第2話

ここまで平々凡々の生活を送ってきていたはずでした。勉強はよくできたので、一生困らないよう、公認会計士の資格を取り、忙しく職場と家を往復していました。堅実な生活設計を立て、次のステップに向けて、一歩踏み出したばかり。


「家庭を築こう。」


ちょっと遅いけれど、ここが頑張りどころだと思っていました。


現世では、仕事で忙しい中何度か繰り返した恋愛関係が結婚に結びつくことなく、自分が子供を持つのであれば正念場の32歳だったことまでは覚えています。どうやって死んだのでしょう。全く記憶がありません。(いや、そもそもこの記憶がこの世界では余計なものなのかもしれませんが。)忙しさのあまり孤独死したのでしょうか。蠅がたかる前に誰かが見つけてくれればよいのですが。まあ、1日でも無断欠勤したら、あの会計事務所の所長が黙っていないだろうから、早めに見つかったと信じましょう。


それにしてもなぜ、異世界に?一体この世界の私は何者なのだろう。


まずは現状把握です。


長い通勤時間にこっそり読んだファンタジー、異世界ものでは、主人公は皆必ずといって若き淑女、もしくは悪女、或いは聖女に転生してたと思うのですが。みんな10代じゃなかったかしら。何故私だけババアなの?いえ、自分のことをババアなんていっちゃいけないわね。見たとこ転生前の年齢とどっこいどっこいだし。実際何歳なのかは、後ほど 要確認ですね。


さらに衝撃的なのは、子持ちということです。お母様、と呼ばれたということは、そうなのでしょう。おそらくリリアちゃんは私の子どもだと推察されます。こんなおっきな子がいるのかぁ。いや、養女?腹を痛めた子かどうか、これも後ほど妊娠線要確認ですね。


自分の思念に囚われていると、ドアをノックする音がし、返事を待たずして、数人の人たちが飛び込んで来ました。先頭にいるのは、先ほどの紳士であり、手に小瓶を持っています。おそらく気付け薬でしょう。彼は長椅子に横たわるリリアちゃんの鼻の先に小瓶をかざしました。リリアちゃんの眉がしかめられるのを眺めていると、いきなり後ろから声が掛かります。


「ヴァネッサ!一体お前は今まで何をしていたんだ!」


印象がひょろっとしている割には背の低い中年男性が、明らかに私に向かって物申しています。ということは私はヴァネッサでよろしいですね。


「そうよ、お兄様が亡くなって、気落ちしているのはわかるけど、リリアを止められなかったの?!」


ふむ、こいつは、主人の妹、小姑ってところかな・・・


ここで、本日何度目かの衝撃。ええ!「お兄様は亡くなった?」お兄様って私の夫だよね?お母様だけ?お父様は???なしか!いきなり未亡人?!


「お前が不甲斐ないばかりに、リリアが駆けずり回っていたんだぞ。ないがしろにされたローランド殿下のお気持ちが離れるのも無理はない。」


うん?気持ちが離れるって、先ほどの婚約破棄をやってのけたガキンチョ?殿下?偉い人なの?王子様?


小姑?が畳み掛けます。


「そうよ、そのうえロヴィーナ子爵令嬢をいじめるだなんて。恥の上塗りだわ。」


誰それ?


転生するのが、10分、いや5分遅すぎたとしかいいようがありません。肝心な情報が欠けすぎてて、誰が何を言っているかさえわかりません。その時、背後から弱々しいながらも声がした。


「私は誰もいじめていません、叔父様。身に覚えがないことは先ほども申し上げました。」


リリアちゃんだ。健気だな。


「だが、ローランド殿下がそう言っているのだ。お前が学園で、ロヴィーナ嬢に水をかけたり、階段から突き落としたりしたと。あのように可憐な令嬢を貶めるとはどういうことだ!」


一言言わせていただければ、リリアちゃんだって可憐ですよ。中学生(にしか見えません)を寄ってたかって非難する大人たちに、私の堪忍袋の尾も切れました。


「お兄様!」


お義兄様か?いや、義弟おとうとか?


「リリアは、スタイヴァサント家のために奔走していたと先ほどおっしゃったばかりではないですか!」


自慢じゃないですけど、写真機なみの暗記力と言われてます。


「リリアにそのような真似をする時間と余力があったとおっしゃるのですか?」


「うん?それはだな。えっと。」


やはりあまり役には立たない親戚ですね。


「ウイリス叔父様、私この半年、ほとんど学園に通えておりませんでした。ロヴィーナ様にお目にかかることもなければ、ローランド様とご一緒したこともございません。今日のことは青天の霹靂です。」


リリアちゃんは、そのまま、静かに目を閉じてしまいました。私といえば、頭の中で、顔と名前を一致させる作業を進めながら、正体をばらすことなく、次の手を打つことを考えています。


おじさんは、ウイリスと。この人と小姑がペアなのね。少女に言い負かされるとは、力のほどが知れてるわね。貫禄にも知恵にも欠けてると見た。


で、問題視されてるロヴィーナか。あの金髪碧眼の王子さんの 腕にぶら下がってた、ピンクの綿菓子でしょうね。上目遣いの人誑し、まあ、男の子はあの手に弱いわよね。そこまでは把握しました。


小姑と私の旦那の名前瑣末なことは、後回しで、ボロが出ないうちに、全体の事態を把握して、落ち着いて考える時間がほしいわ。


「リリアの体調が心配です。何はともあれ、一旦自宅に引き上げましょう。このままここにいても何も解決しませんわ。」


ごく当たり前のことを差し障りのないように言ったつもりでしたが、私の発言に、皆、目を見開いて驚いています。どうやら以前の私は、あまり積極的に発言するタイプではなかったようです。


正体ははっきりしませんが、使用人らしき紳士(執事かしら?)が


「では、お車を通用口にお回しいたします。そちらのほうが近いのですが。」


と、問いかけます。


私はすばやく頭の中で計画を練りました。


「逃げるように帰る言われはございません。正面玄関からお願いいたします。」


今度はリリアちゃんが驚いたように私を見上げています。その頬に少し色が戻ったようです。ゆっくり上半身を起こすと、彼女も声に力を込めて


「もう大丈夫です。母と一緒に歩いて参ります。」


と言いました。


「ではお車を、正面にお回しいたします。ご用意できましたら、お呼びいたします。」


という言葉とともに、使用人さんは出て言きました。


「ウイリスお義兄様はどうなさいます?」


ウイリスより先に小姑さんが


「私たちは、パルマーのところに戻らなくては。あの子も心配してるでしょうし、ひょっとしたら、従姉妹のせいで、いわれのないいじめを受けてるかもしれませんわ。」


パルマーはこの夫婦の息子と見ました。


義妹夫婦は、巻き込まれるのはごめんとばかりの態度で、足早に引き上げていきました。


「お母様。信じてくれてありがとう。」


いまにもこぼれ落ちそうな涙を溜めながら、リリアちゃんが囁きます。私はにっこりと微笑むと


「何があろうとも、母はあなたを信じています!」


と、言い放ちました。


でもね、リリアちゃん、ごめんよ。まだ確信持っていません。私はあなたを知らなすぎるから、とりあえずこけおどしで我慢してね。


お車の用意ができたというので、二人で玄関に向かいました。広い。天井も限りなく高い。この場所は、西洋の博物館みたいな作りです。どうやら学校の大広間らしいですね。それも貴族の行くお金持ち学園のようです。


あたりに気を取られていると、いつの間にかリリアちゃんの手が私の手に滑り込んで来ています。握る手に、ぎゅっと力を込め、目を見合わせます。リリアちゃんはほぼ私と変わらない身長です。


私は徐に顎を上げ、背を伸ばすとリリアちゃんの手を引いて長いホールを歩いて行きます。リリアちゃんも御同様です。行き交う人たちの囁き声と視線は無視することにしました。(だがしかし、私の記憶力は抜群ですからね、みなさん)


車(馬車だった)に乗り込むと、リリアちゃんは私の肩に頭を乗せます。ここはお母さんとしてもう一踏ん張りすべきところでしたが・・・衝撃が続いて、気を失うように寝落ちしてしまいました。


馬車のドアが開きます。どうやら到着のようです。まずまずの大きさの邸宅が目にはいります。石造りの3階建てって、ところですね。現時点では爵位がわからないけれど、この様子だと貧乏男爵とかいうことはなさそうです。


建物に気を取られている私に、金色の弾丸が飛びついてきました。


「お母様!リリアお姉様!」


(二人の子持ちかよ!)

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