小指をぶつける旅に出よう

さとうたいち

ミニマリストの英才教育

28歳。生まれてからここまで足の小指をぶつけたことがない。


私の母は家に物を置かない主義。なんにも置かない。置いてあるのは冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機。それだけ。それを家族レベルで続行できるのは私の母くらいであろう。


タンスが置いてある訳がない。服は畳んで全部床に置いてある。全部。小指をぶつけるのはタンスと聞いている。そう、タンスがないということは、小指をぶつけるチャンスがないということだ。


サッカーを始めようにも、ボールがないのと一緒。夢は子供のように小さく散った。


そして、社会人になった。東京に出て、一人暮らし。自由になった。


でも、なぜだか私は、タンスを買わなかった。これが遺伝か。物を置くとなんかうるさいと思ってしまう。気が付かないうちにミニマリストの英才教育を受けていたのだ。


そのことがわかった途端、私はすべてを諦めた。小指をぶつけるという夢を、諦めた。


それから6年が経った。私は、ずっと、ずっと、来る日も、来る日も、「小指をぶつけたい」という言葉が頭の中にいっぱいだった。上司に怒られながら、「ああ、この上司もきっと、小指をぶつけたことがあるんだろうな」とか、そんなことしか考えられなくなった。


諦めきれなかった。小指をぶつけたい。その一心で、私は、私は、


会社を辞めた。


ブラジルに行こうと思う。小指をぶつけるために。夢を叶えるために。


小指をぶつける旅に出よう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小指をぶつける旅に出よう さとうたいち @taichigorgo0822

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る