第30話 部活の後に

「ねえ、圭太。これからみんなで軽く食事していくんだけど一緒にどう?」


 陸上部の練習が終わって帰宅しようというところに宇嘉から声をかけられた。宇嘉の後ろには1年生の女子部員が2名。宇嘉と一緒にいると霞んでしまうがどちらの子も顔立ちだけなら可愛いの範疇に入る。惜しむらくは皆薄い。名付けてぺったんこエンジェルズ。


「ああ。俺は遠慮しておくよ」

 学年も違うし、女子の中に男一人というのも気が引ける。そういう発想の時点で圭太に春が来るのは遠いのだが、圭太は分かっていない。女性の群れで鍛えられてこそ、女性の気持ちが分かるようになるのだ。


 グラマーちゃん達なら反応は変わったのかもしれないが、所詮は圭太である。本来は守備範囲外なんだから気取らずにお付き合いして、対女性経験値を溜めておけば、後藤寺さん攻略のアイデアも浮かんだりするのかもしれない。そもそも、この発言に対して圭太に選択肢があると考えているところが甘すぎるのだった。


「うっそ、信じられない。折角、宇嘉ちゃんが誘ってるのに、何スカしてんだろ?」

「は? 断るとかマジありえないんだけど。彼女の苦労も知らないで、そんなことよく言えるね」


 穏やかに微笑む宇嘉がダイレクトアタックしてこなくてもファンネルが撃ってくる。圭太にそれをかわせるはずも無かった。口の中でもごもごしている間に宇嘉に腕を取られて歩き出していた。

「あのね。曜子ちゃんが見つけたお店なんだよ」

 ぺったんこエンジェルの内の一人が手を挙げる。


 ほどなくして1軒の店の前に着いた。漆喰壁と格子ガラスの引き戸の古びた店で、元は白かったと思われる暖簾がかかっている。きゃぴきゃぴした女子高生が入るには渋い選択だった。なんとも言えない出汁の香りが外まで漂っている。圭太は知らず知らずのうちに生唾が湧いてきた。


「レッツゴー」

 川内曜子が勢いよくガラス戸を開ける。

「こんにちは~」

「あら、いらっしゃい」


 手ぬぐいで頭を包んだお婆さんがにこやかに迎える。一層強く鼻を打つ香りに圭太はゴクンとつばを飲み込んだ。壁にかかれた文字を見るにまごうこと無きうどん屋さんだった。畳の小上がりに腰を落ち着けた女子高生たちは、品定めを始めている。


「今日は釜揚げかなあ」

「やっぱ、ぶっかけでしょ」

 乙女の口から飛び出すには少々刺激的な単語に圭太がドギマギしていると宇嘉が肩を寄せてくる。


「私のお勧めはきつねなんだけど、圭太もそれでいい? ふわっとしていて噛みしめるとじゅわーと甘辛い汁が出てきてサイコーなんだけど」

 目をキラキラさせて熱く語る宇嘉に圭太は押され気味だ。

「ああ、うん」


 待つまでも無く、うどんが4つ運ばれてきた。宇嘉の肌を想像させる艶々とした白い麺が透き通った薄茶色の汁の中に沈んで、その上にどーんと厚い油揚げが乗っている。

「いただきまーす」


 早速うどんをツルツルと食べ始める女子たちに圧倒されつつも圭太も一口入れて目を剥いた。それほど太くないが生きているように口の中を跳ねまわる適度な弾力の麺は噛みしめて良し、喉越しも良しだった。宇嘉推薦のお揚げもまさに解説の通りの味で口いっぱいに広がる滋味に思わず目尻に涙が浮かぶ。うまい。


 じーん、と感動に震える圭太を宇嘉が心配そうにのぞき込んでくるので、箸を動かすのを再開する。気が付けば丼を抱えて汁まで飲み干していた。これを飲まないなんて犯罪行為だろ。名残惜しそうに丼をテーブルに戻すと女子たちも1滴残らず飲み干していた。


「どうだった?」

 聞いてくる宇嘉にコクコクと頷き返すことしかできない。左脳の言語中枢までが本来の任務を放棄して、この感動体験を記録すべく電気信号を送っていた。ようやく言葉を口にするまでに10秒ほどの時間が経っている。


「美味かった。それ以外言葉が浮かばない」

「だよねー」

 女子たちは汁を飲み干して暑いのか、手で顔をパタパタと仰ぎながら同意する。それからしばらく黙って余韻に浸っていた。


 火照りが冷めると皆財布から小銭を出してテーブルに積み上げる。ぴったり200円とか300円というリーズナブルプライスだった。

「ご馳走様~」

「またどうぞ」


 店を出て歩き始めると川内が宇嘉に言う。

「やっと宇嘉の言ってる意味が分かったわ。確かに、これはこれでありね」

「でしょ?」

 宇嘉は嬉しそうに笑う。圭太には何が何だか分からなかった。


 三々五々散って行き、宇嘉と圭太の二人になると、宇嘉がふふっと笑う。

「美味しかったね」

「ああ。誘ってもらって良かったよ」

「ちなみに、あのお店のこと、クラスとかで喋ったら駄目だからね」


「え?」

「なんだ。そこまでは分かってなかったのか」

「どういうこと?」

「あのお店はね、女子の秘密の花園なの。みんなはいつも女の子してるけど、たまには男子の目を気にせずに素のままになりたいわけ」


 確かに店の中では飾り気が無かったなとぼんやり思い出す。

「でね、あのお店で圭太は食べて出て来ただけだったでしょ。変にかっこつけたりとか、みんなの分の代金を払おうとしたりとか、あの場には相応しくない行動をしなかったってわけ」


「単に俺が気が利かないだけの気もするけど」

「それでいいの。あの場で自然体でいられるというのも能力のうちよ。あの子たちは男の子には、あの姿は見せられないって言ってるの。みんなを不快にはさせないから圭太も誘っていいかって頼んだ結果、今日のあの会になって、結果は合格ってわけ」


 圭太は何も言えず黙っている。

「ということで、圭太の評価が地味に上がったということで、付き合ってる私としても鼻が高いわ」

「あんまり褒められてる気がしないんだけど」


「そんなことないわよ。派手さはないけど、今日のお饂飩みたいに優しい味があるというか、そのままでいいというのは結構貴重なのよ」

「でもさ、俺がうまく立ち回れるという自信はあったの?」

「んー。なんとなく。普通にしてくれればいいんだし。食事してると圭太って周り見えなくなるし。それに」


「それに?」

「そういう気障な行動をするタイプなら、とっくに私たちの関係は大人の階段を登ってたでしょう。それだと私も楽なんだけどね」

 澄まして言う宇嘉に圭太は目を白黒させることしかできなかった。



 

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