第19話 Night Market(夜市)
そうこうしているうちに、夕食のレストランへ僕と山田が乗車した車は到着した。そこで送迎車から下車したところで、ガイドのファンさんとはお別れとなった。今日一日、お世話になったので食事でもご馳走しようかと思い、誘ってみたが、次の仕事が入っているとのことだった。
ファンさん「今日は、一日、本当にありがとうございました。酒井さん、山田さん、今からはおいしいベトナムの鍋料理を楽しんでください。それじゃ、私はここまでです。おやすみなさい。酒井さん、明後日の最終日には、ホテルまでお迎えに行きますから。よろしくお願いします。」
僕はファンさんに帰国スケジュールを再度確認され、明後日にはベトナムをさるんだなって改めて感じた。
僕「こちらこそ、今日は、いろいろと気を使っていただき、本当にありがとうございました。おやすみなさい。明後日の送迎をよろしくお願しますね。」
山田「ファンさん、今日一日、いろいろと本当にありがとうございました。おやすみなさい。」
僕と山田はレストランのドアを開け、ベトナム料理店の中に入った。その店の中には、現地の人は少なくほとんどが観光客だらけだった。レストランのボーイがエスコートをしてくれて、僕と山田を席に案内した。
案内された席は、オープンテラスの席で、南国のヤシの木などが植え付けてあり、異国情緒を最大に演出し南国風味を醸し出していた。また、夕日も沈み始めた時間帯でもあり、ハノイの空を赤く染めている太陽と夕日に筋み始める街並みのコントラストが絶妙な景色を醸し出している。街路灯は徐々に点灯し始めてきている。
僕はその景色を見ながら、ベトナムでの時間の流れを感じつつ今日一日の出来事を思い出していた。
僕たちの座っていたオープンテラスと垣根のようになる南国植物を挟んでベトナム人の幼い女の子が、母親と一緒に手をつないで歩いているのが見えた。なんだかほほえましいなぁって思っていると、店のボーイがメニューを持ってきた。メニューは英語の身であった。やはり観光客相手の店であれば、英語がベースなんだと感じた。
まずは、ドリンクのオーダーだが、ベトナムビールって雰囲気だったので、僕と山田はベトナムビールをオーダーした。そのベトナムビールは「333(バー・バー・バー)」という銘柄のものだった。わりとハノイの露店では目につくものであった。パッケージも、赤と白の太めのボーダーでなかなかベトナムっぽいところが良かった。ボーイが運んできてくれたビールを手にとって、二人で今日一日お疲れさまという意味でビール瓶を軽く合わせ飲み始めた。日本ようにお通しはないようだ。ここでも文化の違いを感じた。
山田「今日は一日、お疲れ様でした。酒井さんのお陰で本当に楽しい思い出ができました。一人ではハロン湾まで、なかなかいけませんからね。ハロン湾の景色は、海の桂林って言われるほどのことはありますね。それとベトナムの歴史も感じ取れましたから、本当に貴重な経験でした。大学生でこんな濃い経験ができるとは、俺は本当に幸せですよ。」
僕「山田君、そうだよね。今日はすごくいい一日でしたね。いろいろと感じ取れた一日でしたね。お疲れさまでした。」
僕「料理は何を頼みますか?ベトナムっぽいのがいいよね?」
山田「チョイスは坂さんへお任せします。それの方が間違いなさそうだから。」
僕「エックスキューズ ミー!ハマグリ、ベトナム野菜の盛り付け、鶏肉のミンチなどなど オーダー プリーズ。」といった感じだ。
僕「とりあえず、適当に鍋の具材を選んじゃったけど、大丈夫?ベトナム春巻きも頼んじゃったよ。最後はスープにフォーでも入れてみたらいいよね?」
山田「酒井さん、そのアイディいいですよ。さすがですね、見る目がありますね。それは、最高ですよ、絶対。間違いないですよ。ところで今日とった写真見せあいっこしますか?」
僕と山田はお互いのデジカメを交換し、画像を見比べていた。
僕「もちろんいいよ。僕の写真はこれね。」
山田「はい、俺の撮った写真は、これです。」
お互いがお互いの感性で撮った写真を見せあいした。
僕の感じたハロン湾と山田の感じていたハロン湾は別のものであった。同じ時間、同じ場所にいたにも関わらず、お互いのフレームに映った画像は違っていた。僕は山田の純粋無垢な感性に完敗し、人の感じ方って本当に面白いと思った。同じ景色を写真で撮っても、角度や光の入り具合でこんなにも違うものなんだなぁって思った。
山田「酒井さん、酒井さんのこの画像にあの少年が映っていますよ。なんだか「ありがとう」って言いているみたいです。」
僕「どれ?あぁ、ここですね。このタウゴー島のポートの先ですよね。本当ですね。でも、僕が、あの少年の話を山田君に伝えたことで彼は成仏できたんだろうね、きっと。誰かに知ってもらいたかってインスピレーションがきたからね。ただ、改めて戦争の残酷さを思い知ったけどね。」
山田「俺の写真には、何か映っていますか?この世とあの世の者って。」
僕「別にないね。ごく普通の風景の写真ですよ。でも、山田君の感性が光っている撮れ具合ですよ。若い無垢な感性がはじけていますよ。」
山田「そうですか。こっぱずかしいですよ、そんなこと言われちゃったら。でもなんだか残念ですね。」
山田「ところで明日、酒井さんのご予定は、どうされるんですか?」
僕「そうだなぁ。明日は明日の風が吹くって感じですけどね。一様、明日は、ドンスアン市場へ行ってこようかと思っているんだよね。市場に行くと、その土地の人たちの生活感が感じ取れるから好きなんだよ。いつも海外旅行に行くと、必ず一度は、その土地の市場に行くんだよね。」
山田「そうなんですね。良ければ、俺も一緒に行ってもいいですか。なんだか、酒井さんと一緒にいると、いろんな体験ができそうなので。外国の市場って初めてなので、是非ともお供させてください。」
山田の人懐っこい返事が、僕は好きだ。なんだかほっとするひと時を感じる。それと同時に、なぜそこまで山田は僕になつくんだろうとなんだか不思議な感覚になる。これも何かの縁なんだろうけどね。
僕「OK。山田君、いいよ。一緒に行こう。ベトナムコーヒーなんか市場では安く買えそうだよね。ベトナムコーヒーを入れるアルミのコーヒードリッパーを探したいんだよね。ベトナム雑貨もどんなものがあるのか楽しみなんだけどね。」
そうこう話をしているうちに、僕たちの席に鍋のセットがはじまり、料理が次々と、オーダーした具材が運ばれてきた。
最初はベトナム春巻き、ボイルされたエビと現地の野菜が巻いてあり、大きさも日本での印象のベトナム春巻きとは全く印象が変わった。とにかく「でかい」の一言が、まずは先に口から出てしまう。
春巻きのエビの触感は、日本で食べるものと変わらない。春巻きの皮は、日本のものよりモチモチしているように思われた。今晩の夕食は少々リッチにした。春巻きから始まり、メインのベトナム鍋、鍋の食材はイセエビ、ワタリガニ、ハマグリ、鶏肉、現地のオーガニック野菜の盛り合わせ。もちろんパクチーはつきものですね。
スープもタイ料理のトムヤンクンのような酸っぱさと辛みのあるスープと、おそらく鶏ガラスープの二種類のスープが入った鍋であった。
具材から染み出る魚介のエッセンスと、もともとのスープが混じり合い「うまい」の一言のスープに仕上がっていった。確かに、イセエビやワタリガニを鍋に入れれば大抵いい味に仕上がるとは思ったが、それだけではなくもともとのスープがおいしいのだと思う。
山田「酒井さん。このスープ、なんなんですか。超絶うますぎますよ。感動ものです。俺、感激しちゃっていますよ。おいしいものに巡り合えると、本当に幸せを感じちゃいますよね。」
僕「本当だね。日本人の口に合う味だね。っていうか、具材が海鮮だからそうだよね。イセエビもおいしすぎるね。エビのぷりぷり感がいいよね。スープがうまってかんじだよね。」
山田はまるで子供に戻ったように、おいしものに巡り合えてはしゃいでいた。
僕は、今日出会ったハロン湾の少年のことを思い出した。彼も、もっともっといろんなことをしたかっただろうな。でも、生まれた時代背景で、それもできず、家族ともばらばらになり残酷な運命をたどったってしまったんだよな。本当、戦争って起こしてはいけないと改めて心に誓った。
あの少年も時代が変わっていたら、こんなすてきなレストランで、今まさに僕と山田が食べている料理に舌包みを打っていたかもしれないな。なんだかそう思うと何とも言えない思いになった。そう、少々感傷的になっていた。
山田「酒井さん、このイセエビ、ワタリガニ、うますぎですよ。スープも最高ですね。本当、俺、こんなおいしい食事ができて幸せです。」
相変わらずの山田の満足げで無邪気な表情には、僕は当にほっとさせられる。
僕「本当、そうだね。山田君、次の料理が来るよ。」
サラダが口直しに運ばれてきた。日本では料理の出る順番が違うようだと思いながら、サラダを口にした。
そのサラダは、ベビーリーフをベースに鶏肉のゆでたものがまぶしてあった。かかっているソースが東南アジアチックでココナッツベースでココナッツのうまみが引き立ってすごくおいしい。このソース日本で食べたことがない。
一見すると、日本でも食べられる春巻きにかけるソースのような色なんだけれども、実際、口にするとまた、いままでに口にしたことのない味と香りだった。
アジアンチックな風味なのでジンジャーやニョクミャムが入っているとは思うが、このバランスの絶妙感が素晴らしいコラボレーションとなっている。このソースをお土産に買って帰りたいと思った。
山田「そのサラダのソース、超うまいですね。勇也感激!おみやげに買って帰りたいです。どこで売っているんでしょうね。日本では出会ったことのない味ですよ。」
僕は、そのセリフどこかのCMで聞いたことがあるかもと思った。まぁ、おいしものを食べておいしいと素直に言えるのっていいなぁって思った。僕も大学生のころは、そうだったんだろうなと思った。
山田「酒井さん。酒井さん。俺、このサラダのソースを自分用のお土産にしたいちゃいですよ。」
山田のそんな味覚も僕と一緒なんだと思った。
山田の言葉が、直球すぎて大学生時代の僕を重ねてしまう。なんだか山田のことが他人には思えなくなっていた。この偶然の出会いって、何なんだろうかなって不思議な気分になってしまう。まさに一期一会という言葉、ぴったりと当てはまる。山田も僕に親近感を持っているようだ。
僕と山田は、鍋の残ったスープにフォーを頼んで入れてみた。すき焼きの最後にうどんを入れるような感覚だ。
山田「酒井さん、フォーを最後に入れたのは大当たりですよ。マジうまいです。鍋料理のしめって感じですね。」
フォーもお米からできているため、ベトナム風雑炊のような感じだ。このフォーのモチモチ感は何とも言えない触感である。雑炊のスープはもちろん鶏ガラスープの方を選んだ。具材からも出汁が思いっきり出ている。
僕はボーイに生卵を頼んだ。今まさに出来上がろうとしている雑炊に入れるためだ。雑炊には卵はつきものである。僕が沸騰した鍋に、溶き卵をゆっくりと鍋全体にいきわたるように入れた。山田のまなざしがキラキラと今まさに出来上がろうとしている雑炊にくぎ付けになっている。
僕と山田はフォーの雑炊を堪能した。本当においしいという一言に尽きた。
そうこうしているうちに食事のコースも終盤となり、食後のベトナムコーヒーが出された。まさに先ほど話していたコーヒードリップごとだされた。これって、ベトナムっぽく最高と、僕は思った。
山田「酒井さん、このベトナムコーヒーのコーヒードリップのことを先ほどおっしゃっていましたよね。このドリップいい感じですね。アルミでできているところがいいですよね。陶器とかでもあればいいですね。おみやげにいい感じです。喜ばれそうですね。自分でも自宅で使いたいです。」
僕「そうそう。これだよ。僕が探していたのは。いかにもベトナム雑貨って感じがするよね。現地で使っている雑貨がいいんだよね。」
山田「酒井さんの感性と、俺の感性って結構似ていますよね?食も好きな味も同じですよね。俺的にはかなりの親近感ですよ。」
僕「そうみたいですね。」
山田「そういえば、ガイドのファンさんが、今晩から週末のハノイ名物の夜市があるって言われていましたよね。食事の後、行ってみませんか?」
僕「僕も食事の後、行ってみようと思っていたんだよね。じゃ、一緒に行きますか?」
山田「はい、もちろんお願いします。海外の夜は、危ないってイメージがあるんですけど、大丈夫ですかね?」
僕「スリはいると思うから、財布や貴重品には気を付けていないとね。」
山田「そうなんですね。気を付けます。っていうか僕の財布をねらっても、あまり意味ないですよ。学生ですからね。」
僕「日本の金銭感覚と、海外の感覚は違いますからね。物の価値観や経済感覚も違うからね。気を付けるにこしたことはないよ。山田君にとっては価値がないように見えても実際には、ベトナムの人には高価なものかもしれませんからね。」
山田「はい。わかりました。酒井さんのおっしゃる通りですね。」
そうこう話をしていると、食後のベトナムコーヒーが冷めてしまいそうのなったため、僕と山田はハノイの夕間暮れの時間帯を眺めながら、ベトナムコーヒーを楽しんだ。
食事もひととおり終わり、レストランを出た。レストランから、徒歩7分程度のところに夜市の通りがある。夜市は、ハンガイ通りをメインに露店が通りの両サイドと道の中心にも軒を連ねていた。老若男女を問わずかなりの人込みである。観光客もかなりの人の数である。
夜市と言えば、子供のころ、日本の夏に土曜市というのがある。ハノイでいうところの夜市と一緒なんだが、その頃の光景を思い出した。両親と兄弟3人でよく連れて行ってもらった。そんな懐かしい思い出を頭に浮かべながら、ハノイの夜市の世界へと導かれていった。
露店が、夜市の通りにひしめき合っている。通りには、クリスマスツリーで使う電飾が飾ってあり、夜とは思えない明るさになっている。その電球から発せられる熱が、さらと人々の熱気に加わり、熱帯雨林気候そのものになってきている。かなり暑く感じられた。この人工的な光によって、自然光とは違った世界へ導くような印象を受けた。
東南アジア特有のまったりとした時間の流れとは違っている。すごくアジアンパワーを感じ取れる雰囲気であった。僕は、高鳴る気持ちがはちきれそうになりながら、夜市の世界へと足を踏み入れた。夜市には、老若男女がひしめき合って通りを混じり合いながら行きかっている。
露店はファストフードや現地のお菓子、ドリンク、雑貨、洋服など様々日用生活用品もそろっている。その中でもポストカードの露店が多いのが印象的であった。先ほど食事をしたばかりだったが、なんだかその雰囲気に飲み込まれ、ハノイ番ソフトクリームを露店で買い、山田と一緒に食べた。
山田「酒井さん。このハノイの夜市の熱気とパワーってすごいですね。ファンさんが言っていたようにハノイ最大っていう意味が分かりますよね。これぞ、アジアンパワーって感じですね。生きているって感じとれます。なんだか元気を周りの人からいただいているようですね。パワーというよりエナジーを感じ取れます。それとこのハノイ番ソフトクリームもすごくおいしいですね。先ほど、食事したばかりなのにまだまだ食べられそうですよ。」
僕「そうだよね。このソフトクリームはなんだか懐かしい味で、過去へトリップしていくような感じだよね。それとこのパワーと熱気が本当にすごいよね。なんだか元気になれるって感じですね。」
僕は、面白い雑貨を発見した。女の子が髪につける髪留めのようなものなんだけど、ピンの先には、発芽した新芽が出ている。面白いんだけどと思いながら眺めていた。ふと耳を澄ますと、遠くでアジアンチックな民族音楽が流れてきている。その音楽が聞こえる方向へと、山田と共に歩いて行った。その音の元に辿り着くと人だまりがすごく、舞台まで用意されていた。その人込みの中心の舞台では、ベトナムの民族舞踊団が踊っていた。
僕と山田も、しばらくその芸能の世界へと浸った。観客のベトナム人の中には、その舞踊に合わせて踊りだす人たちもいた。ヨーロッパからの旅行客も多く、旅行客も現地の人に交じって踊り始めていた。この開放感って、日本では味わえないものだと思った。
その雰囲気に酔いしれていたら、僕はまた、タイムトリップ状態になった。おそらく流れている民族音楽には何か、過去へのインスピレーションのかき立てる音色を醸し出しているようだった。
突然、「キーン」と金属音が耳に響き、生暖かい東南アジアの風が、僕の体を包むと共にふと気が付くと、先ほどまで夜市が開催されていた通りが、まだまだ発達していない時空を超えた過去のベトナムの昔の通りになっていた。
僕の目の前に広がる景色は、真夏の日中炎天下の中だった。その通りでは、軍人の行進をしていた。軍はおそらくベトナム軍?のようであった。でも、よくよく見てみると軍人の列の最後尾には、手をひもでつながれた現地の人が何人か後に続いていた。その列の綱で手をつながれた人々の意識からは、絶望の一言の意識しか伝わってこなかった。
それと共に家族と無理やり離された悲しさも伝わってきた。最後尾には、中年女性が綱に手を縛られていた。その女性に若い女の子、おそらく中学生ぐらいの子供だった。ベトナム語だと思うが「MAMA」と言って近づいていった。そうすると、その列の軍人の一人が、その女の子を突き飛ばし、「近づくな」といっているようだった。
その中学生ぐらいの女の子の周りのまだまだ幼い子供たちが4人集まってきた。おそらく兄弟姉妹なんだろう。
僕の姿は、その世界の周りにいる人々からは見えていないようで、僕だけが一方的に周りの景色が見えるようだった。その突き飛ばされた女の子は、泣き叫びながら地面に座り込み母親の後ろ姿を見守っていた。母親も泣き叫ぶ子供を置き、連れていかれることは、どれほどの苦しさだったことなのだろう。心臓が引き裂かれる思いだったと、兵隊へつれていかれている母親から僕へ伝わってきた。
突然、僕の頭のインスピレーションの部分に映像が浮かんできた。先ほどの母親と子供たち5人が昼食をとっている光景が浮かんだ。家族団らんで、決して裕福ではないが、家族が幸せに楽しく生活している様子がうかがえた。父親は、突然、兵隊へ連れていかれ戦争に駆り出されたと伝わってきた。母親がその家の大黒柱で子供たちを守り育てていると言っていた。
そんな幸せの時間が突然、家に入り込んできた兵隊たちによって壊された。女は、思想反逆罪と訳も分からに罪と言われ、昼食を食べている子供たちの目の前で、兵隊たちに拉致されていった。まだ幼い子供たちは逃げまどい、家の中では泣きじゃくる子供たちの声と、それをかき消すように兵隊の怒号が響き渡っていた。
子供たちは、恐怖におびえながらお互いに抱き合っていた。周りの景色をみていると、ベトナム戦争よりもっと前の時代のようにも感じ取れた。子供たちの意識から先ほどの軍人は、近隣の国から侵略した兵隊のようだった。
僕の意識は、その家の中から外の景色へと移った。周りの景色も、先ほどの家族たちのように、あちらこちらで大人が兵隊に連れ出されていた。残された子供たちは、あたりで泣きじゃくっている。その景色から想像するとこの村が近隣の侵略者たちによって襲われたようであった。
歴史の中ではよく耳にする話だが、実際、その時代その場所にいると、僕はこんなにも悲惨で惨たらしい出来事だったのかと思いしらされた。幸いなことに殺されている人いないようだった。
しかしながら、親と無理やりに引き離された子供たちは、どれだけの心の傷を負ったことだろう。人が人を不幸にする、他人の幸せを勝手に壊していっている。こんな理不尽なことが、昔は確かにあったのかもしれない。その村の長老のおばぁのところへ、子供たちは集まってきた。兵隊たちは、そのおばぁまでは、さすがに拉致してはいかなかったようだ。連れていかれた大人たちは、なにかの工事のためのかき集められていたようだ。
おばぁは、脅えきっていた子供たちを優しく腕に抱き集めた。子供たちの恐怖と不安も少しずつ取り払われてきているようで、泣きじゃくる子供が一人二人と減っていった。そのおばぁは、いわゆる村のシャーマンでもあるようだった。似非のシャーマンではなくおばぁは、霊感もかなりあるようで、僕の意識に気が付いた。僕のことを敵ではないと気が付いているようで、特に気にせず子供たちに話しかけている。
話の内容は、子供たちへ連れていかれた父親、母親の大人たちは、大丈夫、仕事をするために連れていかれたとなだめ聞かせていた。実際は、奴隷のように王宮の工事現場で使い捨てられているようだった。食事もろくに与えられず餓死するものまでいたといっている。人数が少なくなると近くの村から、大人の男女をとらえてきて、強制労働をさせていたといっている。だんだんと人数集めが困難になってくると子供や年寄りまでも捕らえられ、強制労働をさせられたという。
その中には過酷な現状から逃げ出そうと試みるものもいたという。ただ、逃げても、逃げても何度も捕らえられ、さらに過酷な強制労働が待っており、その恐怖感から皆は、逃げるということさえも考えられなくなっていったという。まさに廃人のように強制労働し続けられていたという。先ほどの子供たちの両親も捕らわれの身となったという。
その話を聞いたとたん、僕は現代のハノイの夜市へと意識が戻った。
そうっと風に乗っていくように、僕の意識が現代に戻る感覚があった。民族音楽と夜市を楽しんでいるにぎやかな人々の声が、だんだんと大きくなってきた。山田が、僕の側で何か話しかけている。何を言っているのか、はじめはわからなかったが、だんだんと僕の意識も戻ってくると話の内容が分かった。
山田は、夜市の集会場からの民族音楽を楽しんでおり、その感動を僕に一生懸命に話かけていた。山田が民族音楽のドラの音色に陶酔している間、僕の意識が過去の悲しい出来事に現場に遭遇しているとは思っていないようだった。
夜市が開催されている通りは、昔、絶望の思いに拉がれていた人たちの通った道であった。その思いが、現在にまで思い残されて続けている。その思いをいったいどれだけの人たちが、今まさにこの時に感じ取れているのだろうか。おそらくそういった事実があったことすら知る由もないのだろう。
そんな思いに更けながら、僕も現在の夜市を楽しんでいる。山田の無邪気で直球すぎる行動を見るとなんだか、若さがうらやましくも思える。僕も20代のころは、直球すぎたこともあったんだろうけど。
山田が突然、「酒井さん、聞こえますか? 俺、今まさに子供たちの泣き叫ぶ声が聞こえてくるんですよ。」
僕「そうだね。僕は先ほどまでタイムトリップしていましたよ。山田君が夜市での民族音楽と舞踊を見入っているときにね。ベトナムってなんだか悲しいインスピレーションを送ってくることが多いんだよね。おそらく僕の感性が音楽を奏でているドラの音に搬送したのかもしれないけどね。ドラの音ってなんだか心に響いてくるんだよね。」
山田「そうですね。ドラのあの低い音色ですね。俺も、それなんだかわかる気がしますよ。ハロン湾の少年といい。でも、そういった過去があったからこそ、今日のこの夜市の熱気とパワーあふれる光景もあるんですよね。過去から現在へみな、つながっているんですよね。」
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