第5話 宇嘉のこと
「一体なにをした?」
圭太は宇嘉に詰め寄る。
「何もしてないよ」
宇嘉はニコニコとする。
「一瞬、俺は君のことを彼女だといいなと思った」
「だって、その通りだもの」
澄まして答える宇嘉。
「これだけ美人で料理が上手な子なんてそうそう居ないわ」
「自分で言うなよ」
「だって、その通りでしょ? 圭太くんもそう思わない?」
「そりゃ、そう思うよ」
「ね。でしょ」
宇嘉は手を叩いて喜ぶ。
圭太は意を決して宇嘉の顔をじっと見つめる。このままでは相手のペースに乗せられ過ぎだ。
「今更だけど、君は誰なんだ? 俺の事を知っていて、でも俺は君のことを知らない。そして、初対面の君と一緒に自宅で食事をしている。誰だって混乱するだろ」
宇嘉は首をちょっと傾けて唇の端に細い人差し指を当てて考える。その仕草が憎らしいことに可愛らしい。
「それじゃあ、教えてあげたら、私と結婚してくれる?」
「いきなり結婚かよ」
「んー。じゃあ、付き合ってくれる?」
「いや、だから、それだと誰か分からない相手と付き合うことになるじゃないか」
「世の一目ぼれなんて大抵そんなものよ。圭太くんて少し理詰めで考えすぎなんじゃないかしら」
「物事には順序があるだろ。俺は君の事ほとんど知らないんだぜ」
「そんなことは無いわ」
宇嘉は指折り数える。
「名前は知っているし、住所も知っている。料理上手なのも分かったでしょ。もう、十分じゃない」
「いや、それだけじゃ何とも」
「それじゃあ、誕生日を教えてあげるわ。9月9日生まれのおとめ座よ。血液型はAB型。これで星座占いも、血液型占いもできるじゃない。満足した?」
「いや、そうじゃなくてだね」
「他に何が……。あ、スリーサイズ?」
「そこまで言うの?」
「だって、いずれは分かることだし、別に隠すことでもないしね。なんだったら直接測る?」
「それも知りたいけど、じゃなくて、えーと」
圭太は相手の何が知りたいか必死になって考える。
「そうだ。俺の事を知っているっていうけど、いつどこで俺のことを知ったんだ? 3年ぶりに昨日引っ越してきたばかりだぜ」
「圭太くんがこれぐらいの時から知ってるわよ」
宇嘉が手のひらをテーブルトップよりもちょっと上のところを指し示す。
「それって、随分小さい頃じゃないか」
「そうね」
「ぜんっぜん思い出せないんだけど」
「酷い人。って言いたいけど、私も随分印象が変わってるから仕方ないなあ。昔は可愛いって言ってくれたのに」
そう言って宇嘉は唇を尖らす。
「俺が可愛いって言った?」
「ええ。私の事を抱きしめて、可愛いって言ってくれたわ」
ちょっぴり頬を染めて、両肩を寄せるようにして天に祈るかのように手を組む宇嘉。楽しい思い出に浸っているのを邪魔したくはなかったが圭太には、まーったく記憶にない。
「本当に?」
「そうよ。小さい頃は今よりももっと素直だったのね。まあ、圭太も、お年頃だから、心の中で思ってることをストレートに口に出せはしないのでしょうけど」
宇嘉の目の焦点は合っていない。しかも、今では圭太と呼び捨てだ。
「困っている私を助けてくれた圭太は私の王子様。ああ……」
宇嘉の形のよい小さな唇から吐息が漏れる。
「それなのに、王子様は私の気持ちを分かってくれないなんて。私はまるで人魚姫みたい。きっと海の泡と消えてしまうんだわ」
眉が下がって寂しそうな顔をする。
「いや。きっと、俺よりも素晴らしい人が現れるよ」
圭太が思わず慰めを口にすると宇嘉は増々悲しそうな表情をした。
「私にとっての王子様は、圭太ただ一人です。他の人なんて眼中にありません」
ぴしゃりと言ってのけた。
「さあ、圭太の質問にも答えたし、これで私と圭太の間を阻む障害は何もなくなったわ。そうでしょ?」
「やっぱり、思い出せないんだけど……」
「思い出はこれから作ればいいのです。じゃあ、早速……」
向かいの席にいたはずの宇嘉が圭太の横の椅子に座っていた。しかも、椅子が圭太のすぐ横に引き寄せられている。宇嘉は少し上向き加減に顔を上げると、長いまつ毛に縁どられた大きな瞳を閉じた。そして、そのまま動かなくなる。
「ええと……」
圭太が困惑して声を上げると宇嘉は顔を圭太に寄せて、こころもち唇を尖らせる。
それでも圭太が固まったままでいると嘆息した。
「まさか、ここまで奥手だとは思いませんでしたわ。昔の方があちこち撫でさすったりしてくださいましたのに」
「お、俺が?」
「はい。もちろん、デリケートなところは避けてましたけど、それなりに私の敏感なところを撫でながら、気持ちいいと仰ってましたわ」
そんな小さい頃から、お触りしていたとはなかなかに俺ってヤバいんじゃないか。圭太は己の所業に驚愕する。しかも、まったく記憶がないときた。
「圭太にもロマンティックなシチュエーションの願望があるでしょうから、今日の所は帰ります」
残念そうに圭太の大腿部を一撫ですると宇嘉は立ち上がった。空になったお重に箸や取り皿などをしまい蓋をして風呂敷に包む。
椅子に座った圭太に身をかがめて耳に息を吹き込む。
「帰る前に一つだけお聞かせください。私のことをどう思います?」
「どうって……」
「女性としてどう思うかということです。少しは気になりますか?」
圭太は胸の内で自問自答する。ストーカーだな。まあ、ちょっと得体が知れない所があるけれど、顔はめちゃくちゃ可愛いと思う。性格はちょっと破綻しているが、いわゆる肉食女子という奴なのかもしれない。これで胸が大きければなあ。胸がばばーんとしていれば二つ返事なんだが。
「可愛いとは思うよ」
「本当ですか?」
真剣な表情で圭太の目に鋭い視線を射込んでくる宇嘉。
「ああ。可愛いのは間違いない」
「そのお言葉が聞けたので取りあえず満足しました」
ふわりと一礼すると宇嘉は玄関の方に向かう。圭太は椅子から立ち上がり追いかけた。
「次にお会いする時は、もうちょっと積極的だとうれしいわ。ではまたね」
宇嘉は出て行き扉が閉まる寸前に目を伏せた。その仕草に圭太はドキリとする。なんとも言えない色気があった。しばらく、その場に立ち尽くす圭太をドアのチャイムが驚かす。もう、戻ってきたのか? その圭太に若い元気のいい男の声が聞こえてくる。
「遅くなってすいませーん。ゴーゴーピザのお届けですが」
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