第6話
両手に持った紙袋の中には溢れ出しそうな量のジャガイモ。
リノは後ろを振り返ったが、すでにコニーの姿は見えなくなっていた。
柔らかい風が畑の土を僅かにさらう。
コニーの言った事を否定するわけではない。
今年で十九歳を迎えたリノだが、もしコニーのようにこの地に一緒に暮らす愛する家族がいて、守るものがあるとしたら。その時は、この街のルールに服従し、暮らしていくのかもしれない。
西洋連合国によって、国の最西端に隔離された地。それがここアンタイトル。
人口はおよそ五百人の小さな街。
アンタイトルに隔離された住民は最下層階級フィッシュ&チップスと呼ばれ、決められた職業を全うする。
主な仕事は、作物の製造。つまり、実質植民地という事だ。
何よりの特徴は、町の北、西、南が海に面している。
そして。
「街から出ることは不可能。」
海に面していない唯一の場所である街の東の壁。ハドリアクスの城壁は高さ20メートルはくだらない石壁の事で、その壁がある限り住民は街から一歩も出ることはできない。
ハドリアクスの城壁は水中をつたって沖まで伸びており。海からの逃亡もできないようになっている。
アンタイトルに住む五百人は西洋連合国によって隔離された和名を失った人達。
リノがアンタイトルに連れてこられたのは五年も前の事である。
それから人々は各々が西洋連合国から課せられた仕事を全うして生活している。
コニーがジャガイモしか作れないのも課せられた仕事が`ジャガイモづくり`だからだ。
「っと。」
リノの持った紙袋から山盛りのジャガイモが一個、二個と地面に落ちる。
考え事にふけっていたリノはいつのまにか自分が下り坂にいる事も知らず、落ちたジャガイモは見る見るうちに坂を転がっていった。
「走って追いかけても追いつかないし。」
リノはゆっくり坂を下る事にした。
転がるジャガイモは加速してやがて見えなくなった。
リノは周囲を見渡す。下り坂の周りは先程までいたジャガイモ畑とは景色が異なっていて、西洋文化が多段に取り入れた街並みをしている。
「いつのまに、こんなところまで。」
アンタイトルの中でも貧富の差は存在していて、リノやコニーが住んでいるのは地面が土でできている街の西側。そしてここ東側は主に商人や有権者が住んでいる賑やかな地だ。
比較的裕福な商人や有権者も西洋連合国が決めた職業であるがため、街人が異を唱える事は許されない。
最下層階級の中でも格差があるのだ。それは実績や知力は全く関係なく、全て西洋連合国が決定した通りになる。三十代の農民が十代の商人に頭を下げている風景など日常茶飯事だ。
この町にバランスなんて存在しない。全てが歪んでいる。
転がり疲れたのか、ようやく止まったジャガイモを拾おうとリノは手を伸ばすと、先にジャガイモを拾う手が見えた。細くて白長い手。
「ジャガイモが落ちてきました。ポテっと。ポテトだけに。」
すこぶる寒いギャグを言う人物がどんな顔なのか確かめたくなったリノは顔をあげると
眼を疑った。
思わず声が出た。
「まり・・・?」
真璃。
五年前の花火大会の日、離れ離れになった――
「どうか・・・しました?」
「あ、いえ。」
「こんにちは。私はオリヴィア・ハーツと申します。あの・・・どこかでお会いしたことありましたっけ?」
白金髪の髪に、力強い眼差し。透き通るような白い肌。
一体どこを見て勘違いしたのだろう。
「いや、なんでもありません。ちょっと知合いと勘違いしてしまいました。」
「――そうでしたか。それにしても凄い量のジャガイモですね。そんなに買われて何を作るんですか?」
オリヴィアの目線は紙袋に入った大量のジャガイモに向けられている。
「あぁ、えっと、これは買ったわけでは無く知り合いから頂いたもので。――こんなにもらっても困ってしまうだけなんですけどね。」
話し方、仕草はとても真璃と似ているとは言えない程違っている。
「――そうですか。・・・でしたら無理なお願いかもしれませんが、少しだけ分けていただく事ってできませんかね・・・私、お昼は近くの修道院で子供たちに勉強を教えているんですけれど、お昼ご飯の買い出しにまだ行けていなくて・・・。」
――ジャガイモが役に立つ時が来るとは。
「いいですよ。好きなだけ持っていって下さい」
「――本当ですか!?ありがとうございます。子供たちジャガイモを使った料理が大好きだからきっと喜びます。」
「そうですか・・・(丁度、コニーのおじさんから断る理由が思いつかず困っていたところで。数が減ってくれてありがたい。。。)」
「どうしました?」
「あぁ、いえ、なにも。ところで修道院の場所はどちらです?良かったらそこまで持っていきますよ。」
「――場所は。ここから見えるので近いのですけれど。――すみませんがお言葉に甘えさせてもらいます。」
リノはホッとした。今日はジャガイモから逃れてもバチは当たらないだろうと。
「職業が先生なんて、すごいですね。」
「いえ。まぁ・・・そうなのですかね。決められた職業とはいえ責任重大で。子供たちのことを考えると私で勤まっているのか不安な毎日です。」
リノとオリヴィアは修道院へ向かって歩き出した。
オリヴィアの茜色のロングスカートがゆらゆらと宙を泳いだ。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆
修道院といっても城のような大それた建物ではなく、四角い窓がいくつか着いている少し大きめな一軒家だ。白塗りの外壁は年々少しづつ黒ずんでいるらしく、その外観は街によく馴染んでいた。
「・・・どうしてこんなことに。」
「料理ってみんなでやった方が楽しいじゃないですか。」
「そういうもんかな。」
「そういうもんです。」
「――だからってこんなエプロン僕がしなくても・・・。」
リノは不気味な黒猫がデザインされたエプロンを強引に着けさせられた。背後から近づいたオリヴィアはエプロンが解けないよう。解かれないよう。固くきつく紐を縛った。どこかデジャブな気がしたリノだったがいまいち思い出せなかった。
「大丈夫ですよ。可愛いです。似合ってますよ!はい!ではリノさんは、ジャガイモの皮をむいてください!芽はしっかりとって下さいね!しっかりとらないとしょくちゅ・・・」
「食中毒ですよね。」
「あら、詳しいんですね。てっきりお料理はあまりされないとばかり。」
「ジャガイモだけですけどね。今日の夜は魚と一緒に煮込もうと思っていました。」
今日こそはジャガイモを使ったご飯から免れたと思っていたが、オリヴィアのご飯の誘いに断る事はもちろんできず、流れのままにこうして一緒に台所に立ったのだった。
「「リノ―ご飯まだー?」」 「「おなかすいたー」」 「「先生の邪魔しちゃだめだよー」」
騒ぎ立てているのは修道院に通う子供たち。
「わーかってるよ。ほら、危ないから外で遊んできな。」
「「リノ―美味しいの作ってねー」」 「「先生の邪魔しちゃだめだよ」」
「そればっかり言うな!子供は遊んで待ってな!」
「「はーい。」」
「なんで子供って言うのはあんなに無邪気なのか・・・。」
「リノさんすごく懐かれてますね。みんな嬉しそうでした。」
オリヴィアはそう言うとクスッと笑った。紺色のエプロンが良く似合っている。
「――あぁ妹がいたんですよ。といっても一つしか違わないんであまり年下の様には接していませんでしたけど・・・。」
「そうなんですね・・・。」
リノの手は自然と止まってしまった。視界は少しずつぼやけてくる。
オリヴィアは何かを察したようにリノの手からジャガイモを取った。
「・・・。さぁ次は玉葱を切って下さい。半分にして四等分でお願いします。ゆっくり時間をかけていいんですからね。」
リノは玉葱を受け取ると皮をむき包丁を入れる。
「玉葱を切ると涙が出るんですね。オリヴィアさんは知っていましたか?」
「えっと・・・いえ、もちろん初めて知りました。」
オリヴィアはそういうと食材を取ってくると言い残し台所から出て行った。
リノは泣いた。玉葱というとても便利な物を利用して。
――奈々。
FISH&CHIPS 今井ヤト @tomo0812
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