が言うかっ」

「ふーん。じゃあ、お母さんが推理してあげる」

 何かを思い出すように天井を見上げた遥香は一つ頷いた。


「圭ちゃんが入ってる陸上部の子でしょ」

 げほっ。いきなり直撃弾を食らって咽る圭太だった。メイデイ、メイデイ、司令部応答願います。戦闘続行不能。至急応援を。どこかに見えない援軍は居ないかと見回したがいる訳もない。


「うふ。正解みたいね。ねえ、どんな子なの? ひょっとして……、この間のいい香りの子?」

 ぐはっ。

「あらあ。この間は単なるお友達とか言ってたけど、うふふふふ」


 なおも追撃してくるかと思ったが、遥香は時計を見上げて席を立つ。圭太は助かったという思いと訝しい気持ちがないまぜになった目を向ける。

「そろそろ、お夕飯の支度をしなくちゃ。敏郎に元気をつけてもらわなきゃいけないしね」


 エプロンをつけて鼻歌を歌いながら冷蔵庫の中のものを出し始めた遥香の後姿をぼんやりと見つつ全身を硬直させていた圭太は、席を立って2階に向かう。どうやら秘密警察ばりの尋問を乗り越えたことにホッとしながら、自室に入って机につっぷした。ふう。


 しかし、圭太はそこで危機はまだ去っていないことに気づいた。このまま敏郎が帰ってこなければ、夕食のテーブルは遥香と二人きりだ。先ほど中断した話題を蒸し返してくる可能性は非常に高い。そうなると圭太には追及をかわしきれる自信は無かった。


 敏郎が帰宅すれば、遥香の関心はすぐにそちらに移るのは間違いないのだが、問題は昨日も帰宅の早かった敏郎が今日も早く帰る可能性はほぼ無いことだった。圭太は一生懸命考える。スマートフォンのメッセージアプリで連絡を取ることは可能だ。今日は母さんが来てるよ、この11文字を送信するだけでいい。


 しかし、今までにそういうことをしたことが無かった。圭太が両親が仲が良すぎることに辟易していること自体は敏郎も知っている。理解はしてもらえなかったが。それなのに、わざわざ連絡したりすると、思考が明後日の方角に進みかねない。その結果として出てくる言葉は容易に想像ができた。

「そうか、圭太も兄弟が欲しくなったか。お父さん頑張っちゃうぞ」


 一方には遥香の尋問、一方には兄弟爆誕の危険性。圭太は天秤にかけたが、答えは明らかだった。いまそこにある危機。父親の誤解を解く方法は無いわけじゃない。それにこの別居という状況下で出産・育児ができるかどうかを考えられないほど馬鹿ではないはずだ。


 圭太の心は決まり、メッセージを送った。すぐに反応が無いことにやきもきしながら待っていると、下から風呂に入るように遥香が言う。スマートフォンと睨めっこをしていても仕方がないので、電気をつけて風呂に入った。風呂のドアに鍵をかけて、体の一部から今朝の汚れを落とすように念入りに洗う。


 圭太の部屋の明かりが消え、風呂場の明かりが点いたのを合図に隣家からドローンが飛翔を開始したことも、そして、閉まったままの窓によってミッションが達成できなかったことも圭太は知らない。山吹が落胆しながらドローンを帰還させている頃に圭太は自室に戻ってスマートフォンを見ていた。


 新着メッセージが3件。1件は涼介なので悪いが後回し。父親からの物が2件あった。

『そうか、圭太も弟妹が欲しくなったか。お父さん頑張っちゃうぞ☆』

『弟か妹か、どっちがいいか帰るまでに決めといてね♡』


 兄弟という一般概念ではなく、弟妹という論理上正しいがあまり日常的には使われない単語を選択してくるあたりに敏郎の強い意思を感じた。頑張るの後ろの☆にも固い決意を伺わせる。しかし、男女の選択まで突き付けてくるとは思わなかった。選択出来るのか聞きたかったが突っ込んだら負けである。


『いや、そうじゃねえから。単に知らせただけだ』

 メッセージを返して、机に向かって30分もしないうちに敏郎が帰宅する。一体どういう理由をつけて帰ってきたのだろうと思いながら、圭太は勉強の続きをした。どうせ降りて行っても二人きりの世界に浸っている両親の姿を見せつけられるだけだ。


 とりあえず危機は去っただろうという安心感が広がり、今まで以上に集中していると階下から呼ばれた。家族が揃う時は食卓を共にするのが前川家のルールである。以前反発をしたら、食卓を共にしないと寝室を共にするぞ、と謎の脅迫もされていた。


 降りていくとレバニラを肴に飲み始めていた敏郎が笑顔を向けてきた。

「この間聞いた片思いの相手は同じ部活の子だったんだな」

 遥香もウッキウキな表情で圭太を眺めている。作戦失敗を悟って、胃が重たくなるのを感じる圭太であった。



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