第4話 昼食

 圭太は喉がカラカラだった。キッチンの冷蔵庫から炭酸飲料を取り出し、コップに注いで一気に飲んだ。喉への刺激が心地いい。宇嘉と言ったっけ、面差しを思い浮かべるが全く記憶にない。そして、あれほどのむき出しの好意というか執着をぶつけられる理由も思い浮かばなかった。


 洗面所に行って顔をじゃぶじゃぶと洗いタオルで拭く。鏡の中から見返してくるのは見慣れた自分の顔だった。取り立ててカッコいいということはない平凡な顔が見つめ返してくる。母親の遥香に言わせると、圭ちゃんはこれからカッコよくなると言っていたが、どう見積もっても親の欲目としか思えなかった。


 先ほどから体がカッカしてしょうがない。あの刺激的な挑発行為のせいだろうか? 先ほどの光景を反芻していると本人の意思に関わらず、血液が体の一点に集中するのを感じてしまう。もったいないことしたかなと思わなくもない。ただ、理性の一部が違和感を主張していた。


 なんにせよ始めて会った相手にあそこまでするのはどう考えても常識外れだった。圭太はストレートな愛情表現をする女性がいるのは知っている。それもとても身近な人間で。母親の遥香も規格外は規格外だが、その対象は結婚している夫だ。子供としては迷惑な限りだが、世間的には家庭内でコトに及ぶ限りは好きにしてくれというところだろう。


 しかし、圭太と宇嘉は初対面だ。向こうは自分の事を知っていると言っていたが……。圭太は自室に戻り書棚にしまってあった小学校と中学校のときのアルバムやら文集やらを取り出す。クラスメートなら記憶があるはずだから、他のクラスか上下の学年に宇嘉の名前がないか探したが見つからなかった。


 あれだけの美人なら見かければ記憶に残っていたはずだ。小さい頃は今ほどは胸の大きさにこだわりがあったわけでは無い。そもそも小学生なら成長期前だ。そこは大きなマイナスポイントとは考えにくい。つまり、圭太には面識がないのは間違いないはずなのだ。


 いくら悩んでも答えの出ない問題を考えるのは疲れるし腹も減る。そうだ、久しぶりにゴーゴーピザの出前でも頼もう。ゴーゴーピザはローカルの宅配ピザ屋である。この町に大手のチェーン店の出店を許さないほどの人気があった。安くて旨くて量が多い。まさに高校生の為の食事だった。父親から昼飯と夕飯代にもらった金がある。圭太はスマホを取り出しネットで注文をした。


 注文したものが届くまでスマホゲームで時間を潰していると家のチャイムが鳴る。見ると20分程しか経っていない。早いけど、まあ、平日だしこんなものかなと思って開錠しドアを開ける。真っ赤な制服に身を包んだゴーゴーピザの店員が立っているのを予想していた圭太だったがそこに立っていたのは薄いピンクのワンピースにニットのベスト、アイボリーのハーフコートを着た少女がにっこりとほほ笑んでいた。

「こんにちは。お昼持ってきたわ」


 圭太がドアを閉める隙もなく、少女はするりと入って来る。先ほど逃げ出した相手なのに全く意に介していないような笑顔だった。

「あ、あ」

 口をパクパクさせているとコートを脱いで手にした宇嘉がはにかむ。

「さっきはびっくりさせてゴメンなさい。久しぶりに会えたのが嬉しくて舞い上がってしまって」


 宇嘉は顔をあげると圭太をまっすぐに見つめる。

「圭太さんは今時流行りの草食系なんですね。私ったら先走って恥ずかしいです。少しずつ距離を詰めていくべきでした。ということで、お昼作ってきましたの。ご一緒にいかがですか?」


 宇嘉は手にしていた風呂敷を掲げて見せる。圭太の沈黙を承諾と受け取ったのか、宇嘉は玄関から上がると膝をついて靴をそろえてから圭太を押すようにして中に入っていく。ダイニングテーブルの上に風呂敷を置いて解くと中は蒔絵入りの立派な二段重だった。


 宇嘉が蓋を取ると1段目には色とりどりのおかず、2段目にはおかずと助六が入っている。促されるままに椅子に座り、ぼんやりと手渡されたお手拭きで手をぬぐっていた圭太は箸と取り皿を手渡され、正気に返る。

「こ、ここで何をしているんだ?」


 宇嘉はきょとんとした顔をする。

「一緒にお昼を食べようって話、もう忘れちゃいました? ひょっとして、圭太さんて若年性の健忘症にかかっていらっしゃるの?」

「んなわけないだろ。どうして、人の家に勝手に上がり込んでるんだ?」


「ですから、さっき了承を取ったじゃないですか?」

「俺は了承したつもりはない。一体、何が目的なんだ?」

「先ほど読んだ恋愛指南に殿方を攻略するには胃袋からとありましたので、お弁当を作っただけですけれど」


 このストレートな包み隠さない感じに圭太は覚えがあった。母親と一緒なのだ。いつの間にか相手のペースに乗せられて手のひらの上で転がされている感じ。

「さあ、おひとつどうぞ」

 目の前の料理はどれもおいしそうだった。しかし、圭太は手を付けられない。


「何かお気に召しませんの?」

 宇嘉はひどく悲しそうな声を出す。圭太を見つめる瞳が盛り上がった。目じりに涙が溜まっている。それを見て圭太はひどく狼狽した。相手は得体の知れないストーカーだが、見た目は儚げな美少女だ。その相手が今にも泣きそうなのはきつい。


 じぃーっと見つめられて圭太は仕方なく、卵焼きに手を伸ばす。実はさっきから色つやの良い卵焼きが気になっていたのだ。口に含むと少し甘い出汁がじわっと溢れてくる。これはヤバイ。料理の上手な母のものと比べても遜色ない味だった。

「うまい」


 思わず口にしたセリフを聞いて、宇嘉の顔がみるみるうちに明るくなる。

「本当ですか?」

「ああ。うまい」

「良かったあ」


 胸をなでおろす宇嘉を見ながら、圭太は卵焼きの横の丸い茶色のものに手を付けた。何と言っても男子高校生。食べても食べてもいくらでも入るお年頃である。胃袋を先に掴もうという戦略は正解だった。弾力のある肉の中にコリコリとした食感のものが入っている。口に入れた圭太の表情を見た宇嘉が言った。

「鴨肉のお団子です。軟骨を入れてありますの」


 一旦食べ始めるともう止まらなかった。食欲の赴くまま次々と箸をつける圭太を幸せそうに宇嘉が眺めている。宇嘉が食べないのを見て、圭太は鳩尾の辺りがきゅっと冷たくなるのを感じる。

「えーっと、君は食べないの?」

「おいしそうに食べて頂けるのが嬉しくて忘れてました。それでは私も頂きます」


 宇嘉が料理を食べ始めたのを見て圭太は緊張を緩める。俺に毒を盛るつもりかもとか何を馬鹿なことを考えたんだ。だいたい、俺なんかに毒を持ったところで一体どんな得がありえようか。宇嘉の満ち足りた表情を見ながら圭太は思う。ああ、美味い。幸せだ。こんな美人の彼女と一緒に食事ができるなんて。ん? 

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