第3話 隣家の訪問

 塵ひとつなく綺麗に掃き清められた短い廊下を進み戸口をくぐると10畳ほどの和室になっていた。左手はガラス戸で縁側に続いている。奥と右手は襖になっていた。部屋の真ん中には座卓があり、座布団が両側に2枚ずつあった。美少女は圭太の手を引いて奥の座布団のところに案内する。


「今、お茶を入れてくるから、寛いでいて」

 美少女はガラス戸を開けて部屋から出て行く。圭太は急に不安になってきた。圭太は美少女のことを知らないが、向こうは知っているという。しかも、ずっと見ていたと言っていた。はっきり言えばストーカーだ。まごう事なきストーカー。いくら美人でもちょっと怖い。でも、やっぱりうれしい。


 思えば不思議な雰囲気の女の子だった。たぶん、圭太と同い年か、年下のように見えるのにふとした仕草に女を感じるのだ。落ち着いた大人の女性の余裕。母の妹である京香おばさんに感じるものと同じもの。本人に呼びかけるときはおばさんは禁句である。もっとも、圭太には同世代の女性の知り合いが居ないので単に分かっていないだけかもしれない。


 主が姿を消した屋敷の中は不思議に静まりかえっており、表の喧騒も聞こえてこなかった。表通りはそれなりに人や車の往来もあるのに関わらずである。圭太はまるで狐につままれた気持ちでぼんやりと部屋の中を見回す。天井や欄間には精巧な彫刻が施してあった。


 ほどなく美少女がお盆に急須と茶碗を二つ乗せて戻ってくる。袂を押さえて茶碗に香り高い緑茶を注ぐと茶托に乗せて圭太の前に置く。すっと背を伸ばした姿が美しい。次いで小さな練り切りを乗せた小皿を置いた。洗練された動作に無駄がなく、圭太は年上と思った先ほどの印象を強くする。


「どうぞ」

 はんなりと微笑みを浮かべる少女に促され圭太はお茶をすすり、桜をかたどった練り切りも頂く。普段緑茶は飲まない圭太でもなんとなくいい質のものだということは分かった。


 圭太は挨拶の品を改めて取り出し口上を述べる。それを受け取って頭を下げ礼を言った少女に圭太は質問をする。

「ええと、お名前は?」

 質問を受けて少女がとった行動は圭太の想像を超えていた。


 ツツツと滑るように座卓を回ってくると圭太の左わきにちょこんと正座をする。三つ指をついて頭を下げた。

「深草宇嘉です。よろしくね」

 小首をかしげて下から見上げるように見つめるキラキラした瞳が圭太には眩しい。

「ふ、深草さんか。よろしく」


「そんな他人行儀な呼び方はやめて宇嘉って呼んで」

 いやいやをするように首を振って甘い声を出す少女に圭太の心拍数は上がりっぱなしだった。

「家族は外出してるの?」


 その発言に宇嘉はふふふっと笑みを浮かべる。

「ここは圭太くんと私の愛の巣です。余人がいるわけないじゃないですか」

 あいのす? 圭太の頭では漢字に変換できない。

「ご覧の通りの日本家屋ですから中の物音は他の部屋に筒抜けよ。それとも他人に聞かせる趣味をお持ちなの?」


 頭にハテナマークを浮かべまくる圭太を尻目に宇嘉は言葉を繋げる。

「もちろん、私も声は漏らさぬように努力はいたしますわ。でも、最初は痛いと聞きますし、慣れたら慣れたで思わずはしたない声が漏れることだって……」

 そう言いながら、真っ赤に頬を染める宇嘉。


 恥じらいを浮かべていた宇嘉は、すぐにきっと目を上げると、

「それでも、圭太くんが行為中の声を誰かに聞かせたいとおっしゃるのであれば、私は構いませんわ。すぐに誰か呼び寄せます。でも、今日の所は……ね?」

 そう言って訴えかけるように圭太をまっすぐに見つめてくる。


 宇嘉は圭太の腕に手を伸ばし、指先で愛おしそうに撫でながら上へと滑らせていった。

「ああ。ちょっと見ない間に随分と逞しくなられて」

 そして、そのまま体を倒すと圭太の胸に顔を埋める。ふわっと甘い香りが圭太を包み込んだ。


「あ、あ、あの」

 圭太は上ずった声を出す。圭太自身には経験は無かったが、映画を見た後に盛り上がった両親がリビングのソファの上でおっぱじめそうになったのを見たことがある。寝室に追い払ったので最後までは見ていない。もっとも見たことが無くても宇嘉という少女の意図は明白だった。


「なんですの?」

 少女の吐息が圭太の胸を熱くする。

「ええと、一体な、なにを?」

「未来の旦那さまに甘えているだけですわ。久しぶりにお顔を見れてうれしいですし」


「み、未来の旦那さまぁ?」

 宇嘉は顔を上げてそっと頷く。

「はい。旦那さまです。だって私達はこうして赤い糸で結ばれているのですもの」

 宇嘉は懐から赤い絹糸を取り出すと一端を自分の小指に、もう一方を圭太の小指に結びつけた。そしてにっこりとほほ笑む。運命の赤い糸(物理)。


「こ、これは?」

「運命の赤い糸です。私と圭太さんは結ばれる運命ですの」

 圭太がもう一度見直すと糸はふっと見えなくなる。

「糸が見えなくなっちゃけど」


「問題ありません。私と圭太くんはちゃんとつながっていますから。さあ、他の方法でもつながりましょう」

 宇嘉は立ち上がると圭太の背後の襖を開いた。その方角を見た圭太はさらに驚くことになる。緋色の夜具がなまめかしく準備されていた。


 思わず腰を浮かした圭太の腕をつかんですっと引き上げる。細い体のどこにあるのだろうと言う強い力だった。腕にすがりつきながら歩みを進める宇嘉に引っ張られるようにして圭太は夜具の敷かれた部屋に足を踏み入れる。


「ちょ、ちょっと、こんなところで何をしようと?」

 宇嘉は艶然とほほ笑む。

「野暮なことをお聞きになるんですわね。もちろん、することと言ったら一つに決まっているでしょう?」


 圭太はあまりの展開について行けてなかったが、ようやく平静を取り戻すことができた。さすがに会って、ものの10分程度でここまで進むというのは異常だということは分かった。しかし、宇嘉の魅力的な笑顔は圭太の心をとらえて離さない。くらっと眩暈がした。


 圭太は視線を下げる。もし、そこに豊満な膨らみがあったならば、また別の展開があったかも知れない。しかし、そこは平板だった。洗濯板とは言わない。ただ、圭太の望むサイズには到底及ばなかっただけである。圭太には望みがあった。えっちぃDVDで見た女性のバストを使ったあんなことやこんなことをしてもらいたいという若者の純粋な願いである。


「ご、ごめん。いきなりはちょっと。俺帰るから」

 圭太は宇嘉の手を振り払い、一目散に玄関に向かって駆けだす。

「圭太くん。待って」

 だが、圭太は振り返らなかった。玄関で靴を履くのももどかしく引き戸を開けて外に出る。そのまま突進して自宅の家に逃げ帰った。


 ドアにカギをかけて、息を切らしながら圭太は今起こったことを理解しようと頭をひねったがさっぱり分からない。


 そして、同時刻、隣家では宇嘉が寂しげな表情で立ち尽くしていた。

「ちょっと性急だったかしら。せっかくイモリの黒焼きを練り込んだお菓子を出したのに……」

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