第19話 戦いの結果

 圭太は目の前の光景が信じられなかった。思わず目をこすってみたが目に見えるものは変わらない。畳の上に倒れた市川冴子の額に宇嘉の拳がピタリと据えられていた。立ち上がった冴子と礼をすると宇嘉は観客の輪の中に居た圭太に駆け寄ってくるとぎゅっと抱きつく。


 なされるがままの圭太は乾いた笑いを浮かべることができない。まさか、宇嘉が勝つとは思いもしなかった。そこへ冴子がやってくると深々と頭を下げる。

「前川くん。先日の発言は詫びるわ。正直に言ってまだ理解はできないけど、深草さんが認めているのだからあなたには何らかの魅力があるのでしょう」


 そうして踵を返して歩み去る冴子は首をかしげていた。まだ自分がどうして負けたのか納得がいかないようにも見える。

「それじゃあ、着替えてくるから待っていてね」

 袴姿の宇嘉が念押しをして去って行った。仮入部は本日で終了らしい。


 涼介が近くにやってくると圭太にささやく。

「なあ。本格的にヤバいな。もう、お前も宗旨替えするしかないんじゃないか。彼女の機嫌を損ねたら、お前なんて畳の染みにしかならないだろう?」

「やめてくれよ」


「いや。深草さんはマジだぞ。目を見れば分かる。圭太を見る目が違うからな。戦いが終わって振り返った途端に虹彩にハートが浮かんでたぞ」

「俺はD以上じゃないとダメだということは伝えたんだが……」

「よし。こうなったら逆の発想をしよう。彼女を育てていけばいいんだよ」


「宇嘉を育てる?」

「そうさ。今、小さければ大きく育てればいいのさ」

「意味が分かんねえ」

「お前が毎日揉んで大きくすりゃいいんだよ」


「そんなんで成長するのか?」

「前川先輩も俺が大きくした」

「なんだって?」

「もちろん、元々大きかったがな」


 涼介はその名のとおり涼やかに笑う。

「しかし、改めて思うと前川って姓は巨乳と関係あるのかな」

「いや、関係ないと思うぞ」

「だって、圭太の母ちゃんも……」


「人の母親のことを言うのはやめろ。ちなみに、お前、お袋におっぱい星人だってバレてるんだからな」

「ふふ。別にバレて困ることじゃない。話を戻すが、本当に先輩とお前んちって遠い親戚だったりしねえの?」


「俺の知る限りは違うと思うけど」

 そうは言いながら、圭太もだんだん自信が無くなる。実は敏郎は前川家への入り婿である。そして、母はでかい。母の妹の京香さんも立派なものの持ち主である。なんらかの遺伝的なものがあるのではなかろうか。


「そんなことより、揉んででかくなるというのは嘘くさいんだが」

「まあ、その辺はなんとも言えないが、前川先輩は成長したぞ」

「つーか、そんなに涼介が……触ったのか?」

「触るとかそういう次元じゃないな」

 涼介の発言に圭太の目に羨望が浮かぶ。


「羨ましくて倒れそうだ」

「すまんな。別に自慢するつもりではなかったんだ。ただ、大きくなるということの実例を挙げただけでな」

「ああ、分かっているさ」

「お。カノジョが戻って来たぞ。じゃあな」


 涼介はそそくさと立ち去る。なんとなく自分が宇嘉にとって良からぬ人物として認識されているのは感じていた。愛しい圭太を悪の道に引きずり込む奴だと思われている可能性がある。あの腕前を見せられては触らぬ神に祟りなしであった。泳いで鍛えているつもりであったが、あの突きを避けられる自信は無い。


 体当たりをするかのように全身で圭太に飛びついた宇嘉からフワリといい香りがする。ひと仕事を終えてホッとしたのか試合前のピリピリとした空気が消えて、元の可憐な美少女が戻ってきていた。

「お待たせ。じゃあ、帰ろ」


 やはり冴子との一戦はそれなりに大変だったのか、宇嘉は圭太の腕に抱きついて、体重を預けてくる。当然、慎ましやかとはいえ、胸の膨らみの柔らかさが腕に伝わってくるわけで、圭太の鼓動も自然と速くなった。頬も少し熱くなってきたのを感じて圭太は狼狽する。


「宇嘉って、何か武道やってるの?」

「一応、嗜みとして護身術は山吹に習ってるわ」

「山吹?」

「ああ。挨拶はしてなかったかしら。石見は分かるわよね。もう一人、私に仕えているのがいるのよ。お花見の時、廊下で会ったでしょ?」


「ああ。あのシーツみたいなのを被ってた人ね」

 巨乳好きの圭太を無駄に刺激しないように宇嘉に命じられてシーツを被らされていたので間違ってはいない。

「そう。山吹が主に肉体労働、石見が主に頭脳労働って分担なの」


「メイドさんってやつ?」

「ちょっとそういう感じじゃないわね……。あ、圭太ってひょっとしてメイド服に興奮したりするの?」

「い、いや。そうじゃないけど」

「ふーん」


 そういって下から圭太を除く宇嘉の目がキラリと光った。そこからは冴子との戦いで使った技の話になる。実際に手首やひじに触りながら話をしているとあっという間に時間が経ち、気が付けば圭太の家の近くまで来ていた。

「ねえ。これから圭太は何をするの?」


「一応、勉強する予定だけど」

「だったら、うちで一緒にどう?」

 圭太の脳裏に先日、宇嘉の家に行った時のことが思い出される。また、いきなりあの部屋に連れて行かれたりするのだろうか?


 煮え切らない態度の圭太を見て宇嘉が言う。

「別にこの間みたいなことはしないから。一緒に勉強するだけ。私は数学がちょっと苦手で……。ね、いいでしょ?」

「うーん」


「じゃあ、30分後ぐらいに。約束だからね」

 そう言って、宇嘉は笑顔を見せた。こうなると圭太に断る術はない。まあ、一緒に勉強するだけなら別に普通だし。自分を納得させる。

「ああ。うん」

 

 圭太が自室で着替えを済ませ机の上を見るとカバーをかけた黄素妙論が目に入る。別にカバーをかけなければならないようなものは表紙に書いてはなかったが中身が中身だった。室町時代の名医が書いたハウツー本である。「美人女医が教える本当に気持ちのいいS〇X」というような本とたいして書いてある内容は変わらない。


 具体的な手順や、何を何回するなどまで書いてある親切な本なのだが、それを実践する相手が居ないのが悩みどころであった。圭太が悪い奴なら宇嘉の好意を利用して、することだけすましたのかもしれない。ただ、圭太は胸への拗らせた憧憬を抱えただけの善良かつ優柔不断な男の子であった。なので、自分の欲望のためだけに利用しようという発想はない。


 

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